13話 赤髪の勇者①
そのままついていくと、賑やかな街の中から出て、国の外壁に辿り着いた。
少年は外壁を沿うように薄暗く狭い裏路地を通り、やがて外壁の崩れている部分を抜けて、生い茂った森の中へと入っていく。
荒れ果てた獣道を慣れた足取りで数分歩き、そして、開けた場所に出て足を止めた。
とても人が生活できるとは思えない、ツタまみれのボロボロの納屋。すぐそばには水汲み用の桶と木刀、その他用品が置いてあり、それがかろうじて生活感を抱かせる。
『……よし』
少年は突然、パン!と両手で頬を叩いて顔を引き締めて、その納屋の中に入る。
俺たちも少年に続く。
少年にこちらの姿は見えていない。
だが、どこか後ろめたくて、そろりそろりとゆっくりお邪魔した。
「ジレイ様、もしかしてこの方は――」
「……ああ。そうだろうな」
この少年が誰なのかはすぐに分かった。
綺麗に整った顔立ち。帽子から覗く赤髪。今現在の面影も残っているし、間違いない。
『"ヘンリー"、朝食を買ってきた。食べよう』
少年は被っていた帽子を脱ぐと、持っていた布の袋の中から黒く固そうなパン、果実を取り出し、粗末なテーブルの上に置く。
『うん……ありがとう、兄さん』
手作りと思われる木造の簡素なベッド。
そこに横になっていた人物は、そう言って起き上がろうとして……しかし、唐突に胸を押さえてゴホゴホと辛そうに荒く咳をする。
『……すまない。そのままでいい、寝ていろ』
毛で覆われた獣の耳。
赤髪、獣耳……少年と同じ特徴を持っていて、よく似た顔立ち。だが鋭い印象を受ける少年とは違く、優しげで穏やかな顔立ちのヘンリーと呼ばれた少年。
『ごめん……』
『謝るな、と言っているだろう。これくらい気にするな』
病的なまでに肌が白く、不健康に見える少年――ヘンリーに、手に持ったパンをちぎり、食べやすい大きさにして口元まで持っていく少年。
『でも、僕がいなければ兄さんは――』
『止めろ、ヘンリー』
『だけど……』
『二度と言うな。俺がお前を見捨てることは絶対に無い。もし見捨てるのであれば、運良く奴隷の首輪が壊れて逃げ出せたとき、足の遅いお前を担いだりなんかしない。……それよりほら、食べろ』
少年はヘンリーの口にパンを運んでいく。
『大丈夫だ、俺がなんとかする。"エーデルフ騎士団"だって俺たちを探してるはずだ。きっと、すぐに帰れるさ。そうすればお前のその"霊病"も治せる』
『……うん。だけど、無理はしないでね。このパンも買うのに大変だったんじゃ……?』
『無理などしていない。これだって働いて買ったんだ』
『でも、半獣人の僕たちを雇ってくれるなんて』
『人間も悪い奴らばかりじゃない。いい奴らだっているさ。半獣人の俺を雇ってお金をくれて、パンを売ってくれる人がいてもおかしくない。兄である俺の言葉が信用できないのか?』
『……ううん。……ごめん』
『謝るな、と言っているだろ』
少年は果実をナイフで剥いて食べさせる。
『ゴホッ……あれ、兄さんは食べないの?』
『俺はもう済ませた。それはお前が食べていい』
『そっかー……』
『仕事先の人が賄いをくれるんだ。こんなものよりもっといい食事をな。いいだろう?』
『えー、いいなあ。ずるいよ兄さん』
『なら早く治すことだな。出歩けるようになれば、俺がご馳走してやろう』
『ほんと! やったあ……約束だよ!』
『ああ。だから早く食べて、よく寝ろ』
ヘンリーは顔を輝かせる。純粋に疑いも無い瞳で少年を見上げていた。
……おそらく、少年は嘘をついている。
仕事で十分な金を貰っているのであれば、わざわざ果実を盗んだりなんかしないし、もっとまともな場所に引っ越している。
このパンも盗んだものなのだろう。
仕事だって、雇って貰えていないはずだ。
『――にいさん……いっしょに……きしに――』
『……ああ。一緒に、騎士になるぞ』
目を閉じて寝言を漏らすヘンリーの髪を優しげに撫でたあと、少年は立ち上がり納屋から出る。
そして外に置いてあった木刀を拾い、粗末な上着を脱いで上半身を晒し、納屋から少し離れたところで素振りを始めた。
『このままじゃ駄目だ。俺がなんとかしないと――』
少年は木刀を振り続ける。一心不乱に前だけを見据えて。
晒された上半身は無駄がなく引き締まっていて、過酷な鍛錬を繰り返したことが一目で理解できる。木刀は何度も振っているからか握り手の部分がすり減っていて、握る少年の手は豆だらけになっていた。
剣の才能は――間違いなく、ある。
素振りの動作、一挙一動が洗練されている。
これで才能が無いと言うやつがいたら見る目がなさ過ぎる。身体に纏う魔力の量を見るに、魔法の才能もあるだろう。
どの系統の素質があるかまでは分からないが……肉体、精神性、どれを見ても大成する器を持っていると断言できた。
『駄目だ。まだ……足りない。もっと、もっと力が無いと……何でもいい、俺にできることなら何でもする。だから俺にもっと、もっと強い、いまを変えられるくらいの力を――』
少年は額に浮かぶ汗を拭うこともせず、休む事無くただ木刀を振り続ける。
――だからだろうか。
周りを見ず一心不乱に鍛錬する少年は、異変に気付いていなかった。
「! あれは――」
俺はそれを見て、息を呑む。
少年の背中には――"聖印"によく似た大きなアザが、白く光り輝いていた。
◇
『ヘンリー! 朗報だ! 俺が"勇者"に選ばれたらしい!』
映像が切り替わり、少年が興奮した様子でヘンリーに話しかけている場面が映る。
『ほんと!? 兄さんが……すごい!』
『ああ! しかも、この国の騎士にもして貰えるそうだ。住むところも用意してくれるし、給金だって貰える! もうコソコソと隠れる必要はない!』
よほど嬉しいのか、少年の興奮は冷めること無く、輝かしい未来を熱弁し続けた。
『もっと金を貯めれば"霊魂酒"も買えるだろう! 勇者として頑張れば、神官の奇跡で治して貰える可能性もある! 俺がもっと、もっと頑張って――』
『やっぱり、兄さんはすごいや……僕も頑張らなきゃ』
『バカいえ、お前が頑張るのは治ってからだ。騎士の鍛錬は辛いからな。へこたれないかだけが心配だぞ』
『はは……うん、そうだね。大丈夫かなぁ』
『大丈夫に決まっている。ヘンリーは俺の弟なんだからな』
『期待が重いよ兄さん……』
二人は明るく笑い合う。
いつも気の張った顔をしていた少年ですら、本当に嬉しいのか声を上げて純粋に笑っていた。その様子は不安から解放され、安堵しているようにも見えた。
『おっと……忘れていた。これから騎士団に入団する段取りを聞きに行くんだ。数刻後には戻る。今日中に街に引っ越すからな』
『……うん! 頑張ってね』
少年は「ああ!」と元気に返事をして、足取り軽く納屋から退出する。
……未来の展望を明るく語る少年は、思ってもいなかったのかもしれない。
『うっ!? ゴホッ…………ぁぐ……』
兄の足音が遠ざかった瞬間、ヘンリーは胸を押さえて苦しみだす。
血の痰を吐き出し、苦痛に耐えるように胸を掻きむしる。
その姿は、決して兄には見せない姿だった。
『僕も……頑張らなきゃ。兄さんが、頑張れるように、僕も――』
"霊病"の中期症状。
耐えがたい痛みが全身を蝕み、本来ならば発狂してもおかしくない。
限界に近いはずだ。
霊病は早ければひと月足らずで死ぬ患者も多い。病状が急激に悪化するわけではなく、その内情は痛みに耐えられず、自ら命を絶つことが殆どだ。
兄には心配をかけまいと知らせること無く、一人で病と闘うその姿は……なによりも、強く見えた。
◇
映像にノイズが走り、場面が次々と切り替わる。
『――勇者様、ありがとうございます。これで村は安心です!』
『――感謝いたします、騎士様。我が商会から感謝の印として――』
『――"才"の勇者であり、騎士ルーカス。此度の功績を称え、小隊長への昇格を命ずる』
それは、赤髪の少年が騎士として、勇者として人を助けている姿。
誰もが"騎士ルーカス"を賞賛し、感謝の言葉を口にする。だが少年は決して驕ること無く誠実に、正しくあろうとしていた。
『――ヘンリー、調子はどうだ? 今日は起きて食べれそうか?』
『ごめん……ちょっと難しいや』
『だから謝るな。お前は何も悪くないんだから』
『うん……ごめん』
『謝るな、といっているだろうに』
先ほどまでの天井から雨水が滴り落ちるボロボロの納屋とは違い、一般的な家屋。食事も十分に栄養が取れる食事。
にも関わらず、ヘンリーの様子は改善すること無く、未だベッドに寝たきりだった。
『もう一度、国の神官に掛け合ってみたんだが……駄目だった。すまない』
『ううん……しょうがないよ。それより兄さんは食べないの?』
『……ああ、腹が減っていなくてな』
『僕、兄さんが朝食を食べてるところ見たことないよ。……他にもちゃんと食べてるんだよね?』
『食べているから心配するな。それより自分のことを考えろ、俺は大丈夫だ』
『……そっか』
ヘンリーは納得していない顔だったが言い返すこと無く、横になったまま食事を口に運ぶ。
「……嘘だな」
俺は周りに目を向ける。
普通の一般的な家屋。あまり物が無い、がらんとした部屋。
騎士の給金は年に200万ほど。小隊長であれば300万は支給される。ならもう少しいい家に住めるし、多少の贅沢だって許されるほどの蓄えはできるはずだ。
この光景を見るにほとんどの金を貯めて、貯蓄しているのだろう。
最初に見た頃よりも少年たちの姿が成長していることから、少なくとも二年は経っている。
そう考えれば、500万~600万リエンほどの"霊魂酒"をあと少しで買えるくらいの金額は貯まっていると推測できた。食事すらも切り詰めて、己を犠牲にしながら。
『あと少し、あと少しで金が貯まる。そうすればヘンリーを――』
ヘンリーが寝静まったあと。少年は家屋から離れた広場に足を運び、剣を素振りし始める。
軽い木刀ではなく、騎士団から支給される真剣。
決して軽くはないそれを軽々しく振っているその姿と、さらに引き締められた肉体からは、月日が流れても少年が休む事無く、たゆまぬ鍛錬をしていた事は明らかだった。
そんな少年の努力が実ったのか……
それから、少年の元に吉報が入ったのは、当然とも言えた。