9話 忠告
「なっ……」
それまで余裕の表情を崩さなかったルーカスは開口し、驚いたように息を漏らした。何が起こったのか分からないといいたげな顔をしている。
俺のしたことは単純だ。ただ、ルーカスの展開した魔法の術式を読み取り、それとまったく同じ魔力と種類の魔法を展開させ、何も考えずにぶつけただけ。
「何をした、D級」
だが、ルーカスは何をされたか理解できていないようで、宙に散った魔力を一瞥したあと、射殺すような目で睨んできた。
「単に、お前と同じ魔法で相殺しただけだ」
「そんなことは見れば分かる。なぜお前が俺と同じ魔法を、それも同時展開の制限も無く使えるんだと聞いている」
「んなの、俺にも同じことができるってだけの話だ。お前が使ったさっきの魔法は全部、俺だって覚えてるし使える。同時展開だって修行しまくったからな」
そう、俺だって修業時代に一心不乱に魔法を覚えまくったおかげで大体の魔法は使える。苦手な魔法は少ししか行使できないけど、それでも使えることは使える。
ちなみに俺が特に魔法をめちゃくちゃ頑張ったのは「身体を動かさなくていいから」という身も蓋もない理由。剣技とか体術とかぶっちゃけ怠いし、何事も極力動かず済むならそれで済ませたい。寝てるだけで金が入って来ないかなーって常に思ってる。
「……勇者でも無いD級風情が。そんな力を持っていいわけがない」
「別にいいだろ。俺だってめちゃくちゃ頑張ったんだぞ。筋トレとか」
「ふざけてるのか?」
ルーカスは俺に馬鹿にされていると思ったのか、額に青筋を立ててすんごい形相でこっちを見てきた。嘘ついてないんだけど俺。
「至って真面目だ。つか、これ以上は無駄だから降参してくれないか? 身体動かしすぎてもう疲れてきたんだけど」
なんというか、今日は朝から色々と疲れたからもう休みたい。こちとら強制連行させられてうさぎ跳びで逃げて地獄の鬼ごっこを繰り広げたあとなんだぞ。マギコスマイアからほぼ休みなく逃げ続けて精神的にももう限界。そろそろ安らかにベッドで七十年くらい永眠させて欲しい。
俺の切実な願いを理解してくれたのか、ルーカスは鞘に仕舞った聖剣を抜刀して……ん、抜刀?
「……そうだな、終わりにするとしよう」
と言いながら、ぐにゃりと姿を歪ませて消えた。理解してくれてなかった。
「いや、だから……」
ため息が出る。めんどくせえ。
怠い身体を動かし、足に魔力を籠めて。
「がっ!?」
「無駄だって言ってるだろ」
一足でルーカスの場所まで移動し、がら空きの背中をぶん殴って吹き飛ばした。
ルーカスは起きたことが理解できていない様子で地面に叩きつけられ、激しく咳き込んでいる。めんどいけど説明してやるか。
「《虚実幻影》の対策は簡単だ。術者が幻と実体を入れ変えるよりも早くぶん殴ればいい」
ルーカスは俺が説明しているにも関わらず体勢を立て直して《虚実幻影》で移動。
「入れ替わられたあとも対処法は同じ。幻影と交替した本体をぶん殴ればいい」
本体を見切って一瞬で移動した俺は、今度は無防備な腹に蹴りを入れて宙に吹き飛ばす。
あ、今の鳩尾に入った。《身体強化》は使ってるみたいだけど俺はそれ以上の魔力を籠めて殴ってるからモロに身体にダメージが入っているだろう。つまりクソ痛そう。
地面を五回くらいバウンドしたあと、ルーカスは地に手足を着けて激しく咳き込む。
「無数に幻影がいるのになんで本体が分かるのか……も簡単だ。一帯に常時《探知》をかけて魔力を見れば本体が割り出せる」
といっても、幻と本体の魔力の違いはほんの僅かなのだが。割と神経使うから疲れるんだよなこれ。
「……」
ルーカスは何も答えることなく、聖剣の剣先を俺に向けて構えた。
すると、焔のような魔力を纏っていた聖剣が姿形を変え始める。赤色の剣身は銀色に変わり、剣身が縮んで長剣ほどの長さだった聖剣はダガーほどの短剣へと変貌を遂げた。
あの聖剣は――《蝕》の短剣"カルドピア"か。
……なるほど、こいつの手の内が分かってきた。《幻》の《虚実幻影》を行使していたとき、聖剣は最初のままだった。つまり、聖剣の力を引き出す手順それぞれに条件がある。同時に複数の能力を使えるのかは分からないが、未だ使わないのを見る限りできないと見ていいだろう。
なら――やっぱり余裕だな。
俺は右手に練っていた魔力を解放し、ルーカスの周囲を漂っていた銀色の魔力にぶつけるようにして展開させる。
纏っていた銀色の魔力が消失したルーカスが。
「…………なぜ、貴様が《蝕》の対策法を知っている」
と、表情を変えずに淡々と聞いてきた。なんでって……。
「まあいい、ならば……」
ルーカスは返答を待つことなく《音》、《操》、《伸》……と替わる替わるに聖剣を変えていく。俺も次々と対策をして何かされる前に潰していく。ヨシ!
出鼻をくじかれまくったルーカスは苦虫を潰したような顔で。
「……なぜだ。勇者の力も持っていないD級ごときに、なぜ俺の力が通用しない」
「お前の力じゃないだろ。あと悪いが、もう何されてもお前に負けることはないぞ」
こいつは過去の聖剣の力を引き出せる、と言った。だが聖剣にはそれぞれ意志がある。そう簡単に扱える代物なんかじゃない。
おそらくだが、こいつは聖剣をそのまま使えない。『聖剣を複製する能力』で作れる聖剣はオリジナルのものじゃなく、コピーしただけの模造品の可能性が高い。
元の所有者よりも間違いなく力が弱いのがそれを物語っている。それでも強力であることには間違いないが……オリジナルには遠く及ばない。
なら、俺が負ける道理は一ミリも存在しない。
俺も昔は勇者を目指していた身。当たり前だが、過去の勇者の能力なんて熟知している。
聖印図鑑なんて紙が擦り切れて破れるほど読んだし、トップシークレットになっている情報も魔導図書館にあった本で覚えた(勝手に)。
聖剣は所有者が替わるごとに能力が変わるから、同じ《幻》でも使える能力が違ったりする。だから、まだ能力が未知数の今代の勇者が何をできるのかは分からない。
が、過去の勇者であれば対処法は全部頭の中に入っている。なら負けるわけがない。
「ふあ……それより、俺の勝ちだ。死にたくないなら降参しろ」
俺は大きく口を開けてあくびをして、ルーカスにそう言った。あー疲れた。これ終わったら宿屋で五時間くらい休憩するか。もちろんラフィネたちとは別行動で。
手を止め、うつむかせていた顔を上げるルーカス。その表情はなにか恨みでもあんのかってくらい俺を睨んでいた。え、怖いんだけど。
「……貴様が、D級に甘んじている理由を言え。何者にもなれるほどの力を持っているにも関わらず、D級ごときに甘んじている理由を」
理由……? 何でそんなこと聞くんだコイツ。
「いや、別に大した理由じゃないけど。ただ単にランクを上げるのがめんどかっただけだ。あと、何にでもは無理だろ。現に勇者になれなかったぞ俺は」
まあ今ではなれなくてよかったと心底思ってるけど。修行中は
「大丈夫、俺は優しい勇者の中の勇者。だから聖剣くんこっちおいで……」
と笑顔で毎日虚空に語りかけ、聖印さえ出ちまえばこっちのもんだと思っていたけど、今では本当に出てこなくてよかったと思う。あ、もちろんこれからも用は無いから来ないでくれよ。来たら何が何でもぶち壊すために一生を費やす所存。
「ならば、貴様は何の為にその力を持っている」
「何のため? ……そうだな」
何の為って言うなら、勇者になるために得た力だけど……今は違うか。それ以外に何の為にとか考えたことすらなかった。うーん何だろう、強いて言うなら――
「俺のため、か」
答えると、一瞬空気が凍ったように静寂が訪れる。
少しして動き出したルーカスが、何が楽しいのか急にくつくつと笑い出した。何笑ってんだよ殴るぞ。
「……そうか、中々にふざけた答えだ。使命も役割もないD級冒険者らしい」
笑いを止め、冷徹な瞳を向けてくる。
「自分のため? ああ、自由でいいだろうな。ただ奔放に生きていても、誰にも文句を言われない人生はさぞかし楽しいだろう」
「だろ? まあでも色々と破綻しかけてるんだけど。周りのやつのせいで」
主にレティとかイヴとか、ラフィネとかラフィネとかラフィネとか。
「皮肉だと分かれ。強者は弱者を救う義務がある。貴様はそれを放棄しているだけだ」
「……はあ?」
何言ってんだこいつ。放棄してるも何も……。
「俺の力を俺のために使って何が悪いんだよ? 俺の人生だ、何しても勝手だし文句を言われる筋合いは無い。俺は自分のしたいように動くし、自分の道は自分で決める」
何で、こいつに義務とかなんとか言われなきゃいけないんだ。俺は義務や責任とかの言葉が大嫌いな男。自由と平等を愛する一般冒険者。俺の邪魔をするなら強者も弱者も男も女も関係無く、平等にグーで殴り飛ばすぞ俺は。
俺の返答を聞いたルーカスは不満そうに鼻を鳴らして。
「……降参だ。D級」
と、両手を上げて降参の意を示した。《戦場》が解かれ、荒野から元いた闘技場へと視界が移り変わる。
「入国許可は俺が言っておいてやる。あの黒髪女、白魔導士と行動を共にしなくても構わん。【復興区域】でも【特別区域】でも、好きに動けばいい」
「……あ、おい。待てよ」
話は終わりだと踵を返したルーカスを呼び止める。
「教えるって言ってただろ。聞いてないぞ」
まだ、こいつがレティに何をしたのか聞いていない。それが聞きたくて戦ったのに何ひとりで帰ろうとしてんだ。
「ああ、そうだったな」
ルーカスはいま思い出したように頷き、返答した。忘れてたのかよ。
目に魔力を集中させ、ルーカスの身体に纏う魔力を見る。これで、こいつが嘘を言おうとしても僅かに魔力が揺れてすぐに分かる。嘘言ったら殴る。タコ殴りにする。
だが、言われたのは想像とは正反対の言葉だった。
「俺が、奴に危害を加えたことはない」
「……は?」
耳を疑うも、魔力に変化はなかった。嘘を言っていない。
……え、じゃあなんでレティはあんなに怯えてるんだ。意味分からんが。
「勇者として招集されて顔を合わせることは何度かある。が、危害を加えたことは一度もない。俺はただ奴の態度、思想、性格が気にいらんだけだ」
「なら、レティは何でお前を怖がってんだよ」
「そんなのは知らん。本人に聞け」
ルーカスは俺に聞くなと一蹴したあと、考えるように顎に手をあてて。
「ああ、だが……あの事実を知られたくないのかもしれん。貴様には特に、知られたら不都合なのだろう」
「はぁ?」
俺に知られたら不都合なこと? あの隠し事とか一切しなさそうなレティが?
「何だそれ、教えろよ」
「機密事項だ。勇者の中でも数人しか聞かされていない。知りたいなら本人か勇者教会に聞け。教会は言わんと思うがな」
聞くも、取り付く島も無く教えてくれない。
「なぜ、そこまで気にかける? 親族でもないだろうに、どうだっていいではないか」
「別にレティの事はどうでもいい。ただ、気になるだけだ」
そもそも無理矢理勧誘されたりして迷惑してるのはこっちの方だ。レティの過去に何があったとか隠し事とかどうでもいいし俺に関係無いし……でもめっちゃモヤモヤするから知りたいだけである。
ルーカスはふむ、と不思議そうに頷く。少し悩むような仕草を見せてから、俺から視線を外し、闘技場の出入口があるこっちに向かってスタスタと歩き始めた。……あ、おい! 誰にも言わないしちょっとくらい――
俺には目もくれず、ルーカスは出入り口に足を進ませる。
そして俺とすれ違い際に足を止めて、口を開いた。
「そうだな……一つ、忠告しておいてやる。貴様が《攻》をどう思っているのかは知らん。なぜそうまで気にするのかも聞かん。俺にはどうだっていいことだ」
振り向くことすらせず、ただ淡々と言葉を吐き出す。
「だが、もし貴様が《攻》を大事に思っているのであれば――」
ルーカスは感情を捨てたような冷たい声で、呟いた。
「いますぐ、勇者などやめさせろ」