1話 夢のぐうたら生活(夢)
――数時間前、早朝。
「ぐうたら生活最高! 最高最高最高!! フゥ!!!」
俺は、逃げ込んできた宿屋の固いベッドの上にて、怠惰に寝転がってだらだらしていた。
ちらりと部屋に設置されている壁掛け時計を見る――時刻は昼過ぎ、日の出が中天を少し超えた辺り。
「まだ時間はあるな……よし、今日は一日中だらだらするぞ!」
俺はウキウキといまにも踊りだしそうな気分で、この後の至福の時間を想像してニヤニヤと顔に笑みを浮かべる。めっちゃ楽しい。
「ほんと、やっとゆっくりできる……マジであいつら、めっちゃしつこかったからなぁ……」
少し前までのストレス元を思い出し、嘆息。
あれから――マギコスマイアで魔導学園の講師をしたり、魔導大会で優勝したり、めちゃくちゃ強い謎の少女と戦って死んで復活したりして、早30日弱が経った。
いやもう、ほんとに散々だった……前世の俺が何か悪い行いをしたんじゃないかってくらい散々だった。
桃色髪の勇者と水色髪の白魔道士には、勇者パーティーに入れと更にしつこく勧誘されるし、
白髪の見目麗しいユニウェルシアの王女様と、マギコスマイアのポンコツ王女には結婚しろとつきまとわれるし、
はたまた、金髪の少年にはなぜか俺をSSSランク冒険者にすると豪語され、性格の悪い粘着質なクソ猫にはお前の魔法を研究させろと追い掛け回される始末。
「ふへぇ……何も考えず、ベッドで寝転がるこの至福……なんと甘美なことか……」
だがしかし。もうその事で悩まされることは無い。なぜなら、俺は完璧に逃げおおせたからだ。やったね。
俺はあのあと、覚えている限りの魔法を使って全力で逃走し、その甲斐もあって……完全に撒くことに成功した。
なぜそれが分かるのかというと……《探知魔法》でこの街、いや国全体に探知を飛ばしてみても、それらしい反応が一切ないからである。
つまり、あいつらはどこかに行ったということ。俺がこうしてぐうたらしていても誰も邪魔してくることは無いし、これは完璧に撒いたとみていいだろう。
「ふわぁ……眠くなってきた。もう一度寝るか」
邪魔が来ない幸福を噛みしめ、毛布を被る。至福……ッ!
「ん……?」
すると、なぜか毛布の中にもぞもぞと動く物体を感じて、首を傾げる。おかしいな、さっきまでは何もなかったんだけど……ネズミでも入りこんだか?
頭に疑問符を浮かべたまま、毛布をまくって確認すると。
「――やぁ、おはよう」
そこにいたのは、ネグリジェのような官能的な服装をまとい、軽快な様子で手を上げて挨拶をする少女の姿。
「!?!?!?!?!?!?」
すぐさま俺は毛布から飛び出し、驚きすぎて天井に張り付いた。それはもうとんでもない速度で張り付いた。0.1秒くらい。
「ひ、ひどいなぁ……そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
その人物は少しショックを受けた表情を浮かべたあと、ベッドから降りて立ち上がる。窓から入ってくる陽光に、地面に付くほど長い美しい銀色の髪を煌めかせて。
「……どうなっている。お前は死んだはずだ」
一瞬で理解し、冷静さを取り戻して問いかける。どういうことだ、なんでこいつが――
その人物、目の前でにこりと微笑み、明朗に喋りかけてくるその少女は。
俺が消滅させたはずの少女――エンリにほかならなかったのだから。
◇
「ま、別にそれはいいじゃないか。それよりも、もっと有意義な話をしようよ? あんまり時間も無いか――――」
俺は無言で右手をエンリの方に向け、膨大な魔力を込めた魔力弾を放出した。
「ちょ、ちょちょちょっと!? いきなり何するのさ!? 話を聞い――」
しかし、なぜか背後からエンリの声が聞こえてきたので、今度はさっきの十倍の数の魔力弾を展開し、一斉に放出する。……やったか?
「よ、容赦ないねキミ……まあ、ボクがやったことを思えば当然のことだけどさ。…………正確には、このボクじゃないんだけどね」
だが、エンリはキズ一つ付いていない状態で現れ、飄々とした態度でそう呟いて、落ち込んだように肩を落とす。
「はぁ……まあいいや。とりあえず、時間が無いからこのままいくつか話をさせて貰うよ。このボクに敵意はないから大人しく聞いてくれると助かるね」
「ふざけるな。信じられるわけないだろ」
数々の魔法を展開しながら、エンリの出方を警戒する。……どうなっている。魔力弾が当たった感触は確かにあった。しかし、エンリはまるで喰らっていないかのように俺の目の前に平然とした様子で現れた。意味が、分からない。
「まず一つ目、あれは確かにボクがやったことだけど、やったのはこのボクじゃない。……あと、ボクはあのとき、確かに死んだよ。キミの剣戟にあっさりと粉々にされてね」
「……はぁ?」
エンリの言葉に理解ができず、首を傾げる。ボクだけどボクじゃない? それに、死んだって……じゃあ目の前の、魔力の波長も相貌も同じこの少女は何なんだよ。訳わかんないんだけど。
「ボクだけど、ボクじゃないってことだよ。……でも、失敗したなぁ。まさか、今代の《暴食》の力があんなに強力だなんてね……呑まれるなんて思ってもみなかったよ」
「……何を言っている?」
「まあ、ボクはもともといい人間じゃなかったから、記憶を失ったボクがああなるのは、仕方なかったのかもしれないけどさ……困ったねほんと」
「???」
どうしよう、マジで何言ってるか分からない。もともとコイツが言っていることは分からなかったけど、更に理解ができない。
「そして二つ目、ボクからキミに継承された力のこと。その力は、キミの中の力と結合して一つになった。まだ、十分な力を引き出すことはできないけれど……それもいずれ、思い出すはずだ。これからのキミに役立つはずだよ」
「継承……?」
「本当は、ボクが教えるべきなんだろうけどね……ボクはまだ出られないんだ。ごめんね」
分からなすぎてムカついてきた。もう吹き飛ばしていいかなコイツ。
今度は、周囲一帯を消し炭に変えるほどの魔力を練って準備をしていると。
「そして最後、三つめ……キミはさっき、なんでボクに攻撃が当たらないのか、不思議に思っていたよね?」
「……ああ」
エンリの言葉に練っていた魔力を止め、返答する。
「確かに、当たったはずだ。なら――」
「うん、当たってたよ。だけど、ボクは死んでない。なんでか分かるかな?」
そう、感触は間違いなくあった。あったはずだ。宿屋を巻き込まないように結界でエンリの周辺を覆い、その中で魔力弾を展開して圧殺したはずだ。あれを喰らっておいて、無傷なんてことはありえない。
それなのに、なぜ――
エンリはにこりと微笑み、楽しそうな軽快な口調で、言った。
「そりゃそうだよ。だってこれ――――夢だし」
「…………………………へ?」
◇
ぱちり、と夢から目が覚めた。いや、現実に引き戻された。
「…………最悪だ」
覚醒したと同時、頭に考えたくもない事実が一瞬で襲いかかってきて、悪態をこぼす。
最悪だ、マジで最悪だ。
さっきまでのは夢。ここが現実。つまり、完璧に撒いてぐうたら生活を満喫していたのが夢。まだ逃亡中の今が現実。逃亡中が現実。これが現実。ふざけるなあぁ……。
死にたくなる思いを抑え、怠すぎて重い身体を起こす。
「とりあえず顔を洗って、そのあとは…………」
そこでピタリ、と動きを止めた。というより、物理的に止められた。
「……はは」
思わず、乾いた笑いが出た。……そうか、そうだった。ここは現実なんだった。じゃあ、そりゃまあいるよね。そうだよね。
そもそも、なんであんな夢を見てしまったのか。
それは――
「いけませんじれいさま……しょんなにもとめらえたらこわれへしまいまふ……」
「………………」
俺は自分のすぐ脇、ベッドの横になぜかいる、俺の腰に力強くしがみついて幸せそうな顔で寝言を漏らしている白髪の少女を見て、無表情でフリーズする。
数分後。現実に戻った俺は、ネグリジェのような官能的な格好をしている少女――ラフィネの拘束を起こさないようにゆるやかに外し、ついでに近くにあった毛布を10枚くらいラフィネの身体に被せてから洗面台へと向かう。寒そうだからね、うん。
ラフィネは「じれいさまおもいれふ……じれいさまがわたひをだいすきなのはわかっていまふが……ふへ……」と、毛布の下に埋もれながら妄言を漏らしていた。幸せそうで何よりです。
洗面台で寝起きの顔を洗いながら、考える。どうしようマジで。
他国へ逃亡するのは無理だ。もう何度も試してみて、無駄に終わった。
ここ数十日間、俺は全力で逃げた。マギコスマイアの近くの周辺諸国をぐるぐると逃げ回って、最終的にマギコスマイアに戻ってくるくらい逃げた。逃げ回った。
だがしかし、いくら国を転々としても、見つからないように宿屋に引き籠もっても、なんならゴミ箱の中に隠れてても無駄。徒労。無意味。
マギコスマイアの王女である少女――エレナと、なぜか俺を師匠と慕ってくる少年――カインはなんとか撒くことができた。だが――
「……どうなってんだマジで」
俺はちらりと、ベッドの上でこんもりと盛られた毛布に埋もれて幸せそうにしているラフィネを見て、死んだ顔で呟く。
そう、あの二人は撒くことができた。そもそも、カインに至っては「剣の修行をしにいきます。師匠の隣で戦える男になるために――」とかなんとか宣言してきて別の国に出奔していった。エレナはなんかいつの間にかいなくなってた。
しかし、ラフィネと、水色髪の少女――イヴと、《攻》の勇者――レティだけは、無理だった。どうやって知ったのか俺の行く先々で出没し、やれパーティーに入れだの結婚しろだのとつきまとってきた。
ここ七日間、連続で宿屋を転々としているのにもかかわらず、起きたらラフィネが同じベッドで寝ているか、イヴが美味しそうな朝食を用意していて朝の挨拶をしてくる。
割合はラフィネラフィネラフィネ、イヴ、ラフィネラフィネラフィネ。ふざけんな。
もうマジで、いくら場所を変えても無駄。何か魔術を使ってるとしか思えないレベル。どうなってんだよ……!
俺の魔力量の方が多いから《千里眼》を使っているとは考えられないし……どうあがいても探し出すことは不可能なはずだ。
なのに、目が覚めたらいる。毎日いる。もはや呪いの装備かって思うくらいいる。んもー意味分かんなくて発狂しそうだよぉ。
……しかも、困ったことに悩みの種はそれだけじゃない。ほんとに困ったことに。
「はぁ……」
ため息をつきながら、洗面台の姿見に写る自分を見る。
そこには、いつも通りかっちょいい俺の顔。うん、今日もイケメンだ。顔は死んでるけど。
イケメンさに満足したあと、俺は自身の前髪をまくり、額を露出する。
すると。
「……ほんと、なんなんだろうなこれ」
自分の顔、その右額にある――黒い刻印のようなアザを見て、呟く。
「ケガとかじゃないし、呪いでもない。黒だから聖印でもないと思うし……マジで、なんだこれ」
この印が現れたのは数十日前。ちょうどエンリを消滅させて、あいつらからマギコスマイア中を逃げ回ったあとくらいのこと。
触ってみても痛みはなく、呪いかもしれないと調べてみてもそれでもなく、もしかしたら勇者に選ばれた証である聖印かもと一瞬だけ思った。
しかし、歴代の聖印は赤、青、金、白……などなどと、黒色は前例が一切ない。だから、聖印であるとは思えない。というか思いたくない。今更勇者になりたくない。絶対、マジで。
まあ、正直このアザがあるだけなら別に気にしない。放っとけばいいだけだし。
だけど――
「…………"喰え"」
俺は《異空間収納》から携帯栄養食を取り出して空中に投げ、ただそう念じる。
「――! ――!!」
その瞬間、何も無かった空間が湾曲し、虚空から出現した禍々しい物体が、栄養食をバクンと飲み込んだ。
その物体はゆらゆらとまるで生きているかのように蠢き、開かれた口から鋭い歯や牙を覗かせる。まるで――エンリが使っていた《捕食》とうり二つ、そっくりな物体が。
「……」
次に、無言で右手を虚空に突き出し、ある物体をイメージする。
すると、手のひらの中に禍々しい、黒い魔力の粒子が発生し始めた。
そして、それはやがて収束し、一つの塊――"黒剣"へと変化する。俺がエンリの《捕食》を切り裂いた、あの黒剣に。
そう、俺のもう一つの悩みの種は――あれからなぜか使えるようになった、このよく分からん力のことである。
念じることで、対象物をバクリと喰い、虚空へと引きずり込む禍々しい物体。
喰ったものがどこに行ったのかは分からない。でも、食べたものの味を味覚として感じられ、満腹感も膨れることから、俺の腹の中に収まっているのかもしれない。
おまけに、ずっとしまえなくてクソ邪魔だった黒剣も、念じるだけで、こうして一瞬で出したり消したりできるようになった。
正直言うとめちゃくちゃ便利で最高。この《捕食》、上手く使えば近くの物を牙で挟んで、自分が動かずとも持ってくることができるし、食事も一瞬だから口を動かす手間も省ける。クソうざい黒剣に悩まされることもない。
それだけなら最高の能力だ。最高なのだが――。
「……得体が知れなさすぎるんだよなぁ」
意味わかんなすぎて気持ち悪いのだ。
そもそも、俺はエンリの《捕食》を見ただけだ。術式の解析も解読もしてないし、使えるのはおかしい。いくら俺が見て身体で覚える派の人間だとしてもおかしい。
「見た目もキモいし、こんなの使ってるところ見られたら魔人だと思われそうだし……」
そのせいで、便利だけど使えない。マジでめっちゃモヤモヤする。
「あー、もうめんどい……何も考えずに寝たい……」
でも、できない。額の刻印とかはまだしも、ラフィネたちが何で俺を見つけられるのかの原因は突き止めなければ、快適に安眠することもできない。ストレスマッハで死にそう。
「…………くそ、仕方ない。あいつにお願いして、あそこに行って――」
俺は頭を捻らせたあと、結論を出した。
おそらく……あの場所なら、何らかの情報を得られるはずだ。立ち入り禁止だから一般では入れないが、あのクソ猫に許可を申請して貰えれば入れるだろう。腐っても魔導機関の重要人物だし。
「じれいさまあ、こまりまふ、わたひはにへませんはら……」
「…………」
未だ、幸せそうに夢の世界にいるラフィネに、更に10枚の毛布を積み上げておいたあと、俺は宿屋の扉を開ける。うんうん唸ってるけどきっと幸せな夢を見ているのだろう。
そして、死んだ顔で、重い足を気怠げに動かしてある人物の元へと向かいはじめた。
あの場所……【魔導図書館】への立ち入り許可を貰うべく――クソ猫アルディの元に。心底だるい足取りで。




