46話 誓い
レイが死んだと聞かされた時、最初は夢か何かだと思った。レイが死ぬわけが無い、目が覚めたらいつもの日常がやってくるはずだと。
だから、レイの葬儀が国全体で大々的に行われた時も、涙は出なかった。ティズたちがみんな泣いて、街の人たちが英雄の死に嘆いているのを、ただ傍観者のように見ていた。
実感が無かった、現実が受け入れられなかった。レイが死んだなんて、認めたくなかった。
でも、何度寝て覚めてもレイが居ない現実は変わらなくて……いつまでたっても、レイは目の前に現れてはくれなかった。
レイの事を考えると、酷く胸が締め付けられるようにぎゅっと痛んだ。心の中にぽっかりと空洞ができたかのように、何か大切な物が抜け落ちてしまったような気がした。
分からなかった。なんでこんなに痛むのか。今すぐ叫びたくなるくらいに心がすさんでいるのかが。
ただ、食事も取らずに自分の部屋で寝て起きてを繰り返すだけの生活を送っていた。現実から夢の世界に逃避して、目が覚めたらレイがそこにいる日常を待ち望んでいた。
「イヴっち……先生はもう、死んじゃったんだよ……? だからもう、止めようよ……ちゃんと、ご飯を食べないと……」
ティズは日に日に痩せていくわたしを見て、そう心配そうな声を掛けてきた。
「そんなこと……ない。レイは、生きてる。また、明日になればきっと……」
「みんな、心配してるよ……私だって、先生が死んだなんて信じられなかった。……でも、受け入れるしかない、でしょ? 本当は嫌だよ、だけど――」
「受け入れる必要なんてない。だってレイは……死んで、ない」
死んでいない、誰がなんと言おうと、レイはまだ生きている。生きているはずなのだ。
「イヴっちが、先生を"好き"だったのは分かるよ。でも……もう、先生は居ないんだよ。だから――」
「――? "好き"……?」
ティズの言葉に、引っかかりを覚えた。何を……言っているのか。わたしがレイの事を好き? どこをどう見たら――
「え……好きだったんじゃないの? いつも目で追ってたし、先生と一緒にいるとドキドキするって言ってたから……もう、ずっと前に気づいてるのかなって……」
「そんな、こと――?」
"無い"、と否定しようとする。……でも、なぜか言葉が出てこなかった。
脳裏に、今までの行動が過る。
――一緒にいると心臓がドキドキとうるさくなり、顔を見られると恥ずかしくなって赤くなる現象。
――風邪が理由で修行を中断され、なぜか残念に思う気持ち。
――かわいいと言ってくれなくて、何が何でもこの男に言わせようとムキになった感情。
一緒にいると心の中が暖かくなって、子供っぽいところを見ると可笑しくなって笑ってしまう。レイが好きな魔道具の話をできるようになりたくて、一生懸命勉強していた。
何気なく、自然にそう行動していた。自分の事なのに、気付いてすらいなかった。
そうだ、そうだったのだ。わたしは、レイの事が――
「……ぁ」
地面にポトリと、水滴が落ちた。わたしの目から、ポロポロと水が落ちる。
物語や本で、恋という物は知っていた。王女様が勇者を想う気持ち自体は知っていた。
でもそれが、具体的にどういう感情なのかは分からなかった。自分自身が誰かを好きになったことも無かった。……だから、気が付かなかった。気が付けなかった。
「なん、で……!」
奴隷になって全てを諦めて、それから殆ど出ることがなかった涙が、拭っても拭ってもなお、止まることなく目からあふれ出る。レイの葬儀でも出なかったのに、もう涙なんて枯れたと思っていたのに。
「ぅぁ……ぁぁ……」
ティズが涙を流すわたしを優しく抱きしめ、その暖かい体温を感じて、逃避していた心がやっと非情な現実を理解し始める。自分の想い人がもう既に居ないことを。これは夢じゃないという事を。
気づいたときにはもう、遅かった。遅すぎた。
レイはどこにもいない。もう一緒に修行することも、魔道具のことで話をすることも、何気無くからかわれることもない。してくれない。
「先生は前に……"俺に寄り掛かるな"って、言ってたよね。あの時はすごく悲しかったけど……こうなってみて、分かったんだ。あれは、私たちを先生に依存させない為に言ったのかなって。……先生がいつも冷たい態度だったのも、一人の人間として自立させるためだったんじゃないのかなって」
あやすように抱きしめる、ティズの言葉。
その胸の中で、わたしはどうしようもなく悲しくて辛くて、取り戻せない事実が嫌で嫌で、ずっと泣いていた。ずっとずっと……涙が枯れるまで泣いていた。
¶
「――レイ……今日はね、魔導学園の入学式だったの。まず最初に魔力測定をしたらね……学年で一番だったんだ。これも全部、レイのお陰」
――あれから。レイが眠りについてから、一年が経った。
街の中心部に建てられた、色とりどりの花が添えられている豪華で大きな墓の前で、誰に聞かせるでもなく、一人で静かにつぶやく。
墓標に刻まれている名前は――"英雄レイ"。
レイが眠りについた後、国内では多くの波乱と変化が起こった。
その中でも一番大きな出来事は……マギコスマイア国内に、誰もが受けられる教育機関の設置と、生活に必要な最低限の収入を得るための、仕事の斡旋と醸成を国が政策として行ってくれるようになったことだろうか。
これにより、スラムや貧困に困っている人々が自由に教育を受けられるようになり、結果的に経済が潤うようになった。
始めは反発や反対意見が多かったけど……反対していたのはほとんどが富裕層の貴族で、大多数の国民は賛同していたので、反対意見を押し切って施行されることになった。
これは……全部、国を救ってくれたレイの意向を尊重するために行われた政策であり、国民の国家への不信感を無くすための政策。
というのも……レイが埋葬された後、様々な事実が発覚したのだ。
まず、国内で前から騒動になっていた"義賊騒動"が、レイのやっていたことだと判明した。
それだけならただの犯罪者として終わるはずだった。でも……レイが殺害した貴族の全員が、残虐的な何らかの悪事や犯罪を行っていたことが分かり、マギコスマイア国内では犯罪のはずの"奴隷"を扱う、奴隷商人と繋がりがあるということが発覚したのだ。……その奴隷商人たちも、後に死体で発見された。
加えて、貴族たちに買われていた違法奴隷全員の住むところを用意し、国から放置されていたスラムの人たちにも自立するまで生活の面倒を見ていたことが分かった。……つまり、レイはわたしたちだけではなく他にも救っていたという事。ときどきふらっと出ていって帰って来ないのはそういう事だったのだ。
殺された貴族たちの私財は全て貧困層の、日々の生活に困窮していた多くの国民の元へばらまかれていたこともあり、レイのその義賊的な行動は国民に対して大きな感動を与えた。……英雄レイについて書いた本や創作物語が大量に作られ、死んでいるにもかかわらず数多くのファンクラブが設立されるほどに。
もともと、貴族に対して不信感が募っていた国民たちは、以前から平民がたびたび攫われる事件が多発しているにもかかわらずきちんと対応してくれなかった事もあって、国に対して更に不信感を抱いた。そして……溜まりに溜まった不信感が爆発して、国民たちはデモを起こした。
そして結果として、貧困格差をなくすために、誰もが受けられる教育機関の設置と、貧困に困っている人々のサポートする政策が施行されることになったということである。……これもすべて、レイのお陰だ。
「そうだ……もうすぐ、"英誕祭"が始まるんだよ。レイを称える祭りで……みんながレイと同じ、赤髪に仮装するの」
英誕祭は一年に一回、英雄レイが国を救ってくれたことを称える行事として行われるイベントだ。今回は第一回なので、街の人たちも気合を入れて準備をしていた。
「そこでね……これ」
長方形の一枚の紙――英誕祭の時にある場所で行われる、展覧会のペアチケットを取り出す。
「……古代遺物を展示する展覧会のチケット。凄い倍率だったけど……応募したら、当たったの……すごいでしょ」
そう言って、数多くの古代遺物や魔道具を所有する、"水精霊"との契約魔法に関しての情報を保有している貴族――ドゥルキス家が開催する、"古代遺物展覧会"のペアチケットをじゃじゃんと自慢するように広げる。
「でも、今年は行けない、ね。まだ……ぜんぜん見つからない、から……」
進展の無い現状に、目線を地面に落とす。
1年前……わたしはもう、レイとは二度と会えないと思った。この気持ちを伝えることは、二度とできないんだと。
でも――ひときしり泣いて、涙が出なくなった時……ふと、ある事を思い出したのだ。前にレイに少しだけ聞いたことのある、ある一つの魔法の事を。
――《世界樹の祝福》
それは御伽噺に出てくる、あるかどうかも分からない眉唾物の《回復魔法》。無条件で蘇生が可能な、伝説の魔法。
《世界樹の祝福》を習得するために必要な魔力量や方法は一切不明で、名前と効果だけが独り歩きしていた。……でも、数多くの文献を調べて、一件だけ実例が存在していることを発見したのだ。……古い文献の情報で、はるか昔に"魔王を倒したある勇者を生き返らせるために聖女が行使した"、という情報が。
なら、それなら――まだ、可能性はある。レイにまた、会えるかもしれない。
……あれからずっと、後悔していた。なんであの時、レイの元へ駆け寄ってしまったのだろうと。わたしの《回復魔法》なんかで癒せるわけでもないのに、白魔導士たちに任せるでもなく駆け寄ってしまったのかと。
今更こんな事を考えても、無駄なのは分かっていた。だってもう一生訪れることが無い、もしもの話だ。でも……考えずには居られなかった。わたしが駆け寄らなければ、死ぬことは無かったかもしれないから。
自分を責めるわたしに、みんなは優しい言葉をかけてくれた。わたしは悪くないんだと、わたしのせいじゃないんだよと。
だけど……この身体から発生した黒い魔力が龍に吸い込まれていく光景を見ていたわたしには、自分が原因でレイが死んだとしか思えなかった。
加えて、あれから加護の力が弱くなったのか、切り傷程度の小さな怪我しか癒されないようになり……比例して、同程度の厄災しか与えないようになった。
その事実は、ずっと求めていたものだった。これでもう、誰かを殺さないで済むようになったのだ。嬉しくない訳が無い、嬉しい事のはずなのに……わたしの心は沈んでいて、喜ぶことができなかった。
「だから……また来年。もしかしたら、無理かもしれないけど……でも大丈夫。いつか、いつかわたしが、必ず――」
前に"傷つけた分だけ癒せばいい"と、レイは言った。
レイが死んだのは、わたしのせいだ。わたしがレイを傷つけてしまった。……なら、それならわたしが――
「――――あなたを、生き返らせる」
自分でも無謀なことだと分かっている。何年、何十年かかるかも分からないし、そもそもそんな、あるかも分からない眉唾魔法を探すなんて正気の沙汰じゃない。
でも……それでも、わたしにはもうこれしかないから。レイにまた会うためには、これしか希望がないから。……だから、どんなに時間がかかっても何を犠牲にしてでも、絶対に見つけだす。見つけてみせる。
「だから……待ってて」
大切な人が眠る墓をまっすぐに見ながら、ぽつりと呟く。
……貴方は、何もない生きる希望が無かったわたしに、生きる意味を教えてくれた。イヴという名前を与えてくれた。悪魔だったわたしを人間に戻してくれた。救ってくれた。
ぶっきらぼうで自分勝手で失礼で……いつもどうでも良さそうな冷たい態度の貴方だったけど、それでも困っていたら手を貸してくれて、裏ではいつも気にかけてくれていた。そこには確かに、優しさがあった。
「じゃあ……また、来るね。来年は一緒に行けると、いいな」
それだけ言って、振り返らずに歩き出す。
――わたしが馬鹿で未熟だったせいで、貴方を死なせてしまった。なら……わたしは、あなたに教えて貰った方法で、貴方を生き返らせる。
やりたい事や伝えたいことがたくさんある。魔道具の事で話したいし、精一杯おしゃれした姿を見て可愛いと言って貰いたい。
それに……今はまだ言葉にしたくても出来ないけれど、また会えたそのときには――この想いを、伝えたい。
嫌われてもいい、拒否されてもいい。ただ一言、話すことができて、貴方が幸せになれるのであればそれでいい。
レイに好きな人がいて、選ばれるのがわたしじゃなくても……本当は嫌だけど構わない。……すぐに諦めることはできないかもしれないけれど。好きになって貰うために猛アタックしてしまうかもしれないけれど。
だから……いつかまた出会うそのときは、この気持ちを――