40話 変な風邪
それから――レイは宣言通りわたしたちの首輪を外し、他の子どものやけどや欠損部位を《回復魔法》で綺麗に治した後、「あとは好きにしろ」と言って解放してくれた。
子どもたちは始めは呆然としていて、夢か何かだと思っている顔になっていた。でも、少しして理解できたのか、治らないと思っていた自分たちの手足や顔を見て泣いて喜んでいた。
出るか残るか選択を与えられた子どもたちは全員、家に残ることを選んだ。そして――レイに更に、懐くようになった。……レイは何故か、嫌そうな顔をしていたけれど。
そしてわたしは――指導の下、《精霊契約》をできるようにするために、更に《回復魔法》を教えて貰うようになった。
現段階では行使する際に必要な魔力量が圧倒的に足りていないらしく、毎日食後に、かなり苦い魔力増強剤を飲むことになった。泣きそうになった。
レイの指導は生易しいものではなく、厳しかった。
「限界を超えるために魔力切れで倒れるまで行使しろ。倒れたらまた魔力回復薬を飲んで繰り返せ」と言われ、倒れて気絶しても強制的に起こされて飲まされ、《回復魔法》を行使させられたり、
「健康的な身体の方が魔力の質がいい」と言い、朝早くから夜遅くまで走らされたりした。
この他にも、魔力を上げる為という名目で、よく分からない薬を飲まされ……人体実験紛いの事もされたりした。この男はもしかしたら悪魔なんじゃないかとも思った。
でも……それでも、辛くはなかった。むしろ――嬉しかった。
だって、わたしの為に、こんなにも色々と考えてくれているということが分かったから。面倒くさがりながらも、傍にいてくれたから。
毎日傍にいてくれるわけでは無く、今まで通りよく「少し出てくる。ちゃんとサボらずやれよ」とどこかにふらっと居なくなることもあった。でも、それ以外はわたしと一緒にいてくれて……それが、嬉しかった。だって――わたしの傍にいてくれるのは、レイだけだったから。
¶
「……」
その日は、広い庭の隅っこでレイを待っていた。
今日はいつもと違い、《回復魔法》を自分以外の対象に行使する実践をするらしく、朝の早い時間帯に庭に来ていた。
事前にレイが他の子どもたちに「協力してくれる奴は明日の朝、庭に集まってほしい」と言ってくれたので、この家に住んでいる全員がそこに集まっていた。
だけど……わたしは本当はやりたくなかった。嫌だった。だって――
「……」
四方八方から向けられる、恐れているような鋭い視線。わたしはそれから逃げるように、目線を地面に向ける。
わたしは――みんなに、煙たがられていた。
でも……それもそうだ。当たり前だ。だって、ここにいるみんなは、わたしの加護の事を知っている。違法闘技場で何度も、この加護で他の奴隷を殺していたわたしの事を知っているのだ。そんないつ自分たちを襲ってくるかも分からない加護を持っている人間に近づきたくないと思うのは当然だろう。
それに……わたしは、レイに《回復魔法》を直接教えて貰っていて、やっかみを受けているという事もあった。敵意こそあっても、好意なんて持ってくれる訳が無かった。
それでも中には、わたしの事を知らず話しかけてこようとしてくれる子もいた。……他の子に呼び止められ、ひそひそ声で何かを話していた後、すぐに逃げるようにどこかにいってしまったけれど。
「――ねっむ……悪い、遅れた」
予定していた時間よりも大幅に遅れた時刻。眠そうな様子のレイが来て、実践を始めることになった。でも――
「よし、じゃあ始め――」
「――"先生"! なんでそいつばっか贔屓するんです……! そいつは悪魔で……呪われてるんです! そんな奴――」
始めようとしたとき、一人の少年が我慢出来ないといった様子で、そう叫んだ。
「……はぁ? 何言ってんだ? 俺は誰も贔屓なんかしてないんだが。……あと、先生は止めろって何度も言ってるだろ」
「でも……最近はそいつに付きっ切りじゃないですか! 僕たちだって――」
「それは、俺じゃなきゃこいつに《回復魔法》が教えられないからだ。お前たちと違って本が無いからな。……というかそもそも、お前らは勘違いしてるぞ」
レイは心底嫌そうな声で、吐き捨てる。
「俺はお前らの親でもないし先生でも無い。赤の他人だ。今は利害の一致でお前らに教えたりしてるが、ずっとお前らと一緒にいるわけじゃない。だから――俺に寄り掛かるな。迷惑だ」
レイのその切り捨てるような冷たい言葉に、子どもたちは目を見開いて呆然としたあと、悲し気な表情で地面に顔を落とす。
「でも……そいつは、悪魔なんですよ……! そいつの近くにいたら、"呪い"が――」
それでもと、その少年はわたしの方をキッと睨みながら、心配そうな声色でそう呟いた。
きっと――どんな形であれ、自分たちを助けてくれた存在であるレイに危害が加わるのが許せなかったのだろう。それで、わたしの近くにいたら危ないとレイに忠告したのだ。
「悪魔って……お前らにはこいつに角とか翼が生えてるように見えてるのか? 俺には普通の人間にしか見えないぞ。……あと、こいつのは"呪い"じゃなくて"加護"だ。お前ら呪いだなんだってビビりすぎだろ。近づいただけで死ぬわけじゃない」
レイは呆れた様子でそう呟いた後、何かを閃いたのか「そうだ。……お前ら、見てろ」とだけ言って、こちらに歩いてきた。
そして「少し動くなよ」と言い、わたしの背後に回る。レイが何をするのか分からず、疑問符を頭に浮かべる。すると――
「――ふぁ」
両のほっぺたに、レイが付けていた籠手が触れた。その冷たい感触に思わず驚いて、声を漏らしてしまう。
そのままレイは、わたしの頬をぐにぐにとこねくり回すように動かし、口をおちょぼ口にさせて変顔させたり、横に引っ張ってぐにーっと伸ばしたりした。
「――ほら、俺は死んでないだろ?」
そして――しばらくこねくり回した後に止めて、自分が生きていることを証明するように手を広げた。
「別に――こいつの加護は、殴られたり蹴られたりして身体に危害が加わらなければ発動することはない。だから、普通に生活してれば問題ないんだよ。……つまり、お前らはビビりすぎ。それともなんだ? お前らは殴ったり蹴ったりして、自分たちがされてたことをこいつにするつもりか?」
「――ッ!? 僕、は――」
少年はレイの言葉に目を見開き、わなわなと口を動かす。そんなこと考えてもみなかったと言わんばかりの表情だった。
そして、少年は逡巡するように目線を揺らして――
「ごめん……! 許して、くれないか」
――わたしに向かって、頭を下げて謝罪した。
「……え?」
なぜ謝られたのかが分からず、混乱する。
「……あいつらと同じ事をしそうになってるなんて、思っても無かった。自分がやられて嫌だった事を君にしようとしてたなんて――最低だ。……本当に、ごめん」
少年は沈痛そうな声で、頭を下げ続ける。
その後、なぜかほかのみんなからも謝罪された。そして……当初の予定通り、《回復魔法》を他の対象へ実践をすることになった。
最初は、まだ怖がられていたりしたけど――わたしの近くに居て話したりしても何も起きない事を知ると、徐々にそれも無くなっていった。それどころか、実践終了の時間帯には親し気に、いろいろと話しかけられるようになったのだ。
わたしは――困惑した。ひどく困惑した。
だって、こんな風に嫌な顔をされずに話しかけられることなんて無かったから。居たとしても、それは嘘だったから。偽物だったから。
でも……話しかけてきてくれたみんなの顔にはそんな様子が全くなくて、嘘を言っているようにも見えなかった。みんな楽し気に、わたしに接してくれているように見えた。
「――よし、見たところ……他の対象への行使は問題なさそうだな。じゃあ次は――」
特に異常が起こることはなかった結果を見て、満足したように頷くレイ。
わたしはそんなレイを見ながら、さっきぐにぐにとこねくり回された頬に手で触れる。
すると……つねられてから結構時間が立っているのにも関わらず、頬が熱い。つねられた時の痛みはもうないはずなのにまるで――風邪を引いているかのように、頬は赤い熱を帯びていた。
「……風邪?」
おまけにどういうわけか、爆発しそうなくらい心臓がドキドキと躍動していて、苦しかった。……さっきまでは何ともなかったので、風邪を引いたのかもしれないと思った。
「――をしよう。……おい、聞いてるか? ……ん、なんかめっちゃ顔赤いけど……風邪引いたのか?」
「っ!? ……うん、たぶん」
ぼーっとしていると……レイがそう言って、顔を近づけて覗き込んできた。わたしは何故か恥ずかしくなって、顔を逸らしてそっぽを向く。
なぜか、レイに顔を近づけられてから更に心臓がドキドキとうるさくなった。顔も、火が出るんじゃないかってくらい熱い。……やっぱり、風邪なのだろう。
レイはわたしの返答を聞いて、「風邪か……じゃあ今日は休みにするか! ……よし、今日はだらだらするぞ」と嬉しそうな声で言った後、自分の部屋に走る様に去っていった。
それを見て……少しだけ残念に思った。何でそう感じたのかは分からない。もしかしたら、今日はもっと魔法の実践をしたかったのかもしれない。風邪なのにもっとやりたいというのはどうなのだろうとも思うけれど。でも……なぜだろう。なぜか――
「……?」
レイの姿を頭に浮かべると――ほんのりと心が暖かくなって、そのたびに心臓がどきどきとうるさくなる。
やっぱり風邪なのかなと思い、その日は自分の部屋の毛布にくるまって休んだ。風邪を早く直して、修行を再開しなくてはならないからだ。
次の日、起きた時には熱は無くなっていた。でも……なぜかレイと一緒にいると顔が熱くなって、またドキドキと心臓がうるさくなることに気づいた。
「……? ……変なの」
わたしは変な風邪だな、と首を傾げた。