39話 名前
「――よし、じゃあ明日から本格的にやるぞ。お前にもあの滅茶苦茶苦い魔力増強剤を飲ませるからな。毎日だぞ」
鎧男は楽し気な声色で呟く。少女はその様子を見て、自分の考えていた鎧男のイメージ像と乖離していると感じた。
そもそも――少女たちは奴隷であり、いずれ売り飛ばされる存在のはずだ。なのに、この男は態度こそ冷たくて突き放すような態度だが、少女を一人の人間としてみているように見えた。少なくとも、奴隷として扱ってはいないように見えたのだ。
「あなたは……わたしたちを、売ろうとしてるんじゃ……ないの?」
だから、疑問に思った少女はそう聞いた。鎧男はそれを聞いて、「はぁ? そんなこと言ってないが」と疑問の声を出す。
「だって、"俺の為にしてること"って……言ってた」
一人の奴隷が「助けてくれたんですか」と聞いた際に、鎧男がした返答。確かに、そう言っていたはずだ。なら――
「確かに言ったけど――売ろうなんて、微塵も考えてない。……というか、もうお前たちは奴隷じゃないんだから売るも何も無いだろ」
鎧男が言ったのは、予想とは正反対の言葉。
「でも、この首輪だって――」
「ああ、それはだな……えーっと……なんていうかその――」
もごもごと言いづらそうにバツが悪そうな声色を出す鎧男。そして、少し後にため息を吐いて。
「……だって、いきなり解放とかされても困るだけだろ? それで生きていけずに死なれたりしたら気分悪くなるし……なら、最低限の生活と教養を教えたあとで、首輪を外そうと思ってたんだよ。ここにいる奴らは年齢層も若くて教養が無いみたいだから……金だけ渡して放り出す訳にはいかなかったんだ」
鎧男はそう呟いた後、心底怠そうに肩を落とす。
「でもまあ、そろそろいいかもしれないな? ……よし、じゃあ明日、他の奴の首輪も全部外して……欠損部位とかも《回復魔法》で治しとくか。ここから出ていくのも残るのも自由にする、修行が嫌になって出ていくなら必要なだけの金をやるよ。好きにしろ」
「なんで……そんなこと、あなたがする理由が……」
奴隷として売るわけでもなく、住む場所を提供して金を渡すなんて意味が分からない。そんなことをして、何の益があるというのか。
「理由ならある。単に気に入らなかったのと……勇者になれるかもしれないからだ。つまりは俺の自己満足。俺はお前たちを利用して勇者になれる確率を上げる、お前たちは俺を利用することができる。お互いにウィンウィンだな?」
「……うぃんうぃん?」
少女はその言葉に首を傾げる。言っている意味が理解できなかった。
自分たちが鎧男に渡せている物なんて何一つとしてないはずだ。それなのに、この男は奴隷である自分たちと対等であると主張してくる。意味が分からなかった。
「じゃあ……なんで、ずっとそれを付けてる、の。あなたの名前も教えてくれないし、私たちの事も"お前"とか"おい"とかでしか呼んでくれない……」
顔を俯かせながらそう言うと、鎧男は「うっ……それは……」と気まずそうに身体を竦めて、
「ちょっと見つかりたくない奴がいるというか……やむにやまれぬ事情があってだな……」
と、落ち着きのない様子で言った。
「指名手配で逃げてる……とか?」
「はぁ? そんなわけないだろ、俺を何だと思ってんだ」
少女が疑問に思った事を聞くも、不快げな声色で即答。
不思議と……嘘を言っているようには見えなかった。なんとなく、直感でだが。
「なら……名前は――」
「うぐっ……ちょ、ちょっとそれは……言いたくないというか――」
「……」
じーっと、無言で見つめる少女。鎧男はその視線に気まずそうに「いやほんとに名前はちょっと……」ともごもごとする。
そして、少しあとに視線に耐えられなくなったのか、小さな声で。
「…………ぃレイだ」
と言った。
「……レイ?」
少女は聞こえた名前を復唱する。若干、名前の最初に何か言っていたような気がしたが、小さすぎて聞こえなかった。
「……まあ、俺の名前のことはどうでもいいだろ。お前はどうなんだ。人に名前を聞くときは自分も言うのが常識だぞ」
鎧男――レイは、早口で少女にそう問いかける。その様子はどこか誤魔化そうとしているようにも見えた。
少女は、自分の名前を思い出そうとするが――
「……ない」
ぽつりと、そう答えた。いくら考えても思い出せなかったから。
「ないぃ? ……それは困るな」と考え込むように腕を組み、思案するレイ。「……自分で付けたい名前とかは?」と聞かれるも、少女はふるふると首を振る。
レイは「うーん……どうするかな……」と長考した後。
「じゃあ――"イヴ"ってのはどうだ? ほかに気に入った名前が出来たら、そのときはそっちにしてくれ」
「……"イヴ"」
提案された名前を復唱する。なぜか……すとんと胸の中に落ちた。まるで初めから、これが自分の名前だったかのように。
「……なんで、イヴ?」
由来が気になり、そう聞いてみるが。
「なんとなく、語感でだ。よくある名前だし」
適当な返答が帰ってきた。
「……なにそれ、ひどい」
顔をムッとさせて、抗議するような目でレイを睨む。もう少しよく考えてくれてもいいのではないかと思った。
「気に入らないなら自分で考えろって……ってか、もうこんな時間じゃん。お前のせいで俺の貴重なぐうたら時間が失われたぞ。もう寝るからお前も早く部屋に戻れ。明日からいろいろ修行させるからちゃんと寝ろよ」
少女は「さっさと寝ろ」と背中を押され、乱雑に部屋の外に追い出されてしまった。
「わたしは、イヴ……」
追い出され、自分に割り当てられた部屋に戻った後……毛布に包まりながら、与えられた名前を復唱する。
その名前を言うたびに――何故か、胸がほんのりと暖かくなる感覚を覚えた。
何となく……その感覚は、心地よかった。