38話 衝突
「殺してくれるなら、何でもします。どんなことでもします。だから……お願い、します」
少女はシミ一つない白くほっそりとした裸体を一切隠すことなく、鎧男に晒す。
少女にとって、自分の裸を誰かに見せるのは初めての事だった。
だが――自分の容姿が他の奴隷よりも優れているという事は何度も奴隷商たちが言っていて分かっていたし、自身の身体を性的な目で見てくる男性も多かった。加護があることで、誰も手を出してくる事は来なかったが……自分の容姿が魅力的に映っているのだろうと思っていた。
だから……そういった経験は一切無かったが、同じ男性である鎧男にもこう言えばお願いを聞いてくれると考えた。それ以外、自分がメリットとして渡せる価値のものが無いということもあった。
「……」
実際、少女の目論見通り――鎧男は何も言わず、無言でこちらに近づいてきた。
鎧男はずんずんと近づいていき、少女の裸体に手を伸ばす。少女はこれから自身にされるであろう事に、覚悟を決めるようにぎゅっと目を瞑る。だが――
「――?」
ファサっと、何か布のようなものが身体に触れて、目を開ける。見てみると……近くにあった毛布が、少女の裸体を隠すように身体に被さっていた。
「――冗談は止めろ。早く服を着て、出ていけ」
鎧男はこちらに背を向けた状態で、低い声で呟く。
「……冗談じゃない、です。本当に、この身体を好きに――」
少女が言いかけるが。
「――ふざけるなよ。いいから早く服を着て出ていけ」
「ふざけてなんか……いません」
「ふざけてるだろ。殺してほしい? 殺してくれるなら自分の身体を好きにしていい? お前――自分を、何だと思ってんだ?」
低い声を荒げ、怒っているような様子で言葉を吐き出す鎧男。少女はなんで鎧男が怒っているのかが理解できず、言葉を飲み込んだ。
「……俺はたったいま、お前のことが世界で一番嫌いになった。大嫌いだ」
「別に、嫌われてても――」
少女の言葉を遮り、
「いいか、俺は俺の事が大好きだ。世界で一番大事にしてるし、何なら自分の事しか考えてない。他人のことなんか知ったこっちゃないし、俺は自分さえよければ他はどうでもいい」
独白するように、言葉を吐き出す鎧男。
「自分のことが一番大切だし、愛してると言ってもいい。このイケメンな顔も、性格も、名前も……全部気に入ってるし、一度たりとも嫌だと思ったことはない。だから――」
声を荒げながら続けて。
「――俺はお前みたいな自分すらも好きになれない、大切に出来ない奴がだいっ嫌いなんだよ。反吐が出るほどにな」
吐き捨てるように、そう言った。心底不機嫌そうな声色で。
「そもそも――最初から気に入らなかった。やりたいこともない、人生諦めてますって顔で牢屋の中に引きこもってるお前のことがな。あの時はお前の加護の事なんか知らなかったからそれでも仕方がないと思っていたが……いまは違う。お前は現状を変えようと動くこともせず、いつまでも過去に囚われて行動しなかった――――臆病者だ」
鎧男は馬鹿にするように嘲るような態度で、次々と言葉を吐き出し、少女を罵倒し否定する。
少女はただじっと、顔を俯かせて何も言わずにその言葉を聞いていた。何を言われても大丈夫だと思っていた。だが――
「どうせ――そうなった理由も大したことじゃないんだろ? 親が殺されたのか? それとも親に捨てられたか? まあどちらにせよ――その程度で死にたい死にたいって意味が分からないけどな。馬鹿じゃねえの?」
煽るような、苛立たせる態度で無神経に罵倒してくる鎧男の言葉に、反応してしまった。
「……あなたに、何が分かるの」
だから、何も言うつもりが無かったのにそう言葉が漏れた。何も事情を知らず、無神経に罵倒してくるのが許せなかった。
「わたしは、この加護のせいで妹が死んで、それで――」
「あーあー、別に言わなくていい。お前の過去に何があってそんな風になったのかはどうでもいいし、聞きたくもない」
「――! それなら、分かったようなこと――」
馬鹿にする態度で腹が立つ言動をする鎧男を睨みながら、少女は声を荒げる。だが、鎧男は構う事なく次々と言葉を吐き出す。
「俺はお前のことなんか何にも知らないし、知るつもりもない。さぞかし大変な目にあってきたんだろうな? それだけはほんと同情するよ。だけどな――」
鎧男は言葉を続けて。
「――それが理由で、お前が自分の人生を諦めるのは、ただ逃げてるだけにしか思えない。例え家族を失っても、何度失敗しても、魔法が一切使えなくても、才能が無くても――諦めて止まったら、それは逃げただけだ。生きている限り、それはただの言い訳だ」
「……言い、訳?」
睨みながら、復唱する。
「ああ、言い訳だね。……そもそも、人生死ななきゃなんとでもなる。本当に嫌なら全部放り投げればいい。過去なんて気にせずに、未来のことだけ考えてりゃいい。周りの人間なんて気にせずに、自分のしたいようにすればいい。……人間、自分のやりたいようにするのが一番だからな」
「……っ!」
少女はその、あまりにも理想論な理屈に、言葉を飲み込む。確かに、その言葉は間違っていない。どんなに辛い事が起こっても忘れて未来に思いを馳せればいい。そうすれば自分で自分を苦しめないで済む。だが、そんなもの――
「できるわけ、ない」
少女にはできなかった。鎧男の理屈は、心が弱い少女にはできるはずがなかった。
両親に捨てられて奴隷になって、
何度も期待しては裏切られて、
誰からも必要とされなくて、
加護のせいで誰も殺したくないのに殺して……
そんな人生を送ってきて、未来に希望を抱くなんて出来るわけが無かった。何をしたいかも分からない、夢も目標も無い自分が、過去を忘れて未来を生きることなんて出来なかった。
「はぁ? できない、なんてことないだろうが。そもそもお前、そんな強力な加護があるならそれこそ奴隷になることも無かっただろ。お前を強制的に捕まえようもんなら、加護の力で死ぬはずだからな」
鎧男は荒げた声色で、少女を詰問する。
言う通り……奴隷にされる前に、逃げることはできた。逃げたいのならこの加護の力を使って、全員殺してでも逃げればよかったのだ。でも――
「……そんなこと、できない」
できるはずが無かった。どんなに生きたくても、逃げたいと思っても――自分の意思で誰かを、殺したくなかったのだから。
「できないできないって……お前はそれしか言えねえのか? 言い訳ばっかしてんじゃねえよ」
「……じゃあ、どうすれば良かったの」
「どうすれば? そんなの俺が知るわけないだろ。お前の人生は俺が決めるもんじゃないからな。実際問題、俺にとってお前なんか死のうが生きようがどうでもいい。……ただ、俺はムカついたから、気に入らない所を言葉にしてるだけだ。死にたい殺してほしいって他力本願で後ろ向きなお前のことがな」
鎧男は心底どうでもよさそうに、そう吐き捨てた。
「……なに、それ」
口からぽつりと言葉が漏れる。事情も知らない癖に好き勝手罵倒し、無責任に言葉を吐き出す鎧男に、唖然としてしまった。
「わたし、だって……初めから死にたかったわけじゃ、ない」
「ふーん。それで? どうでもいいんだが」
肩を竦ませ、苛立つ動きをする鎧男。少女はその様子に苛立ち、殺意が籠った目で鋭く睨む。
「あなたなんかに、何が分かる。わたしのことなんか何一つ、知らない癖に……」
「知らねえよそんなの。俺は心が読める加護を持ってるわけじゃない。そもそも興味も無いしどうでもいい。聞いて欲しいなら聞くだけ聞いてやろうか? かわいそうだねーって言ってやるよ」
「……どうせ、あなたなんかに言っても意味ない。強いあなたには、わたしの気持ちは分からない」
「はぁ? 強いって……むしろ強くなるために魔物倒したり筋トレしまくったりして強くなれるように努力してんだよこっちは。初めから強い人間がいるとでも思ってんのか?」
「でも……わたし、は……」
顔を俯かせ、擦れた声を吐き出す。
「そもそも……あの牢屋から逃げなかったのも、意味が分からない。結局加護の力で誰かを殺す結果になるなら、逃げるために貴族共を殺せば良かっただろ。……あ、もしかして本当は奴隷のままで居たかったとか? やらされてるから仕方ないとか思いながら、喜んで人を殺してたんじゃねえの?」
「――! そんなわけ、ない……でしょ」
嘲るような態度で言ってくる鎧男の無神経すぎる言葉に、少女は怒りで目を見開き、唇を震えさせる。この男が何を言っているのかが理解できなかった。奴隷のままで居たい? 喜んで人を殺していた? そんな、そんなわけが――
「どうだかな。本当は――」
「――自分で誰かを殺すなんて、出来るわけない……! わたしは、誰も殺したくなんてなかった! 奴隷になんてなりたくなかった!」
鎧男の言葉を遮り、擦れた声で少女は叫んだ。何も反論するつもりなんて無かったのに、事情も知らずに無神経に嘲笑してくる鎧男の言葉に、勝手に言葉が口から漏れ出てしまった。
「家族に捨てられて……助けて欲しくても何度も裏切られて、誰も信じられなくて……みんな、わたしのことを必要としてくれなかった! わたしは何もしてないのに、こんな加護があるせいで……!」
とうの昔に失ったと思っていた気持ちが、言葉となって次々に吐き出される。
「わたしだって、他のみんなみたいに――」
もう感情なんて失ったと思っていた。死んでもいいと本気で思っていた。
「――――幸せに生きたかっただけ、なのに……」
だが……口から吐き出されたのは、正反対の、生への渇望だった。生きたいと願う気持ちだった。
自分でも、何でそんなことを叫んでしまったのかは分からない。ただ、気づいたら心の奥底にしまい込んでいた感情を、言葉として吐き出していた。
「なんだ、やっぱり――本当は死にたくないんだな、お前」
「――っ! そんな、こと……」
鎧男は先ほどの嘲笑する態度から一変させ、優し気な声色でそう呟く。
早く死にたいと思っていた。
"悪魔"である自分は生きてちゃダメなんだと。だから早く死ななくちゃいけないんだと。
でも……鎧男の言葉に反論する言葉が、口から吐き出すことができなかった。
「よし、なら――俺から提案だ。これからの人生は自分のしたいようにすればいい。好きに生きろ」
楽し気な声色で、呟く鎧男。
「……そんなの、できない」
「できないぃ? 何でだよ。お前はもう、誰からも縛られることは無いはずだ。できないなんてことはない」
はっきりと断言する鎧男。だが――
「……わたしは生きてちゃ駄目、だから……早く死ねって、みんな――」
"死んでくれ"、"お前なんかが居なければ"、"化け物"――そんな言葉を、今までで何回も言われた。生きていることを、何度も何度も否定された。わたしは生きていてはいけない人間だと、誰からも必要とされない、害を与えるだけの悪魔だと。
だから――早く、死のうとしていた。求められないなら生きている意味がなかったから。この先いきていても、また誰かを傷つけてしまうだけだから。
鎧男は少女の言葉に「はぁ?」と声を出して、
「……? みんなって……そいつはお前にとって、大事なやつなのか?」
と言った。不思議そうな声色で。
「どうでもいい奴らに言われたところで……そんなの、気にしなきゃいいだけの話だ。誰からも好かれるなんて不可能な話だからな。考えるだけ疲れる」
「……でも」
「あー、もういいから気にすんな。そう言うのは気にするだけ無駄なんだよ、言いたい奴には言わせとけって。……それより大事なのは――他人じゃなくて、自分がどうしたいかだろ? お前がやりたいことをやればいいんだよ」
「……やりたい、こと」
「そうだ。何か一つくらいあるだろ? 昔やりたかったこととかさ」
言われ、少しだけ考えるが――
「……ない」
すぐに、そう答えた。考えても何も見つからなかったから。
鎧男は少女の返答を聞いて「ない? 一つも?」と問いかけてくる。少女は顔をうつむかせながら、コクリと頷いた。
「……じゃあ、これから見つければいい。お前は見たとこ11歳くらいだろ? 時間はいくらでもある」
「……どうせ生きてても、誰もわたしを必要だと思ってくれない」
「それこそ、これから見つければいいだけの話だ。生きてればいつか、お前を必要とする奴が現れるはずだ。間違いない」
「……でも、この加護のせいで、また誰かを――」
「殺してしまうかも……ってことか? ……なんだ、そんなことか」
「そんな、ことって――」
鎧男の言葉に、少女は抗議しようとするが。
「そんなことだろ? だって――傷つけた分だけ、治せばいい。それだけの話だからな」
「ぇ……?」
少女はその言葉に、目を見開いて唖然とした。そんなこと、考えてもみなかったからだ。
「お前には幸い、《回復魔法》に強い適性がある。なら、やるしかないだろ?」
「……回復、魔法」
少女は口を微かに動かし、復唱する。かつて、少女が妹を殺すことになってしまった原因である魔法を。
「……でも」
「でも、じゃない。やる前から諦めるな。挑戦もせずに言い訳するな。……それに加護の方が強くて《回復魔法》で治しきれなかったとしても――やりようはいくらでもある。《精霊契約》で加護を抑えるとか、《世界樹の祝福》で生き返らせるとかな。……まあ、後者はあるかどうかも分からない眉唾魔法だけど」
「――! そんなこと……できる、の?」
驚きながら聞くと、鎧男は「あぁ、俺もあんまり詳しくは知らないんだが――」と、簡単な説明をしてくれる。
聞かされたその内容は、少女にとって希望に満ち溢れていた。
そもそも、自分の加護が抑えられることなんて考えてもみなかった。そんな方法があること自体、知らなかった。
この男が言っていることは嘘かもしれない。だけど、もしこの内容が本当なら――
「――《精霊契約》には代償が必要だ。契約者の魔力量や適性、加護に比例して、代償は重くなる。……だから、契約の前に魔力量をできるだけ上げて、なおかつ契約したい系統の魔法を多く覚えておいた方がいい。お前の場合は――《水精霊》か《光精霊》か? どっちも《回復魔法》と相性がいい精霊だな」
「代償……」
「……《精霊契約》は簡単な事じゃない。最悪の場合、契約できずに死ぬ場合もある。《水精霊》《光精霊》でも適当な精霊と契約したら意味が無いし、お前の加護を抑えられるほど強い精霊と契約しなきゃいけない。並大抵の魔力量の契約者だと、契約すらできないだろうな……それでも、やるつもりはあるか?」
鎧男は続けて、
「やるなら、俺は魔力量の上げ方と複数の《回復魔法》を教える。精霊については……《水精霊》か《光精霊》を研究してる奴とコネを作るしかないか。これはお前が自分でやるしかないけど……どうする?」
真剣な声色でそう問いかけてくる鎧男。
その真剣な声色から、すごく辛くて難しいことなのだと理解した。もしかしたら、逃げ出したくなるようなことなのかもしれない。でも、だけど――
「……」
無言で、コクリと頷いた。少しでもこの加護が無くなる可能性があるのであればやってみたい。そう思えたから。
少女の決意を込めたその瞳の中には、さっきまでとは違った希望の光が灯っていて……もう、暗く濁ってはいなかった。