36話 歪んだ希望
「――お前らに、今日からはこれを教えようと思う」
そんな生活が数カ月を過ぎたころ。久しぶりにやってきた鎧男が来るなり、そう言った。
「……すいしょう、ですか?」
奴隷の一人が鎧男が持ってきた、両手で包み込めるほどの大きさの水晶を見て、疑問の声を出す。
「これは……自分と一番適正のある魔力系統を見るときに使う魔道具だ。基礎教養はある程度身に付いてきたと思うから、これからは併用して魔法も教えていく」
鎧男は綺麗な水晶を机の上に置いて、「よし、まずはお前からやってみろ」と近くにいた奴隷に声を掛けた。
奴隷たちは心なしか少しワクワクした様子で、一人ずつ順番に水晶に手を近づける。
すると、水晶は赤色、青色、緑色……などの様々な色に発光し変化していった。
中には色が変化せず、落ち込む者もいたが……鎧男が「……まあ、その代わり魔力操作が長けてるのかもしれん。たぶん」とフォローなのか分からない励ましを行い、微妙な顔になっていた。
「――次は……灰色の髪のお前だな」
そして――少女の番がやってきた。
鎧男がそう呟くと同時に、先ほどまでにぎやかだった空気が、一瞬にしてシーンと静かになる。
「ん……お前らどうした? ……まあいいか。ほら、やってみろ」
その様子を不思議に思った鎧男だったが、構わないことにしたのか、少女に水晶に手を近づけるように促す。
少女はただ黙って、俯いたまま水晶に手を伸ばす。すると――
「――おお、《白》か。珍しい」
水晶が発光した色は――《白色》。
「《白》は――《回復魔法》だな。あんまりいないレアなやつだぞ。良かったな」
「……回復、魔法」
色の意味が分からずにいる少女に、鎧男はそう説明してくれる。少女はその、言われた魔法の名前を復唱し――僅かに目を見開き、唇を震わせる。その様子はどこか、怯えているようにも見えた。
「よし。じゃああとは……俺が魔術理論と術式の組み方だけを教えるから、行使する魔法については置いてある本を勝手に読んで学んでくれ。ただ――攻撃魔法を使うときは必ず俺が見ているところで使うんだ。いいな?」
鎧男がそう言うと、元気よく返事をする奴隷たち。
「あー……でも、《回復魔法》の本は無かったんだよなぁ……白魔導士協会が禁止してるせいで……」
鎧男はうんうんと悩んだあと、
「しょうがない。灰色の髪のお前は、特別に俺が教えることにする。……めんどくさいけど」
と、少女に言った。それを聞いた他の奴隷たちは不満げな様子になるが、口に出すことはしなかった。
それから少女は《回復魔法》をほぼ無理やり、教えられることになった。
鎧男の教え方はとても丁寧で、覚える気がまったくない、やる気のない少女が何回も「分からない」と言っても、面倒くさがりながらも一から教えてくれた。
どんなに失礼で不躾な態度をとっても、殴られることも命令されることもない。
もともと少女は、よりにもよって回復魔法なんてものを覚えたくは無く、教わらないようにしようとしていた。
だが鎧男は「ダメだ、やれ」と少女に回復魔法を覚えることを強制するのだ。
少女が部屋に引きこもっていても授業の時間には強制的に連れ出され、巧妙に隠れてやりすごそうとしてもなぜか見つかってしまい、授業をするためのボードが置かれた部屋に引きずって連れていかれる。
そしてその度に――他の奴隷たちからのやっかみのような、恐れているかのような、恨むような……鋭い視線に晒されるのだ。
少女はそれが嫌だった。だから最近ではこの時間を早く終わらせて去るために、ある程度は授業を聞くことにした。一刻も早くその空間から抜け出したかったから。
そんな日々が続いていた――ある日の事。
「よし、今日は《治癒》を実践してみるか。まず最初に――」
少女はいつものように《回復魔法》を教えられていた。
段階は《回復魔法》を行使する際に必要な、ある程度の基礎は終わり、実践してみるという段階。
鎧男は何処からか小振りのナイフを取り出し、
「本当なら俺の身体にキズを付けた後、治して貰いたい所なんだが……今はそれが出来ないから、自分の身体でやってくれ。あまりにも深く斬った時は俺が治すから安心しろ」
と言い、少女にナイフの持ち手部分を手渡す。
「……こんなの、意味ない」
銀色に煌めくナイフを右手に持ち、ぼーっとした瞳で見つめる。鎧男は少女の発言に「意味ない? 何が?」と頭に疑問を浮かべた。
少女はそんな鎧男の様子をちらりと冷めた目で見たあと――――思いっきり、ナイフを持った右腕を振り下ろし、白く細い左腕に突き刺した。
「!? お前、何を――!?」
鎧男は少女の突然の奇行に驚き、慌ててナイフを取り上げようとするが――
「――! 何だ、その魔力……?」
少女の身体から発生した黒い魔力を見て、一瞬動きを止めた。
鎧男が少女の魔力を見て驚いたのも当然だ。少女から発生した黒い魔力は普通の魔力とは違い……禍々しく、生き物のように躍動していたのだから。
少女は無表情の諦めたような瞳で、その様子をぼんやりと見る。この男も他の人たちと同じように自分を恐れているのだろう、そう思った。だが――
鎧男はおもむろに少女に手を伸ばし。
「――ふんッ! ……うわ、なんかこの魔力ねっとりしてるんだが……気持ちわる!」
黒い魔力を掴んで、べしっと叩き落とした。
「…………ぇ?」
少女はその光景に、目を大きく見開いて呆然とする。あまりにも意味が分からなくて、あり得なすぎる光景だった。
「ん、どうした?」
鎧男はまるで当然の結果と言わんばかりの声色で少女に言う。そして、ついでとばかりに少女からナイフを取り上げ、《上位治癒》と詠唱し、少女の左腕をキズ一つなく修復させる。
「な、んで……触れる……の?」
少女は鎧男をあり得ない者を見るような目で凝視したまま、途切れ途切れに擦れた声を出す。鎧男は「いや……普通に触れるけど」と何でもない事のように返答した。
――信じられない光景だった。
少女の加護である黒い魔力には、今まで誰一人抗う事ができる人物はいなかった。防護系統の魔法も魔道具も何一つ、意味を為さなかったのだ。触れた瞬間に対象を覆いこみ、瞬く間に衰弱させて死に至らしめていたのだ。それなのに、この鎧男はいとも簡単に――
「――お、おい? どうした急に? まだ痛い所あったか? もう一回《治癒》かけとくか?」
鎧男はぎょっとしたように身をすくめ……そう問いかけた。――少女が、なぜかポロポロと涙を流していたから。
鎧男に、少女の加護がなぜか効いていないのは明らかだった。
今までだと発生した黒い魔力が即座に少女の傷を癒していた。それなのに、鎧男が床に叩きつけた瞬間、黒い魔力は少女のキズを癒すこともなく、苦しむように蠢いたあと消滅した。つまり――少女の加護は、無効化されたという事。
(……この、人なら……私を――――)
少女は静かに涙を流しながら僅かに顔を綻ばせて、笑っているような泣いているような、歪んだ笑みを浮かべる。
その暗く濁った瞳の中には……僅かに、希望の光が灯っていた。