35話 新生活
その後。
鎧男は闘技場にいた奴隷たち全員――30名ほどを一か所に集めたあと「少し待ってろ」とだけ言い、スタスタとどこかに去っていった。
残された奴隷たちはいきなりの出来事に何が何だか分からず、ただ言われたとおりに待機する。
「――よし、お前ら付いてこい」
数十分後。鎧男は返り血を拭いたのか綺麗になった鎧姿になって戻ってくるなり、唐突にそう言った。
「あの……助けて……くれたん、ですか?」
奴隷の一人が、僅かに希望が籠った声色で質問した。だが――
「……はぁ? これは全部、俺の為にしてることだ。勘違いするな」
鎧男は冷たく吐き捨て「いいから来い」とだけ言って、スタスタと歩いていってしまう。
「……そう、ですか」
冷たい態度で吐き捨てた鎧男を見て、質問した奴隷は顔を俯かせて、平坦な声を吐き出す。
奴隷たちはさっさと行ってしまう鎧男の命令に従い、虚ろな顔でただ鎧男の後ろに付いて行く。違法闘技場を出て、人通りの少ない街道をペタペタと歩いて―
「……?」
少女はそこで、少し違和感を覚えた。
何故か、すれ違う人たちが誰一人として――少女たちに気づいていないのだ。
これほどの大人数で移動していれば、いくら人通りが少ない街道とはいっても、誰かしらが気づいて何かしらの反応をするはず。
それなのに……誰一人、少女たちの存在に気付いた様子が無かった。まるで――魔法でもかけられているかのように。
¶
鎧男の後ろをただついて行くこと数十分弱。
「――ここだ」
街道を抜け、街の中心部からやや外れた建物の前で立ち止まり、鎧男がそう呟いた。
「……屋敷、ですか?」
その建物を一言で表すなら――貴族が住んでいそうな、広い庭付きの大きな屋敷。
「本当はもっと地味な所が良かったんだが……広さとか立地とか即日で住めるとか……条件に合うのがこれしかなくてな。お前らには悪いが、我慢してほしい」
鎧男は正面門に張られていた「魔導不動産売家:2億リエン」と書かれた張り紙をびりっと剥がし、乱暴に門を開け、玄関へと向かう。
入っていいのか分からず、門の前でただ待機していた奴隷たちだったが、「何してる? 早く来い」と命令され、急いで屋敷の中に足を踏み入れた。
「――よし、まずはお前らに、やってもらいたいことがある」
屋敷の中に入り、豪華な広間へと連れていかれたあと……鎧男が開口一番にそう言った。
奴隷たちはその言葉に、これから何をさせられるのかを想像し、顔を強張らせる。しかし――
「――ここ、めっちゃ埃被ってて汚い。掃除するぞ」
「…………え?」
言われたのは想像していたものと違う、予想外の言葉。
奴隷たちが意味も分からず硬直していると、鎧男は「お前とお前は窓、お前はこれで床を――」とテキパキと指示し、どこからか大量の掃除道具を取り出して渡していた。
そして――なぜか、鎧男と奴隷30名弱による、大掃除が始まったのだった……。
¶
それから奴隷たちはなぜか、この屋敷で生活することになった。
まず鎧男がしたのは……奴隷たちに文字の読み方と書き方を教えること。
もうその時点で、奴隷たちは理解ができなかった。
そもそも――ここにいる奴隷は、何らかの理由で労働奴隷にも家事奴隷にも性奴隷にもできなかった奴隷しかいない。
身体が欠損していて、労働奴隷に使えない男奴隷。
酷い火傷で皮膚が爛れていたり、病気を持っているせいで家事奴隷にも性奴隷にも使えない女奴隷
年齢は10~15歳ほどで、体力がある奴隷は一人もおらず……この場にいる奴隷たちは全員、それ以下の価値の低い奴隷たち。掃き溜め以下の、出来損ないの存在。
教養もない。技術もない。体力もない。
そんな自分たちがなぜ勉強をさせられているのか、意味が分からなかった。
そして――少しずつ文字の読み書きが出来るようになったころ。次はなぜか大量の本を持ってきて「これで勉強しろ。分からないところは聞きに来てくれ」と置いて行った。
その本は、基礎教養などが分かりやすく書かれた、綺麗な装丁がなされた本で、平民が買える物ではなく、貴族の子息などが使っている1冊10万~50万リエンはくだらない代物だった。
それほど高価な本を何冊も床に乱雑に置き、自分たちに与える鎧男のことが、奴隷たちは理解できなった。
しかし、そんな日々が続いていき……徐々に、奴隷たちは鎧男を信用するようになった。
当初考えていた、酷い扱いはまったくされず、命令されることも一度としてない。
それどころか、以前であれば奴隷の食事は貧相なものが1日1食与えられるのに対して、必ず1日3食の食事を取らせてくれたのだ。……「食糧庫にある食糧を使って適当に食べろ」という、投げやりな食事ではあったが。
奴隷たちが信用するようになった一番のきっかけは、「分からない所を教えて欲しい」と一人の奴隷が恐る恐る教えを乞いに行ったときに、面倒くさがりながらも丁寧に、分かりやすく教えてくれたからだろうか。
相変わらずぶっきらぼうで冷たい態度の鎧男だったが、家族や奴隷商たちから迫害され、事あるごとに暴力を振るわれていた奴隷たちにとって、それだけで優しくみえた。しかし――
(……どうでもいい)
灰色の少女にはそんなこと、どうだってよかった。
そもそも……鎧男はいつも、あの奴隷商たちと同じで、奴隷たちのことを"お前"、"おい"とかでしか呼ばないし、自分の名前すら教えてくれない。なので、少女はまったく信用していなかった。
奴隷たちの名前を聞かないのは、どうせ売り飛ばそうとしていて覚える気がないから。
本を与えて教養を教えようとしているのも、売るときに付加価値を付けようとしているから。
決定的な根拠として……鎧男は奴隷たちの首に装着されている、奴隷である証――首輪を取り外していない。つまり、奴隷として扱っているということに違いない。
少女はそう思っていた。所詮、この男もあの奴隷商たちや甘い顔をして近づいてきた人たちと変わらないのだと。
加えて鎧男は、時折ふらっと「ちょっと出てくる」と言ったきり数日居なくなって、戻ってきたときには新しい奴隷たちを連れてくるのだ。
なぜか、この家に住んでいる奴隷が50人を超えてからは連れて来なくなったが……それでも何度も何度もふらっと居なくなり、たまに帰ってきては2階の自分の部屋に引きこもって、何をしているか分からない。そんな人間を、少女が信頼できるはずが無かった。
それに――少女にとって信頼できる人間かどうかなんて、関係の無いことだった。あの鎧男が良い人間かどうかなんて、どうでもいいのだ。
「……」
少女は、広い庭でボール遊びなどをして楽し気に笑っている奴隷たちを日陰の隅っこでぼーっと見ながら、膝を抱える。
奴隷たちが和気あいあいと遊んでいるのと対照的に……少女の近くには誰一人、近寄る人間は居なかった。