29話 権能
「……やっぱり、怒ってるじゃないか。うーん、さっき謝ったからボクがこれ以上謝る必要は無いし……どうしようかな?」
エンリは俺から吐き出された言葉を聞いて、「うむむ」と腕を組んで考え始める。
「どうしようも何も……選択肢は一つだけだ。俺は逃げないしお前も引く気が無い。……というより引かせない。お前には俺の、このストレスの発散相手になって貰わなきゃいけないからな」
「……ボクと戦うってこと? むむむ、止めたほうがいいと思うけどなぁ。それに……どうやってボクと戦うの?」
エンリはわがままを言う子供を見るような目で、困ったように眉をひそめた。どうやって? そんなの決まってるだろ。
「決まってる。お前を――――?」
右手に魔力を練り、魔力弾をぶちかまそうとするが……なぜか、一向に魔力を練ることができないことに気づいた。
「なんだ、これ。魔力が――――無い?」
身体中から体内魔力を集めようとしても、なぜか一切存在しない。……まるで始めから無かったかのように。
それならと、外界魔力を使おうとしても、一向に魔力が集まる気配が無い。どうなっている?
「あは、やっと気付いた? いつ気づくんだろうって思ってたよ」
「……お前が、何かしたのか」
「正解! さっきロレイの左腕を"食べた"ときに、ついでにロレイの体内魔力と、この空間の外界魔力を食べておいたんだよねぇ。ロレイの魔力を例えるなら、芳醇なコクと香りが強い、上質なワインって感じかな。すごく、すっごくおいしかったよ。癖になっちゃいそうなくらいね。……ごちそうさま?」
「…………は?」
意味が、分からない。
敵の魔力を奪う魔法? 考えられるとしたら《吸収》くらいしか浮かばないが、それでもあれは対象にずっと触れていることが条件だったはずだ。あんな一瞬の出来事で俺の体内魔力を全部持って行くなんて……不可能なはずである。
「勘違いしてるかもだから言っておくけど……《吸収》じゃないよ? これは僕の――【暴食】の《権能》だからね。……ほら、これで食べたのさ」
そう言い、ぱちんと指を鳴らすエンリ。すると、エンリの周辺の空間が湾曲して――
「な――」
――現れたそれは、エンリの周囲を無数に漂っていた。
大きさは大小問わず、握り拳ほどの大きさのモノもあれば、人間が数人分ほどの大きさのモノもある。
形態も様々で、獣のモノのような形もあれば、人間のモノのような形もあった。
ソレは、個体一つ一つがまるで生きているかのごとくゆらゆらと動き……笑ったような、泣いているような、喜んでいるような――様々な感情を表現している……ように、見えた。
俺は突然、無数に現れたソレ――"歯や牙を持った、黒い口のようなナニカ"を見て……あまりの禍々しさに、顔を強張らせることしか出来なかった。
¶
「……なんだ、それ」
ぽつりと、呟く。
あまりにも禍々しい物体だった。見ているだけで背筋がぞっとするような……この世ならざる物体だった。
「何って……さっき言ったじゃないか。これがボクの【暴食】の《権能》――《捕食》さ。本当は自分の手の内を晒すなんて、馬鹿のすることだからやりたくないけど……こっちが先に不意打ちしちゃったからね。このくらいはサービスしておかないと、フェアじゃないでしょ?」
エンリは場違いなほど軽快で明朗な口調で、楽し気に喋る。その様子が禍々しい物体――《捕食》と対照的で、より一層、狂気的に見えた。
「……その物体からは魔力を感じない。つまり……《魔法》でも《呪術》でも無い。となると考えられるのは――《加護》か」
それしかあり得ないと思い、断言するが。
「えぇ? いやだからさ……《権能》だっていってるじゃん。《魔法》でも《呪術》でも《加護》でもない、【暴食】の魔王に選ばれたボクだけが使える《権能》だよ。……何回も言ってるんだけどな」
エンリは呆れた様子で否定し、溜息を吐く。【暴食】? 魔王? 何を言っているのかまったく理解できない。
まさか、こいつが魔王? ……いや、それは考えられないか。
なぜなら、今代の魔王はまだ誕生していないからだ。誕生したら預言師にお告げが降りるはずだし、勇者が討伐しに行く。それが当たり前であり常識だ。
「あれ、そう言えば――人間は魔王が一人だけだと思ってたんだっけ。……忘れてたよ」
「は? それ、どういう意味――」
意味の分からない言葉に、問いかけようとするが。
「おっとっと……危ない危ない。これは言っちゃいけないんだった。……まあ、別にどうでもいい事だから気にしないでいいよ? 君には関係ないことだし」
誤魔化すように、そう呟くエンリ。
「それより――やるなら早く始めようよ。いい加減、喋るのも疲れちゃったからさ。……まあ、魔力が無くなった君に、できることなんて無いんだけど」
「……? 何を言っているんだ?」
魔力が無い俺に、出来ることが無い? 何でそんなこと――
「だって……君は魔術師でしょ? 魔導大会で君の魔力を"視た"けど……あんなに膨大な魔力、魔術師しかありえないじゃないか」
「……魔術師?」
「剣士……と言うには装備が貧相で鎧も籠手も胸当ても一切付けてないし、なんならそれ、普段着じゃない? 一応、護身用に長剣を腰に下げてるみたいだけど……魔術師だと分かれば、怖くもなんともないよ。滑稽なくらいだ」
若干小ばかにしたような声色で、やれやれと肩をすくめるエンリ。護身用? 魔術師? いや、俺は――
「魔力が無い魔術師なんて木偶も同然だからね。楽しいお話もしてくれないみたいだし……僕も、無駄な会話で喋りたくないんだよ。だからさ――」
エンリはにっこりと満面の笑みを浮かべ、別れの挨拶をするようにひらひらと手を振り。
「――さよなら、ロレイ」
無数の《捕食》を、凄まじい速度でこちらに撃ちだした。
四方八方から襲い来る、無数の禍々しい大口。
それを見て俺は、"腰に下げていた久しく使っていない長剣"の持ち手を右手で握る。そして――
「別に、俺は魔術師なんて言ってないんだが」
――鞘から抜いた漆黒の剣身で、禍々しい《捕食》を全て切り落とした。
一瞬で幾度も剣を振り、木っ端微塵になるように。