28話 暴食
「くっ――!」
状況を理解した後。すぐに残った右手で着ていた服を破って、止血するように左腕に巻く。……これで最低限、出血は抑えられるはずだ。
「!? いま《上位治癒》を――」
「来るな! そのままそこにいろ!」
イヴが俺の方に駆け寄ろうとするが、大声を上げて止める。
「でも――」
「"俺に何があっても生徒たちに声を掛け続けてくれ"って言ったよな? ……それに、今はどちらにせよ《回復魔法》は効かない」
「ッ……分かった」
イヴは今すぐ駆け寄って治したいと言わんばかりな表情だったが……俺が有無を言わせない口調でそう言うと、理解してくれたのかコクリと頷いてくれた。
『へえ……よく分かったね? ボクの《捕食》を喰らったら治せないなんて事……やっぱり君――ロレイは強いね』
どこからか聞こえてくる、楽し気な少女の声。
俺は周囲を見渡し、声の主を探す。……が、どこにもそれらしい人物は見当たらない。
『あー……ごめんごめん。そういえばまだこの姿だったね。いま元の姿に戻るよ』
そんな声が聞こえたあと――なぜか、近くにいた灰色のネズミから、凄まじいほどの魔力が漏れ出した。
「……ふぅ。やっぱりこの姿が一番落ち着くね。それに、ボクってネズミは好きじゃないんだ。だってなんか気持ち悪いじゃないか。ロレイもそう思わない?」
小さな灰色のネズミがぐにゃりと揺れ、膨張し……やがて、一人の人間――少女の姿になった。
その少女を一言で表すなら……どこか怪しげな雰囲気の少女。
黒を基調としたゴシックドレスを身に纏っていて、地面に付くほど長い銀色の髪。
爛々と輝く銀の瞳でこちらを見つめ、何が楽しいのか……にっこりと笑顔を浮かべて、親し気に話しかけてきていた。
「久しぶり……という訳でもないね。1日ぶりかな? ふふ、まさかこんなに早く再会するなんてね」
「……ああ、まさか――俺もこんな所でまた会うとは思わなかったよ」
俺は、目の前で笑顔を浮かべる……大会最終戦の時に、戦いもせずなぜか降参した少女――エンリに向けて、そう呟いた。
¶
「じゃあ……前に言った通り、ゆっくりお話でもする? 何の話にしようか……この前食べた美味しい料理の話と、最近面白かった出来事のどっちがいい?」
「するわけがないだろ。そんなことより――なんでこんな所にいる。俺の左腕が吹き飛んだのは何故だ」
まるで友人と話しているかの如く、明朗に話しかけてくるエンリに、構わず問いかける。
そもそも……俺は《身体強化》で身体全体を覆っているから、生身が傷つけられることはほぼ無いはずだ。それなのになぜ――
エンリは「お話しないのかぁ……残念」と肩をがっくりと落とした後、
「そんなの……当たり前だよ。だってボクの《捕食》は絶対に防げないからね」
と言った。
「俺の《身体強化》は帝級の《結界魔法》と同じくらいの魔力を込めている。……いや、それ以上か。なのに……防げないなんてあるわけがない。少なくとも軽減はされるはずだ」
「うーん? いや、だからさ……そんなの関係なく、ボクの《捕食》は防げないんだ。どんな魔法でも、盾でもね。例外があるとしたら――現段階の"勇者"か"あの《権能》"くらいかな」
「……意味が、分からん」
理解ができなかった。
どんなものでも防げない攻撃魔法なんてものは存在しない。そんなものが存在しているとしたら、魔術理論は根本から引っ繰り返ってしまう。
「それよりさ、ロレイにもう一度会ったら聞きたいことがあったんだ。あの時は変な"眼鏡"を付けてたから分かりにくかったけど……君のその"黒い瞳"――」
混乱している俺に構わず、エンリがそう問いかけてこようとするが――
「――暴食様! そんな奴より、僕が集めた"心臓"を見て下さい! あのクズ共とそこに転がっているガキの心臓です。これなら……暴食様が仰っていた、邪神を召喚できるはずです!」
黒いローブ姿の少年がエンリの言葉を遮り、叫ぶ。
エンリはにこにことしていた顔を急に真顔に変え、少年に振り返った。
「あぁ……そういえばそうだったね。すっかり忘れてたよ。……うん、これならいけると思う。ありがとね?」
「いえ、僕に復讐の機会を与えてくれた暴食様にはこれくらいは当然の事! こんなすごい力もくれて……感謝してもしきれない…!」
少年が掲げた、心臓が何個も入った器を少しだけちらりと見てそう言うエンリに、少年は大仰に感謝の言葉を吐き出す。
「本当に助かったよ。ご苦労様。じゃあ――」
少年の方に手を伸ばすエンリ。少年はそれを見て、褒めて貰えるのかと、恍惚とした表情を浮かべるが――
「――もう、死んでいいよ。必要ないから」
「……え?」
エンリはにっこりと笑顔を浮かべ、少年の肩をポンと叩く。すると――
「なん、なんで……! 暴食様が、僕の事を必要って言ったのに――」
少年の頭が、腕が、足が……身体の部位が徐々に、ボロボロと崩壊していった。
「うん。あの時は必要だったけど……もう役割は終わったでしょ? だからもう、君はいらない」
「そん、な……」
少年は絶望的な表情を浮かべ、エンリに救いを求めるように手を伸ばす。だが、エンリはその手を取らず、虫を見るような冷たい瞳で見るだけだった。
「さて……これでお話の続きができるね? それで、君の瞳のことだけど――」
――数秒後、ボロボロと身体が崩れ、灰のようになった少年の姿には目もくれずに、エンリは話を再開しようと口を開いた。
「お前……そいつは、仲間じゃなかったのか?」
一連の光景をただ見ていた俺は、エンリの問いかけを無視し、言葉を吐き出す。
「仲間じゃないよ? ただの他人。なんかあっちはボクを主君か何かと勘違いしてたみたいだけど……ただ、ボクは力を与えてちょっとだけお願いしただけなのにね? 困るよほんと」
軽い声で、「それに、なんか気持ち悪かったんだよねー」と楽し気に話しかけてくるエンリ。
「あいつは、まだ少年だった。いくら強力な力を与えられたとしても、いきなり人を躊躇なく殺せるようになるとは思えない。……お前が何かしたんだな?」
少しだけ声色を荒げ、そう問いかける。
エンリは「ん? あぁ……」と口角を上げて楽しげな表情になり、
「そうだよ。ボクが、彼の《殺意》と《復讐心》以外の感情を食べて、おまけに《殺意》を増幅しておいて上げたのさ。そうしなきゃ、人って理性やら何やらで行動できないもんね。……ボクって優しくない?」
……やはり、こいつが何かしていたようだ。そりゃそうである。普通なら、どんなに恨みを持っていたとしても、同族である人間をあんなに残虐に殺すことなんて出来やしない。それはもう……人間の皮を被った、悪魔だ。
こいつが何をしたのかは分からない。そんなこと興味も無い。あの少年がしたことは許されることなんかじゃないし、こうなって当然のことなのかもしれない。
それに、俺にはどうでもいい事だ。所詮は他人、死のうが生きようがどうでもいい。
……でも。
「それより聞きたいんだけど……その黒い瞳ってさ――」
「黙れ。話は終わりだ」
強い口調で、言葉を吐き出す。
「……もしかして怒ってる? うーん……何で怒ってるのか分からないけど……まあいいか。別に関係ないだろうし、聞かなくてもいいや」
エンリは「残念だなぁ」と肩をすくめ、
「それで、どうする? ボクはこの"心臓"を使って邪神を召喚してみるけど……今から帰るなら、見逃して上げるよ? ……そっちの女の子もね」
遠くで、祈るように護衛と生徒たちの骸に話しかけているイヴをちらりと見て、そう提案するエンリ。
「……逃げるわけないだろうが」
「あれ……もしかしてロレイにとって、大事な人たちだったのかな? ボクがやったわけじゃないけど……悪い事したよ。ごめんね」
エンリは手を胸の前で合わせ、本当にそう思っているのか分からない軽い態度で、謝罪の意を示す。
……大事な人たち? いや、俺にそんな人間は一人も存在しない。俺は自分の事しか大事じゃないし、自分の事しか考えない自分勝手な人間だ。
「……別に、あいつらは大事な人でも何でもない。数日だけ俺が講師をして、受け持ちの生徒になった。ただそれだけの関係だ。……あと少しで関わることもない、どうでもいい奴らに過ぎない」
「ふーん? それなら早く帰り――」
どうでもよさそうに言うエンリの言葉を遮り、
「もうどうでもいい奴らだった。あいつらが惨たらしく殺されたとか、あの少年をお前が唆したとか、そんなことは微塵も関係ない。だからこれは……俺の個人的な感情だ。ただ、俺は――」
ベラベラと紡ぎだされる、俺の言葉。
自分でもこの、腹の奥底から湧き上がってくる強い感情がなんで湧いてくるのかは分からない。
あいつらは俺にとってどうでもいい存在だ。マギコスマイアに来て、アルディに押し付けられて、迷惑していた存在だ。つまり、俺の人生には何ら影響がないってこと。死んで喜びこそすれ、悲しむことも怒ることない。
……だから。
いまの俺の、この感情はただ。
「――お前の事がムカつくんだよ。無性にな」
俺個人の、傲慢な感情に過ぎないのだろう。