27話 心臓
嗅覚を刺激する、腐った血肉が混じり合ったような猛烈な死臭。思わず、息を止めて空気をそれ以上吸わないようにしてしまう。
空間の広さは、人が余裕で何百人ほどは入れるくらい広い。しかし……濃厚な死臭は薄れることが無く、空気中に充満していた。
その広い空間の中に一人、ぽつんとこちらに背中を向け、何か"赤黒い物体"が何個も入った大きな器を手に持って、ブツブツと呟いているローブ姿の人物。
《隠蔽魔法》を使っているからか、ローブ姿の人物はこちらに気づいていない。
ここからでは遠く、何を言っているのかは分からないが……その人物が興奮していることだけは分かった。
ちらりと、ローブ姿の人物から少し離れた位置にいる、ピクリとも動かない生徒たちに目を向ける。
……俺が召喚獣――黒いネズミを飛ばして発見した時には、もう既にこの惨状だった。遅かったのだ。だからこれは仕方ない、仕方ないんだ。でも……
「くそが……」
ぽつりと、悪態が口から漏れた。
俺にはどうしようもなかったことだ。俺は出来る限り、最速でこの場所を見つけ出した。……仕方ないことだ。もっと早く対処すればよかったとかは結果論にすぎない。だから……今は、この場を冷静に対処するべきだ。
「……よし、落ち着いた」
自分を落ち着かせるように大きく深呼吸し、冷静さを取り戻す。……いつもは冷静でクールな俺としたことが、こんなことで心を乱してしまった。ここからは冷静になろう。
「――イヴ。あの凄惨な状態を見れば分かると思うが……生徒たちと護衛はもう死んでる。既に《治癒》とかでどうにかできる問題じゃない」
心臓を抜き取られ、拷問でもされたのか所どころ欠損している生徒たちの骸を横目で見ながら、まだ口に手を当てて真っ青な顔をしているイヴに小さな声でそう呟く。
「《治癒》じゃどうにもできない。だから――《蘇生》を使う」
「――ッ! 使える、の?」
バッとうつむかせていた顔を勢いよく上げ、こちらを見るイヴ。
「使える。俺の《蘇生》なら、死後10日以内なら蘇生可能だ。……俺なら、あいつらを生き返らせることができる」
「! それなら、早く――」
「できる……が。霊魂が現世に残っていることと、対象が生き返りたいと思っていなきゃ無理だ。……あいつらの霊魂は残ってはいるが、残虐に殺されたからか怯えて霊魂が消えかけてる。この状態じゃ……蘇生させることは不可能だ」
「じゃあ……どうすれば、いいの」
イヴは縋るような顔つきで、不安そうに俺を見つめてくる。
俺はそんなイヴを安心させるように、少しだけ優し気な声色でこう言った。
「……あいつらが怯えている元凶を無くせば、蘇生するだけならできるって訳だ。つまりは、あそこにいるあいつを殺せばいい」
遠くにいる、ブツブツと呟きながら、"赤黒い物体"――心臓が何個も入った大きな器を掲げている男を指さす。
「だが、あいつを殺して生徒たちを蘇生させるにしても……敵の強さが未知数である以上、殺すまでの間に消えかけてる霊魂を現世に留める人間が必要になる。だから――」
「私がやる。何をすれば、いい?」
「……イヴには、あいつらの骸に声を掛け続けて欲しい。ただ……絶対に、俺に何があっても生徒たちに声を掛け続けてくれ。それだけをしていてくれればいい」
「……わかった」
イヴは力強く首肯し、自分がやると言ってくれた。……よかった、何も疑問に思われなくて。
「じゃあ――頼んだ」
イヴを、黒いローブ姿の人物から離れた位置に倒れている、生徒たちと護衛の骸の方に向かわせる。
「《帝位結界》」
そしてイヴが行ったのを確認した後――《帝位結界》をイヴと骸の周辺に展開させた。……もちろん、イヴにはバレないように《隠蔽魔法》で見えないようにして。
……これで安心だ。《帝位結界》の中から外に出られないようにしておいたし、戦いに巻き込まれることはないだろう。
実のところ、霊魂が怯えているのは本当だが……消えかけているというのは嘘だ。どんなに残虐に殺されたとしても、死後3日は余裕で現世に残る。
この時ばかりは、白魔導士協会が《蘇生》のことを秘匿していてくれて感謝である。そのおかげでイヴが何の疑問も持たないでいてくれたのだから。
俺は懸念事項が無くなったので、黒いローブ姿の人物の元まで静かに歩く。《隠蔽魔法》を使って姿を消しているのでこちらに気が付いた様子はない。
「――死ね」
そして――目と鼻の先の位置まで歩いた後、その人物の頭に手を掲げて、膨大な魔力を開放して圧し潰した。
「……思ったより、呆気なかったな。てっきり、もっと強いもんかと……警戒しすぎたか?」
ぐちゃりと潰れた人物の残骸を見て、呟く。だが――
「――いきなり何だお前? あ? せっかく僕が楽しんでたのに、なんてことしてくれる訳? 殺すぞクソが」
「――!?」
背後から男の声が聞こえ、すぐに振り向く。
「クソ、クソ、クソ……! 邪魔するんじゃねえよゴミが。誰だよお前、勝手に入ってくるなよクソゴミが。あームカつく、今すぐ殺したい。……決めた、お前は惨たらしく殺す。決定」
その人物――痩せこけた頬の男……いや、少年は、顔を醜く歪めながら親指を血が出るほど噛んで、ブツブツと言葉を吐き出した。
フードを深くかぶっているせいで分からなかったが……顔つきはまだ幼く、子供といっていい年齢――13歳程の少年だった。
「……なんで、生きている。お前はいま、俺が殺したはずだ。死体もここに――」
「あ? そんなん決まってるだろクソ。僕の愛しい愛しい我が主に"こうなるように"して貰ったんだよ」
「……はぁ?」
少年の言っていることの意味が分からず、そんな声を出す。確かに殺した感触はあった。幻影なんてことはありえない。
「ま……低能な人間風情に分かるわけがないか。僕を馬鹿にして虐めたあのゴミクズと同じ種族なんかに……ああ、思い出しちゃった。あのゴミ共が死ぬときの顔、すっごく面白かったなあ……」
歓喜に顔を歪ませ、ひひっと狂気的に、ケタケタと楽し気に笑う少年。
俺はその言葉を聞いて、少年が誰のことをいっているのか理解した。
「あいつらって言うのは、街で噂になってた――通り魔事件のことか? 6人の子供の心臓が抜き取られていたらしいが……残虐なことをするもんだ」
「んん? いや、それだけじゃないけど……ちゃあんと、生きている間に死なないように手足をバラバラにして、苦痛を味わわせてあげたから。最初は『いますぐ離せ』って強気な態度だったのに、最後には『殺してくれ』って懇願してくるんだから、本当に愉快だよなぁ……! ああ……楽しい……!」
「……」
心底楽し気に顔をにやにやさせる少年を見て、眉をひそめる。
何でこの少年がそこまで狂気的な行動をしたのかはまったく分からない。口ぶりから、その子供たちに言うのもはばかられるような酷い事をされたのかもしれない。……でも、それでもだ。
「何で……魔導学園の生徒たちを殺した? あいつらは何の関係も無かった筈だ」
少しだけ怒気を含んだ声色で、問いかける。少年は俺の言葉を聞いて、なんてことないと言わんばかりに言った。
「んー……確かに魔導学園の制服を着てたから襲ったけど……別に狙ってたわけじゃないし、たまたまに決まってるじゃん? ……まあ、あのゴミ共と同じくらいの年齢だったし、僕としてはすっごく楽しかったけど」
「……そうか」
平坦な声で、呟く。どうやら……運が悪かっただけらしい。不慮の事故にあったみたいなものだろうか。
俺は無言で左腕を上げ、手のひらを少年の方向に掲げる。もう聞いていられない。
「最後に、聞かせてくれ。……なんでこんな事をした?」
俺が左手に膨大な魔力を充填させながらそう聞くと、少年はニヤリと顔を歪ませて。
「お願いされたのさ……"邪神"の召喚を」
「……"邪神"?」
何の事か分からず、口を開いて聞こうとするが。
「そうですよね? 親愛なる我が主――"暴食様"!」
それより早く、少年が大仰に手を天に掲げ、そう叫んだ。
次の瞬間。
「――!?」
掲げていた左腕に、強い衝撃と痛みが襲った。
すぐに何事かと、左腕に視線を移す。しかし――
「な――!?」
本来そこにあるべきはずの左腕は――"何かに喰われた"ように、跡形もなく消失していた。