26話 突入
「……ここだな」
あれから俺は――《異界》への歪みを見つけるべく、アルディに用意して貰ったネズミをベースに召喚魔法を行い、多数のネズミを操作して頑張って探し回っていた。
その数、なんと10万匹。
普通なら、こんなに多くの召喚獣を操作すれば、神経が耐えられずに頭の血管が切れてすぐに死ぬ。
だが俺は《並列処理》、《高速思考》を使うことでなんとか、死にそうになりながらも操作し……結果、歪みを特定することができた。マジで神経使いすぎて死にそうになった。だからやりたくなかった。
「本当に、ここなの? 普通の一軒家にしか……見えないけど」
イヴは目の前の建物――住宅街のど真ん中、どこにでもあるような空き家を見て、疑問の声を上げる。アルディも「魔力は感じねえな……」と半信半疑な様子。
「いや、この建物で間違いない。ほら……ここのドアの所、少し変だろ?」
「? 別にかわらねえと思うが……?」
「よく見てみろ。この部分……少しだけ、空間がズレてるんだよ」
「た……確かによく見てみればズレてるな……いやでも、普通こんなの気づかねえよ! よく見つけられたなこれ……」
アルディは歪みの部分を色んな方向からジロジロと眺めたあと、「やっぱりジレイの魔法を隅々まで研究したいな……」と小さく呟いた。止めろ。
「この《異界》は転移式だ。事前に、操作していた"黒色"のネズミを歪みに接触させたら、薄暗い洞窟に視界が切り替わった。魔物や生物も生息していたから――迷宮型の《異界》に間違いない」
「迷宮型か……構造は何だったんだ?」
「一方通行や広場だったら良かったんだが……複合型の迷路だ。一番めんどくさいやつだな」
そう言うと、「うへぇ……」と嫌そうな顔になるアルディとイヴ。気持ちは分かる。迷路型の迷宮は一番めんどくさいやつだから。
「でも問題ない。もうすでに生徒たちは発見してるし、そこまでのルートは頭に入ってる。迷わず行ける」
「おお……さすがジレイ! なら早く行こう――」
「――待て」
アルディは生徒たちが心配なのか、ドアに近づいて歪みに触ろうとするが……アルディの首根っこを掴んで静止させる。
「ここからは俺一人で行く。お前はここで待ってろ」
「……はぁ? いや、戦力は多い方がいいんじゃねえか? オレだって腐っても学園長なんだぞ」
「お前の魔法系統は戦闘寄りじゃなくて支援寄りだろ。俺は既に《身体強化》で自己強化してるから必要ないんだよ」
「でも、オレにも学園長としての責任ってもんがあってだな――」
「お前はこの歪みに誰かが近づかないようにしてくれるだけでいい。付いてくるな」
「いやでも――」
来るなと言っているにも関わらず、諦めずに付いてこようとするアルディ。……どうやら、直接的に言わないと分からないようだ。
「しつこいようだから、はっきり言わせてもらうが――――足手まといなんだよ。……分かったか?」
語気を強めた声で、断言する。
アルディは俺の発言に顔を強張らせた後、
「っ…………分かった。……頼んだぜジレイ」
諦めたのか視線を地面に落とし、無念そうに呟いた。
「じゃあ俺は行ってくる。二人とも、絶対に入ってくるなよ」
それだけ言い残し、《異界》に転移しようと手を歪みに近づける。これで一安心。そう思ったが――
「――私も、行く」
俺の服の裾を掴み、そう呟いたイヴに、足を止める。
「……聞いてなかったのか? 足手まといだから来るなって言っただろ」
「あなた一人でなんて行かせられない。私も行く」
イヴは決意を宿した瞳でこちらを見つめ、はっきりとそう断言した。
何か、思う所があるのかもしれない。だが――
「駄目だ。付いてくるんじゃない」
もう一度はっきりと、圧をかけて言った。今度は身体から魔力を放出し、威圧するように。
空気が、俺の魔力に呼応してビリビリと震える。並みの術者ならこれだけで立っていられなくなる程の魔力を空気中に込めた。これでイヴも諦めてくれるはず……
「絶対に、行く」
だと思ったが、イヴはなおも諦めず、魔力に圧されることもなくしっかりと地面に足を着いてそう言った。
「……召喚獣のネズミを先行させて偵察したが、これほどの広さの《異界》を作れるのは相当な術者じゃないとできない。それに、イヴの《回復魔法》でもあれは――」
「邪魔にならないようにする。いざとなったら見捨ててくれてもいい。だから……お願い」
なんとか諦めさせようとするものの、イヴは一向にあきらめてくれる様子がない。一体、何がそこまでイヴを駆り立てるのか。意味が分からない。
そんなイヴを見て、どうやって付いてくるのを止めさせるのか考えるが、
「……はぁ。分かった。付いて来てもいい。その代わり……絶対に、俺から離れるなよ」
「――! ……ありがと」
いくら考えても解決案が浮かばなかったので、仕方なく了承することにした。
放っておいて勝手に付いてこられたら困るし……それなら近くに置いておいた方がマシだ。
「な、ならオレも――!」
「お前は留守番。どっちみち見張る役は必要だから」
アルディも便乗して付いてこようと声を上げるが、即座に却下。アルディはしょぼんと肩を落とした。
「じゃあ、行くぞ」
「……うん」
そして――いじけて地面に絵を描き始めたアルディを尻目に、俺とイヴは《異界》へと足を踏み入れた。
¶
「ここを曲がれば、目的地だ。……準備はいいか?」
《異界》に入り、頭に入っていたルートを辿ること数十分弱。
俺とイヴは《隠蔽魔法》で身体を隠し、時折遭遇する魔物の横を通り抜け、何事も無く……目的地である、生徒たちがいる場所の少し手前までたどり着くことができた。
「……大丈夫」
イヴは取り出した魔導士用の白い杖をぎゅっと両手で握り、こくりと頷く。
「俺は……既に召喚獣を通した視界で、この先に何があるか知ってる。そのうえで聞くぞ。……帰るなら今のうちだ。今なら、召喚獣に帰り道を案内させることができる。でもここから先に入ったら……それはできなくなる」
目の前に映る、行く手を阻むように立ち塞がった黒い煙の壁を見ながら、そう呟く。
この煙壁から先は……内部から外部への魔法干渉ができなくなっている。その証拠として、召喚した黒いネズミをこちらに戻すことができていないのだ。だから……戻るなら今、このタイミングしかない。
「ううん、行く」
しかし、イヴの返答は変わらず。
「…………後悔するなよ」
イヴの変わらない言葉を聞いて、俺は黒い煙壁に手を触れる。忠告はした。ここから先は……自己責任だ。
俺の手に触れた所から、黒い煙が解けるように晴れていく。そして、視界が明瞭になったあと――
「…………ぇ」
イヴが、小さな擦れた声を漏らした。
見てみると、いつも無表情がデフォルトのイヴが、目を見開いて唖然としていた。「目の前の光景が信じられない」とでもいいたげに。
そして――耐えられなくなったのか、口元を抑えて地面に膝をつく。……まあ、これを見たら普通はそうなるだろう。極めて当たり前の反応だ。
「……だから、来るなっていったんだ」
イヴから目を逸らし、俺も目の前の光景を苦々し気に見る。
最初に、視界に入ってきたのは。
アルディから聞いていた、行方不明の護衛によく似た、"肉塊"の姿と……胸の部分にぽっかりと大きな穴が空いた――――生徒たちが倒れ伏している姿だった。