18話 王女につきまとわれてる(二回目)
「うええええ……ぎもじわるい……」
さっきまでいたトーナメント会場から少し離れた街道。
そこに一瞬で転移した俺は、地面に四つん這いになってうずくまっていた。
《空間転移》
次元魔法の一つで、詠唱後、指定した場所に術者を一瞬で転移させる魔法。
《空間転移》は、習得が難しい次元魔法の中でも、特にめちゃくちゃ覚えるのが難しいと有名な魔法だ。
だがしかし、そのぶん効果は絶大。
自分の覚えている場所であれば、どんなに距離が離れていても一瞬で転移することができるし、自分と接触している相手と魔力波長を合わせれば、一緒に転移することもできる。
とても、かなり、ものすごく便利な魔法だ。便利――ではあるのだが。
「うっぷ……やばい吐きそう。気持ち悪くて動けないし身体バキバキで痛い……死んじゃう……」
何故かこの魔法、使った後にめちゃくちゃ体調が悪くなるのだ。
それも、乗り物酔いと風邪と頭痛と腹痛と睡眠不足と筋肉痛を同時に喰らったかのような感覚。
転移する距離が短くなるに応じて、この気持ち悪さも軽減されるのだが……今回は大した距離を転移していないのにもかかわらず、この気持ち悪さである。死にそう。
しかし……今はこの位で済んでいるが、昔はもっとヤバかった。
そもそも《次元魔法》は術式、魔術構造が難しいゆえに習得難度が高い魔法なので、取扱いが極めて難しい。
昔はそれこそ、使った後は1週間くらいまったく動けず、なんとか動けるようになっても体調は1カ月くらい戻らず、食欲が一切無かったので水を飲むことしかできなかった。つまり地獄。
この魔法を覚えるのにもめちゃくちゃ時間かかったし……比較的簡単な《次元付与》は早めに習得できたが、《空間転移》はわりと数年前に覚えたばかりである。
…………まあ正直、《回復魔法》の《疲労回復》を使えばこの気持ち悪さを味わうことも無いのだが……今は使えないからそれもできない。
街道のど真ん中にうずくまり、道行く通行人からの邪魔そうな視線と、心配そうな視線を受けること数分。
「ふぅ……やっと収まってきた……やっぱり、何度味わってもきっついわこれ」
体調が戻ってきたので立ち上がり、邪魔にならないように街道沿いにあった広場の木陰に移動する。
「そういえば……結局、優勝賞金貰ってないな。でも今から戻りたくないし……てかもう会いたくない」
優勝賞金は欲しいけど、めんどくさいからあいつらに会いたくない。……まあ、あとでアルディに請求して貰えばいいか。無理そうならアルディの部屋にある金庫からいくらか貰っていこう。それで魔道具買おう。
そうして、木陰で爽やかな風を頬に感じながら休んでいると。
「あの……先ほど、あちらでうずくまっていたようですが、大丈夫でしょうか? すごく顔色が悪かったので心配になって……」
透き通るような、美しい声色の女性が声をかけてきた。どうやら、心配をかけてしまったらしい。
「……大丈夫だ。ちょっと気持ち悪くなっただけだか――ッッッ!?」
俺は地面に向けていた顔を上げる。そしてその女性を見て、驚きに息を呑む。
その女性――外見年齢は15歳前後の少女は、つばの広い白い帽子を被って少しだけ顔を隠し、純白のワンピースを着ていた。
しみ一つない白いなめらかな肌に、少女の繊細さを表すように華奢な手足。
その風貌を例えるなら、貴族のお嬢様のような……いや、どこか一国の――――お姫様のような少女だった。
「――それなら良かったです。とても……心配でしたので。そう、とっても……」
少女はその新雪のごとく真っ白な美しい"白髪"を風になびかせ、少し幼さを残した可憐な顔に安堵の表情を浮かべる。
俺は天使と見間違うほど美しい、絶世の美少女が微笑むこの光景に、絵画の世界に入ってしまったかのような錯覚さえ覚えた。
それほど見目が整っている少女だ。なぜか、俺の動悸が激しくなって呼吸が荒くなる程である。変な意味ではなく。
「……心配どうも。じゃあ俺は、急いでるから――」
顔を出来るだけ隠して、足はやにその場を立ち去ろうとする。今の俺は赤髪、つまりまだバレていないはず……なら問題ない。早くこの場を去れば――
「――お待ちください! せっかくですのであちらのお店で少し、お話して行きませんか? ゆっくりと……ね?」
しかし、白髪の少女は去ろうとする俺の服を優しくつまみ、引き留めてきた。
美少女にお茶に誘われているという、羨ましいと思われそうな状況。
心の中がドキドキでいっぱいだ。主に恐怖的な意味で。
俺が「いや、本当に急いでるから」と言うと、少女は「そうですか……」と残念そうな顔になり、つまんでいた俺の服を離す。
「でしたら……お一つだけ。お聞きしてもいいでしょうか? 実は私、人を探していまして――こんな特徴の方をお見かけしていたら、教えて欲しいのです」
「……知らないな。見たことも聞いたこともない」
少女が差し出してきた、"黒髪黒目でやる気が無さそうな目が濁った青年"が精巧に描かれた似顔絵をちらりと見て、すぐに少女から顔を背けてそう呟く。
どこのだれか分からないが、そっくりである。どこのだれか分からないが。
「残念です……もしお見掛けしたら、私に教えて頂けませんか? 謝礼は致しますので……」
「……分かった。じゃあ――」
去ろうとするが、
「それと――その方に会ったら、こう伝えてほしいのです」
少女の言葉に、足を止める。伝えてほしいこと?
「きっと――ジレイ様にも、お考えがあったのだと思います。そうでなければ、誠実なジレイ様が何も言わずに消えるなんてする訳がありませんもの。私も、あのときは興奮していて……自分の気持ちを優先して、ジレイ様のお気持ちを考えられていませんでした。本当に……とても、とても反省しています」
少女は言葉を続ける。
「あのときは9年分の想いが暴走してしまって……私だけを愛してほしいなんて、押しつけがましい自分勝手な発言をしてしまいました。……本当は私だけを愛して欲しいですが、ジレイ様ほど魅力的な殿方ですもの。様々な女性が惹かれるのは致し方ないことです。……でも、正妻は私です。それだけは譲れません。他の女性が惹かれてしまうのは仕方ないことだと思いますが――」
なおも続けて。
「――婚姻してもいない女性と一つ屋根の下で過ごすのは、如何なものかと。節度のある行動を為されたほうがいいと思います。ジレイ様にまったく、微塵もこれっぽっちもそんな気持ちが無いとしても、その女性はそう思っているかどうかは分かりませんから。…………と、お伝えいただけますか?」
俺は少女の言葉にブルブル激しく振動しながら、無言でコクコクと首肯する。
「もしお会いしたら、よろしくお願い致します。あ、それともう一つ……伝えて欲しいことが」
少女はニッコリと天使のような笑みを浮かべて。
「トーナメント優勝、おめでとうございます。とても、とっても……かっこよかったです。やっぱり、私の結婚する人はこの方しか居ないと再認識できて……本当に、素敵でした」
頬を染めて恍惚な表情を浮かべる少女
「それでは、失礼いたしますね――"ジレイ様"」
白髪の少女――ラフィネ・オディウム・レフィナードは固まる俺に対し、流麗で華麗なお辞儀をしたあと、去っていく。
――数十分後。
身体の硬直が解け、理解を拒んでいた脳が現実を受け入れ始める。
そして……脱兎のごとくその場から走り去ったのは、もはや当然と言えるだろう。