閑話 魔王さまと骸骨ちゃん
「――遅い、遅いのじゃ……」
ユニウェルシア王国から最北端の未踏破区域――ラススヴェート大陸にて。
「さすがに……遅すぎるのじゃ……」
魔王城の無駄にだだっ広い、広い玉座の間で、一人の少女がペタペタと同じところを、行ったり来たり歩いていた。
いや……少女というよりは幼女といった方がいいだろうか。
血色がよく健康的な、もちもちの肌。
肩口まで伸ばされた、毛先がちょこんと丸まったのが特徴的な、滑らかな金髪。
髪色と同色の輝く瞳はリスのようにくりくりと丸く、童女の可愛らしさを強調させる。
そして――、一番特徴的なのが、人間には存在しない、先ほどからぴょこぴょこと動く、ふさふさの耳と、身の丈ほどの大きさの九本の尻尾。
今代の魔王であり、妖狐の少女――ルナ・ドゥルケ・エウカリスは、魔王としての威厳を微塵も感じさせない、落ち着かない様子で、部屋を歩き回っていた。
というのも、先日、配下であり四天王を自称する少女――ユーリ・ヴァストールク・カーフェスに、あるお願いをしていて、まだ戻ってこないからである。
約束の期日は既に1週間を過ぎている。いくら何でも……これは遅すぎる。そう思い、先ほどから、落ち着きなく歩いているのだ。
「――うええええん! まおうさまぁぁ!! 聞いてくださいよぉぉ!!!」
せわしなく、部屋中を歩いていると、玉座の間のでかい扉がバーン! と勢いよく開かれ、ようやく、件の人物が帰ってきた。――なぜか趣味の悪い骸骨の姿のままで、鼻水を垂らして泣きながら。
「おそ――な、何で泣いてるんじゃお前? あ、あと……その姿で入ってくるなと、い、言ってるじゃろが」
ルナはあんまりにも遅かったので、勢いよく怒ろうとする。
しかし、おどろおどろしい骸骨の姿で泣きながら入室してきたユーリに面喰らい、怒りの言葉を飲み込む。ルナはユーリのこの姿が怖いから嫌いだった。
ユーリは「あ、そうでしたぁ」といま気づいたかのように指をぱちんと鳴らし、自らに掛けていた魔法を解除した。すると、一瞬だけ黒々とした闇が発生し、ユーリの身体が包まれて――
――晴れたころには、華奢な少女が立っていた。
触れれば壊れてしまいそうな、陶器のように滑らかな白い肌。
翠玉の如く、碧く輝く宝石のような瞳。
腰まで伸ばした、深い翡翠色の毛髪。
頭には、アクセサリーなのか、実物大の人骨の頭を模した、特徴的なお面の魔道具を付けている。
体の線は細く、まるで深窓の令嬢のような見目をした、少女だった。――外見は、だが。
「――それで! ほんと、ほんとうに大変だったんですよ! ライフストックも殆ど無くなっちゃうし、再構成するのに時間かかっちゃうしでぇ――」
残念なことに、この少女の外見と中身は全く一致していなかった。少し口を開けばべらべらと喋り倒し、やかましく喚く。非常に残念な美少女だった。
「……はぁ。お主、もうちょっと落ち着けんのか?
急に入ってきてまくし立てられても、順序立てて言って貰わなきゃ、何いってるか分からんじゃろ」
ルナがそう注意すると、「えっと……つまり、どういうことですかぁ?」と腹が立つ顔で言うユーリ。ルナは思わずイラっとしてぶん殴りたくなった。
「……まあ、いい。それで……頼んでおいた事は、ちゃんとできたんじゃろうな?」
「それがですね! もうあり得ないくらい、強い人間が居まして――」
「…………はぁ?」
ユーリの言っていることが分からなくて、疑問符を頭に浮かべるルナ。
「……エタールで誕生した"黒髪勇者"の動向を探るのと、ついでに菓子店での買い物を頼んだ筈なんじゃが……お菓子はどこにあるんじゃ?」
「あ、それなんですけど……せっかくなら魔王さまに全部プレゼントしちゃおうかなって思いまして……エタールをアンデッドの街にしたんですよぉ! やっぱり部下として、魔王さまのことは誰よりも分かってるつもりなので!」
「…………………………は?」
ユーリの返答に、ルナは無表情で固まり……その後わなわなと口を震わせ、頭を抱える。
「…………最悪じゃ……………まじで最悪じゃぁ」
「魔王さま? どうしました? あ、さてはわたしが有能すぎてびっくりしてるんですね! ふふ……ほめてくれてもいいんですよ!」
ユーリは「ほめて! 魔王さまほめて!」とルナの小さなお腹に、頭をぐりぐりと押し付ける。ルナは本気でこの部下に殺意が沸いた。
……そもそも、ルナがユーリに頼んだのは、エタールで誕生した"黒髪勇者"なる人物の敵前調査……という建前で、エタールの菓子店でのおつかいをお願いしたのだ。
本当はルナ自身が行きたかったが……魔王である自分が安易に動くわけにはいかないと思い、行けなかった。なら別の人物に行かせようとなって、ちょうど空いていたユーリに行って貰うことにしたのだ。
ユーリは四天王の中でもアホなのでめちゃくちゃ心配だった。でも、出発前に100回くらい言い聞かせたので、さすがに大丈夫だと思った。
念のため、魔族だとバレたときの為に《幻術》の《古代遺物》を渡し、エタールの結界を抜けられるように、人間の魔力波長に合わせた《同調》の魔道具も渡した。
だが……結果がこれ。ウキウキでお菓子を待っていたら全然帰って来なくて、心配していたらこれである。完全にユーリの頭の悪さを見誤っていた。お腹いたい。
「もう嫌じゃ! わしもう魔王辞める!!」
ルナは体育座りになって顔を埋めてうずくまり、「もう限界じゃ」「おうち帰る」と泣きそうな声で吐露する。
「わがまま言っちゃ駄目ですよ! 魔王さまは《色欲》の魔印に選ばれたんですから! それに、わたしがついているので大丈夫です! 一緒に他の魔王と勇者をぶっ殺しましょお!!」
キラキラとした眼で物騒な事を言い「えいえいおー!」と拳を突き上げるユーリ。その反面、ルナの心はうつうつと落ち込んでいく。
……そもそも、ルナは人間と戦うつもりなど、毛頭ない。
元来、ルナは平和主義者なのだ。人間は好きだし、魔族とも争いたくない。
なので、誰とも争わないよう、山奥で山の恵みを食べながら、たまに変化して街へ降り、お菓子を買ったりして……それはもう平和に、ひっそりと暮らしていたのだ。
それが、ある日突然、《色欲》の魔印に選ばれて、あれよあれよと魔王に担ぎあげられてしまったのだ。最悪である。
それに――人間は魔王が一人だけだと思っているようだが……それは間違いだ。
勇者が複数人現れるように、それに対して、魔王も複数人誕生する。……最終的に残るのは一人だけだが。
現れる魔印は、人の欲望を現す
【傲慢】
【嫉妬】
【憤怒】
【怠惰】
【強欲】
【暴食】
【色欲】
の七つから選ばれ、身体のどこかに刻まれる。
より強い性質の欲望を持っている魔族ほど、選ばれる傾向にあるが……詳しくはよく分かっていない。
その法則だと、童女の姿のままで成長が止まったルナが【色欲】に選ばれた訳が分からないからだ。本当、なんで選ばれたのか分からない。理不尽すぎる。
魔王は複数誕生するが、最終的に勇者が倒すべき魔王は一人のみ。
というのも、魔王が他の魔王を倒したら、魔印が継承されてしまうから。
そして、最終的に自分以外の六人の魔王を倒し、すべての魔印を手に入れた魔王が、勇者と戦うことになる。
ちなみに、全ての魔印を手に入れた魔王でなければ、なぜか勇者にはキズ一つ付けることができない。戦った所で、聖剣を持った勇者に何も出来ずに、フルボッコされるだけである。
だから……より強い力を得たい魔王は当然、他の魔王を殺して、魔印を奪おうとする。魔王に選ばれる魔族は大体、好戦的で頭のネジが外れているので、絶対に奪おうとしてくる。
好戦的でない例外は【怠惰】くらいだ。……だが、【怠惰】はまだ所在が分かっていない。
ルナとしては早めに接触して、協力関係に持ち込みたいのだが……一向に見つからない。
他の5人はもう誕生しているのに、【怠惰】だけが見つからない。魔族じゃなくて人間に魔印が現れてるんじゃないかってくらい見つからない。
ルナは絶対に他の魔王と戦いたくないし、人間とも争いたくない。平和に生きたい。でも――
「――大丈夫です魔王さまぁ! わたしが他の魔王も勇者も殺して、魔王さまを世界の支配者にしてあげますからね! 人間共はみんな魔王さまの家畜にしますよ!」
この頭がイカレた骸骨少女がいる限り、それは難しかった。
「い、いや……それはちょっと勘弁願いたいんじゃが……」
「何を言うんですか! 魔王さまこそがこの世を統べる王! 魔王さま以外に相応しい魔族はいません! わたしはそのために四天王になったんですから! だから――」
顔を上気させて、いかにルナが素晴らしいかを語るユーリ。「そんなに心酔してるなら人の話聞けよ」とルナは思った。
だが……こんなのでも、魔法殲滅力では四天王最強。
《滅月災厄》なんて喰らった暁には、どんな魔王でも街ごと消滅するだろう。速度が遅いから多分喰らってくれないだろうけども。
ルナは戦闘力の面では最弱に等しいので、《深淵黒炎》一発で死に絶える自信がある。だからあんまり強く出れないのだ。怒って魔法連発されたら死んじゃうし。怖い。
そもそも……他の四天王もそうだが、なぜユーリ達が自分に付いてくるのかが分からない。
普通、魔王のカリスマ性とか強さに惹かれ、部下になり、服従を誓うのだ。
なのに、ユーリたちは「かわいい」「尊い」「幼女神」「もふもふ」とか訳の分からない理由で付き従ってくる。《色欲》の権能である《魅了》は一切使ってないにも関わらず、である。
「――それで、魔王さまの為にエタールで黒髪勇者をぶっ殺して、アンデッドの街にしたんですけど……あり得ないほど強い人間が、元通りにしちゃったんですよ! あ! 詳しくはこの《映像結晶》に記録されてるから見て下さい!」
ユーリは頭に付けた骸骨のお面から、ガサゴソと《映像結晶》を取り出し、床に配置する。大体聞き流していたから何言ってるか分からなかった。
「……どうせ、また変なことして自爆でもしたんじゃろ」
ルナは胡乱げな目付きで、ユーリを睨む。
なぜかこの骸骨少女は敵の前だと、「かっこいいから」とかいう意味不明な理由で、自らの理想の四天王像を演じるのだ。
趣味の悪い骸骨に変化し、不意打ちすればいいのにわざわざ姿を現して名乗りを上げ、すぐには倒さずに舐めプして圧倒的強者感を醸し出す。
それに、《死喰のカーフェス》とか名乗っているが……四天王にそんな痛々しい呼び名はない。普通にユーリとかユーちゃんとか言う名前で呼ばれてる。
以前、「何でそんなことしてるんじゃ?」と聞いたら、「黒魔人様が教えてくれたんです!」と言っていた。詳しく聞いたら、5年前に出会った黒い魔人に影響されて、『かっこよさ』を教えて貰ったらしい。意味が分からない。
そんなユーリの言っていることなので、ルナはまったく信じていなかった。所詮世迷言だろうと高を括っていた。だが――
¶
「――――あ、あ、あああああ…………!!!!」
映像結晶に映し出されたのは、予想通り変な言動で舐めプをするユーリと――圧倒的な力を持った黒髪の青年の姿。
「ほんとあり得ないですよね! わたしのライフストック、一万ちょいあったのにもう三しかないし! そのせいで身体の再構成に時間かかるしで……もう散々でしたよぉ!」
ルナは身体をガクガクと小刻みに震えさせ、冷や汗が止まらなくなる。ユーリが何か、大声で喚いているが、それすらも聞こえない。だって――その姿に、見覚えがあったから。
あれは――まだ魔王じゃなく、森の奥で平和に暮らしていたころ。
『ァ……ァァァア……』
いつも通り、早起きして山菜の採取に行ったら……頬が痩せこけた、アンデッドのような黒髪の魔人に出会ったのだ。
「ひっ! で、《不死消却》!!」
あんまりにもびっくりしたので、思わず、対アンデッド最強魔法《不死消却》を使ってしまった。
『――――《不死消却》』
だが、その魔人にはなぜか効かず――逆に、不死消却をやり返して来たのだ。
もうその時点で意味不明だった。見た目アンデッドなのになぜか効かないし、《不死消却》の術式を一瞬で理解して、行使し返してきたのだから。意味が分からなすぎた。
その後は、いつまでも追いかけてくる魔人から、泣き叫びながら逃走し、三日飲まず食わずで逃げ続けて……なんとか生き残ることができた。
あのときは本当に死ぬかと思った。そのせいで、今でも黒髪が怖くて怖くて仕方がない。完全にトラウマになっていた。
エタールに現れた黒髪勇者を見てきてと頼んだのも、もしかしたらあの時の魔人じゃないかと思ったからだ。そうだったら絶対に近寄らないようにしようと思っていた。なのに――
――この黒髪の青年は、ルナにトラウマを植え付けた魔人にそっくりだった。
餓鬼のように薄暗く、濁った瞳。
深淵の如く、真っ黒な髪
当時のように痩せこけた姿ではないが……直感で分かった。「あ、あの時の魔人だこれ」と。
「し、死ぬ……! また会ったら殺される……!」
なんか昔よりも格段にパワーアップしているし、あんなに執念深く追いかけてきた男だ。次会ったら絶対に殺しに来るに違いない。
そもそも、《滅月災厄》を掻き消し、死の王であるユーリのライフストックを一気に一万吹き飛ばすような化け物に勝てる訳がない。出会ったら死ぬ、絶対に死ぬ。
ルナが体育座りでガタガタと震えること30分弱。
「……よし、決めたのじゃ」
やっと震えが収まり、決心した顔で立ち上がった。
ルナは「ちょっと出かける」とだけ言い、玉座の間の無駄にでかい扉に向けて、とてとてと歩き出す。
「魔王さま? どこに行かれるんです?」
もうこんな所には居られない。魔王として歩き回るのは危険だと思っていたが、もうそんなことは言っていられなくなった。
このまま魔王城で引きこもっていても、他の魔王やあの黒髪魔人に怯える日々を過ごすだけだろう。
ならせめて……悔いを残さないように、ずっと食べてみたかった、あの有名菓子店のお菓子を食べておきたい。どの勇者の聖剣も、まだ覚醒していないし……たぶん大丈夫だろう。
そして、できることなら――昔から夢見ていた、各地を旅してみたい。色々な街の伝統料理やお菓子を食べ歩きたい。それさえできればもう悔いはない。他の魔王に命を差し出してもいいくらいだ。
「……よく分からないけど、魔王さまが行くなら私もいきますぅ!」
パタパタと走り、ルナのふさふさとした尻尾をもふもふしながら、ついてくるユーリ。
ルナはできればついてきてほしくないと思ったが……ユーリに言っても無駄だろう、と諦める。 あと三名いる、クセが強すぎる部下が付いてこないだけ、まだマシなのかもしれない。
「――それで、どこに行くんですかあ?」
首を傾げて聞いてくるユーリに、ルナは振り返り、答えた。
「魔道国家――マギコスマイアじゃ」