15話 ラフィネ・オディウム・レフィナード①
――もし、運命を感じる瞬間があるとしたら、それはどんなときだろう?
偶然、いつもと違う行動をして、遭う筈だった事故を回避したとき。
長年会っていなかった思い人とたまたま再会し、意気投合して結ばれたとき。
人によっては、しょうもないと思うような小さな出来事でも、運命だと感じるのかもしれない。
少女――ラフィネ・オディウム・レフィナードにとって運命とは、ある少年との出会いだった。
¶
いまから9年前――当時6歳だったラフィネは、お淑やかで上品な現在の姿からは想像できない程に、お転婆な子供だった。
それはもう大層な悪童で、毎日毎日、王城のメイドや使用人を困らせていたものである。
しかし、使用人たちは、そんなラフィネを注意することはしなかった。というより、出来なかった。
なぜなら、それをすると王――ピラール・オディウム・レフィナードからの叱責が待っているから。
ピラールは、目に入れても痛くないくらいにラフィネを溺愛していて、どんなことをしても「かわいいラフィネがしたことだから」と許していたのだ。
どんなに悪戯しても、わがままを言っても許される。
そんな環境で過ごしたせいで、ラフィネはお転婆で生意気な――いわゆるクソガキに育っていた。
だが……ラフィネが悪戯ばかりしていたのには、ある理由があった。
ラフィネには年の近い姉――第二王女と第三王女がいたのだが、ラフィネだけは姉達と違い、別宅で暮らしていた。
歳の近い姉妹ということもあり、ラフィネは姉達のいる本宅に何度か足を運び、一緒に遊ぼうと話しかけた。
しかし、姉たちはラフィネのことを「妾の子とは遊びたくない」といって、いつも突き放すのだ。
幼いラフィネには、姉たちの言っていることがよく理解できなかった。
なので、何度も何度も遊びに行っては突き放され、その度に口を尖らせて拗ねていた。
父親であるピラールはいつも忙しくてあまり構ってくれないし、使用人たちはよそよそしい。母親に至っては会ったことすらない。
だから――構ってほしくて、たくさん悪戯をした。そうすれば、みんな構ってくれると思ったから。
そんな日々を過ごしていた――ある日のこと。
ラフィネは世話役の使用人を撒いて、王城を抜け出していた。居ないと気づけば、心配してくれると思って。
「一万三千百一……一万三千百二……」
王城近くの森の中、人一人分通れる程度の小さな抜け道を通り、自分で作った不器用な秘密基地に足を運ぶと……予期せぬ来訪者の姿。
ラフィネは思わずサッと近くの木の影に隠れ、こっそりと来訪者を伺う。
「一万三千百五、一万三千百六……」
まず目に付いたのは、王国であまりいない、黒曜石のように艶やかで綺麗な黒髪。
年の頃は10~11歳くらいだろうか。
身長はラフィネよりも頭一つばかり高く、年齢の割に身体ががっしりと鍛えられている少年だった。
「一万三千百十二……! 一万三千百十三……!」
少年は地面に身体を倒し、なぜか腕立て伏せを行っていた。それも――片手だけで。
(いちまん……? ぜったいうそ! そんなにできるわけないもん! このひとうそつきだ!)
ラフィネはそんな少年を見て、嘘つきだと思った。
自分とあまり歳の変わらない小さな少年が、そんな回数出来るわけがない。せいぜい、二十回くらいを数字だけ大きく言っているのだろう。ラフィネはそう考えた。
「ん……? おい、誰かいるのか?」
少年はラフィネに気づいたかのように、腕立て伏せを中止して、こちらを振り向く。
「……っ!」
見つかってしまったことにびっくりして、ドキッと心臓が鼓動する。
「今すぐ出てこい。これは警告だ」
少年は冷たい口調で、そう言い放った。しかし、ラフィネはその場で動かず、木の影で隠れたまま。
いや、動けなかったといったほうが正しいだろう。
ラフィネは少年からなにか強い圧のようなものを感じ取ってしまい、怖くて動けなかったのだ。
甘やかされて育ったラフィネにとって、それは初めての感情だった。
「……こないならこっちから行くぞ」
ラフィネが初めての感情に戸惑っていると、少年が近づいてきた。
「…………ぁ」
近づいてくる少年を見て、あることに気づいた。よく見ると……少年は何やら奇怪な仮面を付けていたのだ。目の所に穴が開いていない、目と鼻だけを覆った変な仮面を。
ラフィネが「前みえてるのかな……?」と考えていると、
「……なんだ、子供か」
少年がラフィネを見て、ちょっとがっかりしたように溜息を吐いた。
その態度にラフィネは顔をムッとさせ、露骨に不機嫌になる。なぜ自分と大して歳が変わらない少年に子供扱いされなければならないのか。無性に腹が立った。
「こんなとこに居ないでさっさと帰れ。親が心配するぞ」
少年はしっしと追い出すように手を振り、腕立て伏せを再開しようと戻っていく。
ラフィネは少年をキッと睨み、
「……ここ! らふぃねの!」
と声を張り上げて言った。
「……は?」
少年は振り返り、何を言っているのか分からないと言いたげな顔になる。
「ここ! らふぃねの場所だから! 出てって!!」
ラフィネは気丈に、少年に向かってそう叫んだ。
少年が怖いという気持ちもあったが、そもそもこの場所はラフィネのお気に入りの秘密基地なのである。
部外者に勝手に使われて、大人しく帰るわけにはいかないのだ。だから、怖かったが震えを抑え、必死に叫んだ。
少年はラフィネをめんどくさそうに一瞥し、
「……はぁ? 別にここ、お前の敷地ってわけじゃないだろ? 何で俺が出てかなきゃいけないんだ?」
と言った。肩をすくめて、腹立たしく。
「……いいから、出てって! 『どっか行って』!」
ラフィネはカッとなり、追い出すために《言霊魔法》を行使する。だが――
「んん? ……いま、なんかしたか?」
なぜか、少年には効かなかった。
今まではそんな人いなかった。
ラフィネは生まれつき魔力量が多かったので、自分より下の魔力量で、魔法抵抗が低い者なら、誰でも従わせられた。
まだ魔力操作が未熟で、一人にしか行使できないという欠点はあったが……それでも一人だけなら絶対に従わせられるという自信があった。
なのに、なぜか少年には効かなかった。
ラフィネは初めての経験に戸惑い、混乱する。そして……瞳に大粒の涙を溜めて、泣き出しそうになった。
「あー……ちょっと言い方キツかったか? 悪かったよ」
少年がラフィネを宥めるが、それもなぜか悔しくて、一層涙を溜め、唇を尖らせる。
少年はそんなラフィネにあたふたと慌て、
「じゃ、じゃあ今から俺がめちゃくちゃ面白い話してやるから! だから泣き止め! な?」
そう言って少年は、ふてくされたラフィネに、いろいろな物語を語った。
――平和に暮らしたい魔王が、癖のある配下たちにドタバタと振り回される日常物語。
――落ちこぼれの少年と、咎人として追い出された魔族との恋物語。
――英雄になった騎士が、孤児院を作って子供たちを育てるほのぼのとした物語。
少年の語り口はとても上手で、語ってくれる物語のどれもが、王族お抱えの吟遊詩人よりも面白く、ドキドキハラハラとした物語だった。
気づけばラフィネは少年の語る物語に食い入っていて、泣き出しそうだった感情も、すっぽりとどこかに抜けていた。それほどまでに、少年の語る物語は面白かった。
「――っと、こんなとこだ。泣き止んだか?」
少年がまたひとつ、物語を話し終え、ラフィネにそう聞いた。
「……まだ、ないてる」
既に涙なんて出ていなかった。でも、もっと少年の語る物語が聞きたかったからそう答えた。
「えぇ……でもお前、もう泣いてないじゃ――」
「まだ! まだだめ!!」
ラフィネは少年の言葉を遮り、叫ぶ。
少年はそんなラフィネにため息をついて、
「はぁ……分かったよ。でも今日はもうおしまいな? もう暗くなってきたし……早く帰ったほうがいいぞ?」
空を見ると、もう日が落ちかけてきていた。夢中になって聞いていたので、まったく気づかなかった。
「じゃあ……またあした! またあしたね!」
「分かった分かった。……最近は大体、昼くらいにはここに戻ってるから。来たいならそのときに来てくれ。別に来ないでいいけどな」
ラフィネは「わかった!」と答え、王城にこっそりと帰った。
使用人たちは誰も、ラフィネがいなくなっていたことなど気づいてすらなく、何も言われなかった。
それもそうだ。使用人たちは「王城内で隠れんぼでもして遊んでいるのだろう」程度にしか思っていなかったのだから。
そもそも、高い塀に囲まれた王城から出るには正門を通るしかない。実は壁の老朽化で、小さな子供程度なら通り抜けられる穴があったのだが……草陰に隠れていて、それはラフィネしか知らなかった。
ラフィネはこの日から毎日。秘密基地に通った。
少年はほぼ毎日、昼過ぎくらいになると現れ、ラフィネに毎回違う物語を語ってくれた。
誰かに構って欲しかったラフィネにとって、少年と過ごすこの時間は幸せだった。大好きだった。
物語で分からなかった所を質問しても、少年は面倒くさがりながらも、丁寧に、ラフィネにも分かるように簡単な言葉で教えてくれる。話しかけても煙に巻いてどこかにいってしまう使用人たちとは違くて、それが嬉しかった。
「……じゃあ、今日はどうする? またあの話か?」
少年は少し呆れた声を出し、ラフィネにそう聞いてきた。「またぁ?」とでも言いたげな声で。
ラフィネは目を耀かせ、ちょこんと少年の前に座り「うん!」と元気よく返事をする。
「ほんと飽きないなお前……まあいいけどさ」
少年はぶつくさと言いながらも、ラフィネのリクエストに応え、語り始める。
少年が語ってくれたのは、『魔王を倒し世界を救った勇者が、市民に愛される優しい王女と結ばれる』というシンプルな英雄譚。
ラフィネはこの物語が大好きだった。だって――自分に似ている、そう思ったから。
なぜか、『王様になった勇者が、部屋に引きこもって何もしないヒモ状態になる』ということを除けば、ラフィネにとってすごく憧れる物語だった。
その部分を変えて欲しいと何度いっても、少年は「ここが一番いい所だから」と変えてくれなかったのは不満だったけども。
「らふぃねにも……なれるかな?」
物語のような王女に憧れたラフィネは、そう少年に聞いてみた。
少年はラフィネをちらりと見て「無理だな、絶対無理」と鼻で笑い、「そもそも、この王女様はお前みたいに敬語も使えないクソガキじゃないからな」と言った。
ラフィネはその言葉にムッと眉をひそめ、
「けいごつかえるもん! ……つかえるですわ?」
少年はへんな敬語で喋るラフィネを一瞥して、「やれやれ」と肩をすくめる。
ラフィネはこの時、作法のお稽古をサボらずに受けようと固く誓った。バカにする少年を見返してやろうと。
この日から、ラフィネは物語の王女様のようになるために、王城でのお稽古をサボらないようになった。
そんなラフィネに使用人たちは少し困惑したが、一時的な気まぐれですぐ元に戻ると思い、特に態度を変えることはしなかった。
でもラフィネは使用人たちに冷たくされても、もう気にしなくなっていた。
だって秘密基地にいけば、面倒くさがりながらも優しくしてくれる――あの少年に会えるから。
ラフィネは幸せだった。楽しかった。
父親であるピラールも優しくしてくれて好きだが、それよりも対等に過ごしてくれる少年の方が大好きだった。
『この楽しい日々がいつまでも続けばいいな』
そんな事を思っていた矢先のことだった。
幸せなひと時に――亀裂が入ったのは。