26話 破壊
術者のルーカスが意識を失い、《異界》から視界が切り替わって元の場所に戻った。
重かった身体が軽くなる。自分の肉体に《身体強化》と《結界》をかけてみると、使えなかったのが嘘のように問題なく行使できた。
足下には倒れ伏すルーカスの姿。動くことはできないだろう。俺の剣はルーカスの胴体を切り裂き、内臓を抉って骨を断った。微かに呼吸が聞こえるのを見るにどうやら急所を外してしまったようだが……まともに声を出すことすら不可能のはずだ。
これで障害は一つ潰した。俺は顔を上げ、レティがいる隅の方へ足を進める。
だが、そこにはレティに寄り添うように男が座っていた。
「レティノア、家族に戻ったら何をしようか。……そうだ、山へピクニックしにいこう。パパと二人は嫌かい? ならまた別の兄妹を作ってみんなで行こう」
四十代前後の男だ。《異界》に転移する前、端で身体を丸めて縮こまっていた男。目は窪んで頬は病的なほど痩せこけている。その男はレティに触ろうとして俺が張った結界に弾かれながら、何かをぶつぶつと語りかけている。
おそらくこいつが、レティの父親だった男――レドニス。
「大丈夫だよ、もうつらいことは何もしなくていい」
「おい」
「私たちだけの世界で、みんな幸せに暮ら――」
「邪魔だ」
俺は手をかざし、魔弾を放った。レドニスの上半身が跡形もなく消失する。膝をついて倒れ、気味の悪い声が聞こえなくなる。
地面に転がった邪魔な死体を蹴り飛ばす。これで静かになった。
レティの傍に近寄ろうとして、後ろから声が耳に届く。
「うわ、レドニスの奴、死んでんじゃねーか。なっさけねー……でもまあいいか、もう用済みだし。俺の為に働いてくれてありがとなぁー」
それは低い男の声、俺は声の方向に振り返る。
「つかよお、この身体まーじですげえわ。身体は軽いわ、魔力はクソ多いわで、しかもこれまで奪ってきた勇者の力全部つかえんの。おら見ろよこれ、いち、にい、さん……六個だぜ⁉ あのノアと同じってやべえだろ!」
痩せ型の男だ。年齢は十八歳前後。長い銀髪を振り回して子供のようにはしゃいでいる。その身体には何も纏っておらず、額、首、左頬、右胸、右手、腰……それぞれの場所に印が刻まれている。それは紛れもなく聖印だった。
「顔もさ、クソイケメンじゃねー? こりゃ女もほっとかねーって……と、そうだ服、服っと……取りあえずクソだせえけどこれでいいか、後で服屋みていいの探すか」
男が自分の身体をぺたぺた触ると、皮膚が引き延ばされて不格好な服のような形になる。
「お前は……セフトか?」
「そうだけど? 呼び捨てにすんじゃねーよ」
周囲に顔を巡らせると、カアスの身体が地面に倒れているのが見えた。セフトはこいつの中に入っていたはずだ。動ける状態ではなかった……それが別の身体に移っているということは、俺が《異界》の中で戦っているとき、レドニスが動いてセフトの身体を入れ替えたのか。
……まあいいか、そんなことはどうでも。
「さっそく試運転するか。お前が誰か知らねえし悪いんだけどよお……死んでくんね?」
セフトが手に剣――聖剣を顕現させて、剣先をこちらに向ける。
次の瞬間、何の前触れもなく俺の右腕が吹き飛ばされた。
防護魔法は何重にも纏っていた。にも関わらずそれすらもあっけなく貫通した。
「おおお! これが【破壊】の力……! 使える、使える! すげえ!」
セフトはウキウキとはしゃいでいる。新しく手に入れたおもちゃを動かすように。
……これが【破壊】か。知っていた情報と同じだ。示した場所に不可視の塊を飛ばし、あらゆる防護魔法を無視して破壊する能力。
ノアの持っていた【破壊】と同じなら、出現位置は対象地点の上下左右どこからでも可能で大きさも形状も自在……だがそれは聖剣が覚醒している状態で、通常時は出現位置も直線で大きさも変えられない。セフトの聖剣を見るにまだ覚醒してはいないだろう。
なら、問題ない。
「《上位治癒》」
そう唱えると失った右腕が再生して元通りになる。
「……ああ?」
セフトの怪訝そうな声。俺は構わずセフトに向けて足を進めた。
再度、俺に剣先が向けられた。今度は左足が吹き飛ばされる。
「《上位治癒》」
一瞬で治った左足で地面を踏んで進む。呆気にとられているセフトの顔が見えた。
「……なんだ、お前?」
また剣先を向けてくる。頭を狙った一撃に対して頭を横にずらして避ける。着弾が早すぎて完全に避けきれずに耳と顎が消し飛んだが、一瞬で治して再生を行う。
「《上位治癒》、《上位治癒》、《上位治癒》、《上位治癒》、《上位治癒)》、《上位治癒》――」
頭と心臓にだけ当たらないように避け続け、損傷した部分を再生し続ける。
右半身が消失して再生、下半身が消失して再生、声を出せなくなっても無詠唱で行使して、その度に何事もなかったように一瞬で元に戻る。
「なんだ、お前、なんだよお前、なんで死なねえんだよッ!」
セフトが顔を引きつらせて叫ぶ。意味が分からないといいたげに混乱している。
俺の《上位治癒》なら死にさえしなければ魔力が尽きるまで再生し続けられる。再生速度を極限まで高めたせいで魔力の消費がクソ激しいが、それでもまだまだ余裕がある。
いくら速くて不可視だろうと、予備動作が見え見えの攻撃で死ぬという方が難しいものだ。さすがに完全に回避とはいかないが、急所を外すくらいはできる。
覚醒後の【破壊】なら分からなかったが……この程度で俺が死ぬわけがない。
……ちなみに、今の俺は事前に【次元蘇生】を外してある。
その理由は、相手が俺に深手を負わせられる敵だったとき、単純に治癒できないのは不利になるからだ。もし死んでしまえば蘇生までの時間はタイムラグがある。蘇生したあとも無防備でそこを狙われればひとたまりもない。
できることなら外したくはなかった。少しでも気をぬけば急所に当たって俺は死ぬ。今だって神経を全集中させて急所を避け続けている。やりたいわけがない。
その後、セフトは別の方法で俺を殺そうとし続けた。別の聖剣の力を使い、ありとあらゆる魔法を行使し、しまいには剣で斬りかかり、体術で肉弾戦を仕掛けてきた。
だが、すべてにおいて俺は上回っていた。
「お、俺は……最強になったはずで、誰も俺に勝てないはずで――」
戯言をぬかすセフト。その顔には恐怖が生まれてきている。
俺は一歩、足を進ませた。セフトは尻もちをついて後ずさる。
「く……来るんじゃねえ」
引きつりきった不細工な顔面。俺は構わず二歩三歩と進み続ける。
「来んなっつってんだろ……!」
両腕が、下半身が、何度も何度も吹き飛ばされては何事もなかったかのように再生する。
「なんでだよ、どうなってんだよッ!」
とうとうセフトは地面を這いつくばって逃げ始めた。恐怖で腰が抜けているのか、立つことができないようだ。なんとも情けない格好で俺に背を向けている。
やがて追いついた。その後頭部を勢いよく踏みつける。鼻の骨が折れる音と蛙が潰れたような声が鳴る。
「お前のせいで俺に迷惑がかかった」
「う、うるせぐゴがッ⁉」
セフトの口を足で蹴り飛ばす。折れた歯が何本も地面に転がった。
「やめ――」
髪を掴み、無理矢理に持ち上げる。それでもまだ抵抗する気力が残っているのか、セフトは右手に魔力を集めて何かを行使しようとした。
「謝れよ」
発動する前に右腕を捻って引き千切った。痛みでのたうち回るセフト。
その身体には強固な防護魔法が何重にも重ねられていたが、魔法で強化した俺の方がわずかに勝ったようだ。
すぐ回復魔法で癒やすか防護魔法を張り直すかすればいいものを、叫び暴れるだけでしようとしない。おそらく痛みを覚えた経験が少ないのだろう。
得た力が強力でも使いこなせなければ意味がない。ただ身体を変えて他人から奪っただけのこいつに俺が負けるわけがなかった。
セフトはひとしきり暴れてやっと大人しくなる。顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
「い……いやだ。なんで俺が、なんで俺がこんな――」
セフトは気が動転して無様に這いつくばっている。ひどく無様だった。
「助けてくれ、頼む、俺はまだ死にたくない……!」
しまいには命乞いをし始めた。媚びへつらった顔で俺を見上げる。
……情けない奴だ。信念なんて欠片もないのだろう、プライドを捨ててただ生きることだけに無様にしがみついている。
マジで、聖印はなんでこれを勇者に選んだのか。こんな奴を選ぶくらいなら修行中の俺の方がよっぽど勇者してる。人を見る目がなさすぎるだろ。
俺は頭をかいてため息をはいたあと、つぶやく。
「死ね」
俺の魔力に押し潰されたセフトは跡形もなく、粉々に消滅した。