25話 王政世界
赤光が収束していく。視界が捉えたのは別の景色。
《異界》に転移したとすぐに気付いた。辺りを見回して状況を確認する。
荒野だ。緑一つない荒れ果てた大地。岩や建物などの視界を遮る大きな物体はなく、地平線がどこまでも続いている。
吹き付ける風に砂塵が舞った。茜色の光が空から降り注いで、地表の至るところに刺さった物体が反射して煌めいた。
それは、武器だった。
短剣、片手剣、長剣、大剣、曲剣、双剣、刺剣、斧、槍、刀、太刀、魔法剣――
長さも大きさも違ったありとあらゆる武器が、まるで剣塚のように点在している。
しかもそれだけじゃない、この武器たちは――
「全部――聖剣か」
【蝕】のカルドピア、
【幻】のヴィズィオン、
【魔】のアムレート、
【氷】のバラフ、
【速】のラピッド、
【血】のモナーク……
数え切れないほどの聖剣、そのすべてが過去に実在した勇者が使ったとされる聖剣と同じ形状をしている。
そして、その一つ一つが膨大な魔力を秘めている。まるで――本物のように。
疑心が確信に変わったとき、背後からルーカスの声が聞こえて、俺は振り返る。
「以前貴様と戦ったとき、俺は全力を出し切った」
手には聖剣が握られている。剣身は眩い赤光を放ち、炎のように煌めいている。
「手を抜いたつもりはない。俺と貴様は同じ条件で戦い、俺が敗れた。聖剣を覚醒させなかったのは公平にならんと思ったからだ」
ルーカスは地面に刺さっていた短剣をおもむろに抜き、こちらに投げつける。
一直線に向かってくる短剣に俺は身体をずらして避ける。短剣は掠りもせず横を通過し、カラカラと地面に転がった。
そこで俺は気付く。身体が――妙に重い。
短剣を避けようとして一瞬遅れが生じていた。水の中に身体を浸からせているように全身の動きが鈍い。常時行使しているはずの《身体強化》がなぜか外れている。
「通常、俺の聖剣は過去の勇者の紛い物しか扱えない。だが、この世界なら俺は本物の聖剣を扱える。使用者が不在であればどんな聖剣でもな。あぁ、それだけではない」
《身体強化》をかけ直そうとして術式が霧散する。俺の中に魔力がないわけじゃない、外部からの干渉で行使する直前に魔力が掻き消されている。
それは、魔法が一切使えないことを示していた。
「《王政世界》――この世界では俺が王で、貴様が民だ。俺の力は尽きることがなくなり、貴様はあらゆる力を失う。民が王と同等など不遜だろう?」
全身がさらに重くなり足がふらついた。俺の身体から容赦なく力が抜き取られている。
「……理不尽な力だな」
「世界は往々にしてそういうものだ。非合理と不平等に満ちている」
俺はそのセリフに声を上げて吹き出す。上から目線に勝った気でほざくこいつがおかしくてたまらなかった。
ルーカスは眉間に皺を寄せる。俺は右腕を前に突き出して掌を開いた。発生した黒い粒子が収束して剣を形成していく。
黒剣を握り込む。目を剥いているルーカスの顔が見えたが、説明するつもりはない。というか俺だって理解していないのだから説明できない。
だから分かるのは一つ。
「確かに不平等だ、こんだけお膳立てしても俺の方が強いんだからな」
「……ぬかせ、貴様に何ができる」
「お前をぶん殴ることができる。魔法が使えないって? 身体がちょっと重いだけで俺が弱くなるとでも? そんなもん、修行で何度も通った道だっての」
俺は剣技を磨くために、目隠し鼻栓耳栓をつけて五感を遮断しなおかつ魔法を禁止した上でボロボロの折れた剣を持ってS級モンスターに挑む男だ。そんな俺がこの程度の逆境に怯むわけがない。
「いいからかかってこいよ――怖いのか?」
指をクイクイ動かして挑発する。ルーカスの額にピキリと青筋が立った。
「最後まで腹が立つ男だ――」
先手はルーカスが取った。瞬きをする一瞬で俺との間合いを詰め、聖剣を抜き放つ。
洗練された神速の一刀。赤光を纏う剣身は猛烈な熱を帯びている。わずかでも触れれば金属すらも容易く溶かし切り裂かれるだろう。何の防護もしていない俺の身体なんてそれこそバターにナイフを入れるよりも簡単なはずだ。
放たれた一閃。普通なら避けることは不可能。だが俺はルーカスが踏み込む前に身体を後ろに倒して回避行動に入っていた。地面を蹴り後ろに飛ぶことで難なく回避する。
「《炎獄》」
逃げた先に出現した炎の嵐。回旋する渦が俺を取り囲み始め、反射的に外に脱出しようとする、だが一歩遅かった。完全に渦に飲まれた俺は逃げ場を失う。
「邪魔くせえ」
身を屈め足に力を籠めて一回転。右薙ぎに振るった黒剣が剣風を巻き起こし、炎を切り裂いて消し飛ばす。
目を見張るルーカスの姿が視界に迫った。炎の消滅と共に眼前に移動した俺は、すでに剣を逆袈裟に斬り上げている。剣とルーカスの距離は拳一つもない。
反応すら難しい一撃。しかしルーカスは紙一重で躱してみせた。
だが無理な回避は否応なく体勢を崩す。俺が放った追撃の蹴りには対応できず、腹に埋まった俺の脚がルーカスの身体をくの字に曲げて勢いよく宙に吹き飛ばす。
地面に激突し砂煙が舞い上がる。視界が覆われてルーカスを一瞬見失った。
「読めてんだよ」
背後から振り下ろされる剣。俺の頭が叩き割られる寸前で黒剣を挟んで受け止める。そのまま開いた腕で肘打ちを狙うが、ルーカスが後ろに飛んで回避された。
互いに距離が開く。ルーカスはこちらを睨んでいた。
「化け物が……!」
俺は肩をすくめる。いい褒め言葉だ、思わず笑いそうになる。
「なぜ、貴様ほど強い人間が勇者に選ばれないんだ」
「そんなん知るか。聖剣が俺のこと嫌いなんじゃねーの。ま、選ばれなくて良かったよ、勇者になりたいなんて過去の俺はどうかしてた」
もし勇者に選ばれていたらと考えただけでぞっとする。毎日労働休み無し、なのに責任だけはいっちょ前、んなブラックまっぴらごめんだ。
「使命もない貴様が……俺に勝てていいはずがない!」
「うるせえな、使命なんてあるわけねえだろ!」
こちとらただのD級冒険者だ。使命も義務も責任も全部放り投げて生きてきてんだ。
「俺にお前の価値観を押し付けんな。使命使命って、勝手に妄想して縛られてんのはお前だろうが。自由に生きてるのが羨ましいずるいって素直に言えよ」
「ッ……ふざけるな!」
ルーカスが新たな聖剣を顕現させた。剣身が弧の字に湾曲している。何重にも鉄の茨が絡み錆びついた刃はとうてい実用できるとは思えない。
【血】の曲剣――モナーク。
聖剣を振り上げてルーカスは宙を斬った。すると、聖剣から幾重もの血の刃が生じて一直線に俺に襲いかかる。
性質は理解している。この刃で少しでも手傷を負えばその傷は癒えることなく体内の血が尽きるまで出血し続ける。そうなれば持久戦に持ち込まれて失血死するのは俺の方だ。
剣で払うこともせず横っ飛びに回避。【血】で生み出された刃は斬れば分裂してしまう、知らずに斬れば俺の全身は切り刻まれていただろう。
「気に入らん――」
ルーカスが天に手をかかげ、空に展開された無数の魔方陣から光弾が降り注ぐ。
俺は襲い来る光弾をすべて剣でたたき切る。一つ一つ正確に、一切の被弾をせず。
「俺には使命も正義もない。ただ好き勝手に生きてムカついたらぶん殴る、それだけだ」
「それがッ! 気に入らんと言っている!」
お互いの剣が交錯する。眼前で火花が散り、剣戟が幾重にも鳴り響く。そこには美しい剣舞も達人の技も存在しない。ただただお互いの力をぶつけ合うだけの荒々しい剣だった。
やがて、永劫にも思えた剣戟はルーカスが引いたことで終わりを告げる。
「……なぜだ」
「ああ?」
「ならなぜ、【攻】を助けようとする」
その質問に俺は一瞬黙って考える。なんでレティを助けるのか、その理由は正直まだよく分かっていない。その答えを知るために俺はここに立っているのだから。
ここに来る途中、地面を殴りながら考えていた。なんで俺が必死に頑張っているのかと、面倒くさがりで怠惰な俺が他人の為に動いているのかと。
俺は気付いた。というよりも、最初から悩む必要なんてなかった。
俺はこれまで誰の為に動いてきた? 誰の為につらい修行をして力をつけた?
息を吸い込み、答える。
「俺のためだ」
自分のために動く、俺の行動原理はそれで一貫していた。
あれこれ難しいことを考える必要はなかった。たとえ不利益を被る行動だったとしてもそれでいい。俺が俺のためと納得できるのであれば関係ない。
レティを助けるのに理由なんていらなかった。俺がそうしたいと少しでも感じたのなら、悩まずに行動すれば良かっただけだったんだ。
「……答えになっていない」
「なってるだろ、すげえなってる」
失礼な奴だ、これ以上ないくらい完璧な結論なのに何を言うのか。この結論に至るまでにどれだけ時間かけて悩みまくったと思ってんだ。
「貴様は、どこまで俺を虚仮にするつもりだ」
「舐めてんのはお前の方だろ。お前が俺に――」
「ふざけるなッ――!」
ルーカスは地面を蹴る。冷静な思考を失っているのか動作も剣筋も見え見えだ。
俺は溜息をつく。本当にガキだなこいつは、怒りの感情のまま俺に当たっていて冷静になれていない。大人の俺を見習えクソガキが。
「別に、俺はお前の保護者じゃないからお前が何をしようが勝手だ。犯罪でも何でも好きにしてくれ、ただな――」
振り下ろされる聖剣を容易く弾き飛ばす。一足、ルーカスの懐に飛び込み。
「俺に迷惑かけんじゃねえ、馬鹿野郎」
ありったけの力で剣を振り抜いて、がら空きの胴体を一閃した。
ルーカスは口から大量の血を吐き出し、地面に倒れ伏す。
それ以上、立ち上がることは無かった。