24話 赤光
「――来たか」
まるで予期していたかのように赤髪の男――ルーカスが俺を見てそう呟いた。
俺は返答せず、倒れているレティに駆け寄ろうとする……が、それを阻むようにルーカスが立ち塞がり、俺は殺気を込めて睨む。
「後で相手してやる、どけ」
「【攻】ならもう無駄だ。生命力が消えかけている」
「いいから、どけって言ってんだよ」
「……まあいい」
ルーカスは鼻を鳴らし、道を開けた。俺はレティのそばで膝を折り、手を額にかざして、魔法で状態を確認する。
そしてすぐにある事実が判明し、息を呑んだ。
体内魔力が、ほぼ存在しない。
初めから体内魔力がない特殊な場合を除き、あらゆる生物は寿命で死ぬとき、体内魔力がすべて消失する。完全に消えてから《蘇生》や《治癒》を行っても、失った体内魔力は戻らない。寿命での死には抗えない。
それがほぼ存在しない。つまり、レティの命の灯火は消えかけていた。
驚くほど酷い状態だった。全身はズタボロで裂傷が走り、腹部は赤黒く染まっている。微かに上下させている胸の呼吸は今にも止まりそうなほど弱々しい。目は虚ろで焦点があってなく、ただの人形のように宙空を見上げていた。
応急処置として《上位治癒》で全身を治療すると傷は塞がっていく。しかし、荒い息は治らず命が消えかけているのは変わらない。一刻も早く体内魔力を補充して一時的にでも延命させる必要があるが、その間の俺は無防備になってしまう。
レティの身体を少しでも楽な態勢にしようと思い抱き上げて、その軽さに目を見張った。
大人とは違う子供の体重。俺は改めて再認識する。
――まだ子供なんだ、こいつは。
抱きかかえたままゆっくりと空間の隅に移動し、《異空間収納》から毛布を取り出した。硬い岩肌の地面に敷いて、レティを慎重に下ろす。
手を目に添えて、開いていた瞼をそっと閉じさせる。その子供らしい安らかな表情は、まるでただ寝ているだけに見えた。
「気はすんだか?」
身体を起こし、声の方向へ振り返る。ルーカスが無感情な瞳を向けてきている。
「どうやってここまで来た。上層から最深部まではどんなに急いでも数時間はかかる」
「上見りゃ分かるだろ。穴開けて来たんだよ」
指で天井を指し示す。ルーカスは呆気にとられたように押し黙って、「……本当に常識外れな男だ」と口をひくつかせる。
そりゃ驚くだろう。俺はできる限りの最短ルートで辿り着くために、クソ硬い地面を殴りまくって一直線で来たのだから。【試練の谷】の内部はかなり複雑に入り組んでいる。仕掛けを無視して時間を短縮するにはこれが最適解だった。
ありったけの強化魔法を使って掘り進んでも地面が硬すぎて何度も手が折れまくったが、《治癒》を使えば元通りになる。結果、二十分ほどで開通することができた。
だが、それでも俺は遅かったらしい。
できるだけ感情を抑えて声を出す。
「いま引き返せば許してやる」
「……なに?」
「俺はレティの治療に入る。その間、あそこで伸びてるクソ野郎と腰抜かしてるおっさんを見ておけ。そうすれば裏切ったことは全部忘れてやる」
背を向けてレティに手をかざそうとする。だが返答は剣で帰ってきた。
俺は振り帰ることなく、首を狙った一撃を片手で止める。強く握り込んで剣を砕く。破片がパラパラと舞い、折れた剣が地面で硬質な音を鳴り響かせた。
息を呑む音が聞こえた。背後にいたルーカスの気配が遠ざかる。
俺は自分の身体を見て、驚く。
今まで見たことがない量の魔力が全身を蠢いている。抑えようとするもコントロールすることができなかった。俺の意思と無関係に際限なく溢れ出す。
空気が激しく振動した。俺の魔力に触れた地面に亀裂が走った。
あぁ、そうか……俺は。
俺は、怒っているのか。
渦巻く激情の中で、頭の中はひどく冷静だった。感情に振り乱すことなく、無駄のない思考でレティを助けるためのプロセスが組まれていく。
身体が損壊しないよう、レティの身体に《結界魔法》を何重にも行使した。
「少しだけ待っててくれ」
障害を除去するために、顔を上げて振り返る。
「すぐ戻る」
手に黒剣を取りだしてルーカスと対峙する。
「一つだけ聞かせろ、どうして裏切った」
「裏切る? 何を勘違いしている、仲間だった覚えはない」
「勇者のお前がどうして加担したのかって聞いてんだよ」
「……貴様には関係のない話だ」
「そのせいで迷惑被ってる。関係ないわけねえだろうが」
ルーカスは鋭い目を流し、少し考え込んだあと、やがて答える。
「終わらせたかった」
「は?」
脈絡のない返答に面を喰らう。何を言いたいのかが全く分からなかったからだ。
「6年前、悪魔がリヴルヒイロを襲った。知っているだろう?」
「……それがどうしたよ」
「暴走した悪魔は多くの住民の命を奪った。一つの区域が壊滅し、6年が経過した今もなおその傷痕は癒えていない」
【復興区域】の街並みが思い浮かぶ。壊れたままの街灯、撤去されていない瓦礫、猜疑的な住民……そこで生まれ育った彼らは、不便を抱えたまま生きることを強いられている。
「【復興区域】など名ばかりで実情は隔離だ。偏見、差別……人種が違うという理由で、不当な扱いを受けなければならない。腐った世の中だ」
「……それでも、差別する人ばかりじゃない」
言って、俺はあることに気付いた。
「そうだ、霊剣はどうした。ヘンリーともう一度会うんだろ」
肌身離さず持っておけと言ったはずの霊剣。ヘンリーを早く目覚めさせるためにはずっと傍に置いておく必要がある。それが、ルーカスの姿を見回してもどこにも見当たらない。
ルーカスはああ、と頷いて。
「あれは捨てた。もう必要ない」
「な――」
唖然としてしまった。
捨てた? 自分の弟の魂が入ったものを?
俺が何かを言う前に、ルーカスが聖剣を顕現させて地面を蹴った。
咄嗟に黒剣で防御。数合の剣戟を交え、つばぜり合いになる。
「話の続きだ――悪魔は街を襲った。その時、近くには勇者がいた。だが助けにはいかなかった、住民を見殺しにして逃げたんだ」
聖剣を弾き返し、互いに距離を取る。
「その勇者は、俺だ」
衝撃の発言に一瞬、隙が生じた。わずかな隙、ルーカスは見逃すことなく一足で俺の懐まで踏み込み、横薙ぎに聖剣を振るう。
左足の大腿部が深く切り裂かれた。バランスを失って倒れかける前に右足を軸にして身体を捻って跳ぶ。宙に浮いた一瞬で《上位治癒》を行使し、治った左足で勢いのまま回り蹴りを放った。
ルーカスは上半身を後ろに逸らして回避。追撃で放った俺の剣に難なく対応し、高い金属音が空間に鳴り響く。
「ヘンリーが死んで、悪魔と対峙した俺は相打ちになった。互いに手傷を負い、悪魔は街の方向へ逃げ込んでいった。だが、俺は追い掛けようとすらしなかった」
剣と剣が火花を散らして交錯する。
「思ってしまったんだ、『どうして俺が助ければならないのか』とな」
そう語るルーカスの顔は、何の感情も移っていなかった。
「敗れて死ぬかもしれない。なのに、自分を犠牲にして助ける価値があるのか?」
打ち合う剣が激しさを増していく。
「勇者だから当然? なら誰が俺を助けてくれる? 俺は何度も助けてくれと頼ってその度に断られた。見窄らしい子供だと石を投げられた。最愛の弟すらも失った。なのになぜ、俺だけが助けなくてはならない? ……そう思ってしまった。住民の大半が罪のない人間だったことを忘れてな」
ガキンッ、そんな音と共にルーカスの聖剣にヒビが生じる。
「見殺しにした。背を向けて逃げた。俺は悪くないと醜い言い訳をした」
俺は剣を受け続ける。その度にヒビが広がっていく。
「日を跨ぐごとに嫌悪と罪悪感が俺を蝕んでいった。どんなに目を背けようとも事実は変わらない。俺の選択が何の罪もない大勢の人間を殺した。俺のせいだ、俺が殺した」
やがて耐えられなくなった聖剣が音をたてて折れた。ルーカスは俺と距離を取り、折れた聖剣を投げ捨てる。
その姿はまるで、懺悔しているかのようだった。
苦痛に顔を歪め、ルーカスは両手で頭を掻きむしる。
「ずっと、ずっとだ。頭の中に声が鳴り響く。死者の声が、呻きが、恨みが、頭の中で俺を苛ませ続けて、その度に狂いそうになるんだ」
何本もの赤髪がはらはらと地面に抜け落ちる。
「罪を濯ぐように勇者として人を助けた。ヘンリーが望んでいた理想を演じれば、一瞬でも現実を忘れることができた。悪夢でうなされた夜は二人で騎士になると語り合った日々を思い返した。俺にとって大切な思い出だった……はずだった」
ルーカスは「だが」、と俯かせていた顔を上げて。
「いつしか、ヘンリーとの記憶が不快になった」
憎悪。
憎しみを湛えた剣呑な表情で、歯を噛みしめている。
「あいつの理想が俺を苦しめた。綺麗事だけの記憶に虫唾が走った。ヘンリーの言葉が俺を縛り続けた、あいつの理想は俺にはあまりにも重かった」
ルーカスの握りしめた拳から血が滴った。俺はやっと口を開く。
「だから、捨てたってのかよ」
「……昔の俺はもういなくなった。今さら会わせる顔などない」
「ヘンリーはお前を許す、また二人でいちから――」
「許す? あぁ許すだろうな、あいつはそういう奴だ」
くく、ルーカスは口の端を上げる。泣き笑うような顔で言った。
「俺が、俺を許せないんだ」
その姿を見て、俺は気付いた。
今までこいつに感じていた苛立ちと嫌悪、それの正体が分かった。
こいつが……俺に似ていたからだ。
性格じゃない、誰にも頼らずに一人で生きようとする姿が俺と同じだった。
俺は強い、精神も肉体も強い、だから一人でも問題なかった。何が起きても一人で解決することができた。
だけどこいつは違う。勇者としての責務と己の感情に葛藤して、弱い自分を許すことができていない。ちゃらんぽらんに適当に生きる俺と違って、自分が押し潰されそうになってもなお逃げ出すことが選択できないんだ。
おそらく、何度も勇者を辞めたいと思っただろう。すべてを捨てて逃げ出したいと思ったはずだ。だが、勇者に選ばれてしまったという強い責任感がそれを許さず、ここまで追い詰めるほど蝕んでしまった。
「セフトの計画を聞かされて安堵した。これで……俺は勇者を辞められる」
「お前の行動のせいで他の誰かを犠牲にしてでも、か」
「……もう、疲れた。楽にさせてくれ」
そう呟くルーカスは小さな子供みたいに弱々しくて。
どこか、介錯を願っているようにみえた。
俺はやっと理解して、無言で拳を握り込む。……クソ、そういうことかよ。
楽にさせてほしいって? させるかよ馬鹿が。
歯を噛みしめて、言った。
「やっぱり、俺はお前のことが嫌いだ」
「……奇遇だな、俺も貴様が不快だった。使命もないD級冒険者風情が、過ぎた力を振りかざしているなどおかしいだろう」
「面倒くせえやつだなほんと、回りくどいんだよ。助けて欲しいなら最初からそう言え」
「……何をいっている?」
「ずっと疑問だった。リヴルヒイロに入国するとき、お前は俺たちを止めてきた。『弱者は入国を認めない』って偉そうな文言垂れてな」
色々な情報が繋がってすべてを理解した。
なんで入国させようとしなかったのか、なんでレティに勇者を辞めさせろと言ったのか。
ただの嫌な奴だと思ったが違う。こいつは警告していたんだ。
あの段階で計画は進んでいたはずだ。レティが依頼に参加することを知っていた。
『――ならばよく見ていろ。失ってから後悔しても遅い』
警鐘は鳴らされていた。回りくどすぎて気づけなかったが。
俺に一対一で負けて、あっさりと入国を許可した理由。
――止めてほしかったのかよ。
分かるわけねえだろ、と苦笑する。なんだそりゃ、分かるかっつーの。
まるで子供のかんしゃくだ。いや、泣き叫びもしないだけ子供より質が悪い。
「これだからガキは嫌いなんだ」
周囲を振り回して迷惑をかけてくる、予測不能でいったい何をしでかすか分からない。だから子供のお守りは大嫌いだ。
俺は黒剣を握り直し、ルーカスに剣先を向ける。
面倒くせえ、でも、大人で優しくてかっこいい俺だから助けてやる。ありがたく思えよ。
「止めてやるよ、クソガキ」
ルーカスが目を丸くする。その表情は今まで見た中で一番人間らしい。
やがて口の端を釣り上げて笑い出し、徐々に笑い声が大きくなっていく。
声が収まって、何も言わずルーカスは新たな聖剣をその手に顕現させる。
剣身が赤光を放っている。過去の勇者が使っていたものとも違う、初めてみせる聖剣。
顔を上げて俺と視線を合わせた。その顔は不敵に笑っている。
ルーカスが聖剣を地面に突き立てて、言い放つ。
「止めてみせろ、D級」
聖剣の赤光が、俺たちを包み込んだ。