23話 覚醒
ときどき、変なことを考える。
もし、いまでもお姉ちゃんがいて、あの頃のままでいられたとしたら。
もし、私が勇者にならないことを選んだとしたら。
もし、あのとき――ししょうと出会えてなかったとしたら。
考えても答えはでないけれど、なぜか考えてしまう。
その度に、ちょっとだけ泣きそうになってしまうのは。
私がまだ、強くないからなんだ。
◇
「おい……嘘だろ」
セフトはそれを見て、ひくりと頬を引きつらせた。
「なぜ動ける……⁉ 記憶は消したはずだ」
器の最終確認を行っていたレドニスが、驚愕の顔を向ける。
二本の足で立っている桃髪の少女が、そこにいた。
数分前、レドニスが記憶消去を完了させて、物言わぬ人形となり地面を転がっていた。
生命力も勇者の力も、すべて吸い取って欠片も残っていないはずだった。
それなのに少女――レティノアは地面に立ち、両の目でこちらを見据えている。
「消すのが甘かったんじゃねーの?」
「そんなはずはない。すべての記憶を消した。物言わぬ人形に戻るはずで――」
はっと、レドニスはあることに気付く。まさか――
レティノアが聖剣を顕現させる。光の粒子が収束し、一本の剣が形作られる。それはいつも見ていた大剣の形状ではなく――細長い、長剣の形をしていた。
レティノアの肉体に力は残っていない。本来なら呼吸すら不可能になるはずだった。
しかしその姿はむしろ生命力に満ち溢れている。可視化するほどの体内魔力が溢れ出し、柔らかな奔流が肉体を渦巻いている。
極限の状態であらゆる常識と逆境を打ち破る。
レドニスはその現象を一つだけ知っていた。
「聖剣の、"覚醒"――!」
レティノアの手に握られた聖剣が黄金に光輝きだす。それはまるでレティノアの感情に呼応し、応援するかのように躍動していた。
――わたしに、力を貸してくれるのか。
重かったレティノアの身体がふっと軽くなる。溢れる力が聖剣から肉体に入り込み、頭の中を蝕んでいた怨嗟の歌がピタリと鳴り止む。
それは、聖剣からの了承に思えた。
「ありがとう」
ぐっと聖剣を強く握り込む。溢れ出す黄金色の輝きが辺りを包み込み、不気味な洞窟内を昼間のように明るく照らし出す。
前へ足を踏み出した。
一歩、二歩と進む度に、握った聖剣が消えたはずの大切な記憶を蘇らせてくれる。
4年前、奈落の底で、一人の少年と出会った。
『なんだ、お前? 子供がどうしてこんなとこに――』
少年は魔物に襲われていたレティノアを助けて、とても驚いた様子だった。
『上に戻してやるからついてこい。……嫌だって? お前の意思は聞いてない』
人が怖くて、泣きながら拒否するレティノアをつれだして、倒した魔物の肉を焼いて食べさせようとしてきた。食べようとしないレティノアに「生きるために食え」と口の中に無理矢理ねじ込んできてまで、生かそうとした。
『喋れないのか? ……ん? 頭に何かついてるぞ。変な黒い魔力……あ、取れた』
少年がレティノアに触れると、いままで喋れなかったのが喋れるようになった。
言葉を教えてくれた。剣を教えてくれた。魔物との戦い方を教えてくれた。
弱かったレティノアに、力を与えてくれた。
『お前がなんで弱いか分かるか?』
それでも、泣いてばかりの守られるだけだったレティノアに、少年は言った。
『立ち向かわないからだ。弱さを言い訳にして、逃げ続けているからだ。それじゃいつまで経っても強くなれない』
戦うのが怖い、とレティノアは泣きべそをかいた。少年は「お前は本当に弱いな」と苦笑した。
『だけど、それでもいい。弱いから、弱い奴の気持ちが分かる、寄り添うことができる』
強い俺にはできないことだ、と少年は笑って。
『それに、強いってのは力がって意味じゃない』
『……?』
『誰かを助けるのは弱くてもできる。力が無くても立ち向かうことはできる。馬鹿にされてもつらくても、それでも諦めないで立ち向かえる奴が、強い奴なんだ』
弱さを言い訳にするなと、少年は言った。
弱くても逃げずに立ち向かえと、教えてくれた。
「ルーカス! 俺は身体の交換で動けねえ、そいつを止めろ!」
「分かってる。――《光縛》」
ルーカスが顕現させた聖剣で地面に弧を描く。抉られた地表が光を放ち、光柱がレティノアの周囲に出現して取り囲んだ。
【縛】の勇者の力《光縛》、対象を光の牢獄に拘束し、その光に触れれば如何なる物体をも容易く切断させる。
これで脱出は不可能――そう考えた次の瞬間。
「なに――⁉」
ルーカスは大きく目を剥いた。
レティノアが軽く聖剣を振っただけで、囲んでいた光柱が簡単に断ち切られたのだ。
光が完全に霧散する。術式を壊されたわけではない、レティノアは【攻】の圧倒的な力で正面から打ち破った。
ルーカスは【攻】の力を思い出す。身体能力、筋力、破壊力の増大。通常では、ただそれだけの力だったはずだ。
やがて一つの結論に至る。
歴代の最強勇者――ノアの使っていた【攻】と同じ力。
魔法も、どんな能力でも力技で断ち切れるようになる能力。
「……末恐ろしいな」
ルーカスは戦慄する。覚醒して間もないのに関わらずこの圧倒的な力。潜在能力の十%も使いこなせていないはずだ。もしレティノアが今後も勇者を続けられるとしたら、一体どれほど強くなっていたのか。
ルーカスの手が僅かに震えた。恐れか猛りか、おそらく両方だろう。
「だが、長くは保たない」
聖剣の覚醒は肉体に大きな負荷がかかる。いまのレティノアは聖剣から逆流する生命力でかろうじて動ける状態。聖剣の力も無限ではない、倒れるのも時間の問題だ。
おそらく、あと数分――
魔方陣の上で新たな器に手を当てていたセフトが、レティノアを見て叫ぶ。
「おい……見ろよそいつの足! 震えてんじゃねえか!」
その足は小さく震えていた。
震えを抑えようとレティノアは足を掴む。だが収まることがない。
レティノアの胸の奥底で恐怖が渦巻いていた。しまい込んでいた感情が溢れそうになる。
『余命はあと数日……力を使えばさらに縮まるでしょう』
数日前に聞かされたノーマンの言葉。
レティノアは自身の命が残り少ないことを理解していた。
魔王を倒す時間がほとんど残されていないことを、ずっと前から分かっていた。
震える身体に鞭を打って、勢いよく足を踏み込み跳躍する。
「あぶねっ……」
聖剣がセフトに触れる寸前で、ルーカスの剣に弾き返される。
「【攻】、もういい……楽になれ」
ルーカスは悲しげな瞳で言った。
「そうまでして何になる? 立ち向かったところで誰もお前に感謝などしない。ただ自分を犠牲にして死ぬだけだ」
「そーそー、所詮お前のそれは全部、勇者ごっこでしかねーんだよ」
「違う……違う!」
レティノアは叫び、否定する。
何度も聞かされていたことだ。この想いが、願いが、紛い物だなんて。
でも、信じたくなかった。自分が意味のない存在なんて、認めたくなかった。
そう思わなければすべてが嘘になる。楽しかったことも、大切な思い出も、「そう感じるように作られた」だけになってしまう。
だから、教えて貰った。憧れたあの人が教えてくれた。
自分の想いが本物だと証明する方法。
強くなるために、もう泣かないようになる方法。
『勇者になれ。勇者になれば弱くて泣くこともない。夢だって叶う。俺も勇者になるために、悲しいときでも笑うようにしている』
つらいときは笑った。
泣きそうなときも笑った。
あの人みたいになるために、勇者として強くあり続けるために。
湧き上がる不安と恐怖を押さえ込んで、それでも目に涙が浮かびそうになって、頭を振って払い落とす。
顔を上げて、前を向く。もう足は震えていなかった。
「わたしは……偽物じゃない、作り物なんかじゃない」
両手で聖剣を握り直した。黄金色の魔力が光輝き、身体に流れ込む。
『実をいうとな、俺は勇者になれるような人間じゃない』
――人を助けたい。笑顔でいてほしい。
『俺は自堕落なダメ人間だ。勇気なんてないし、誰かを助けたいと思ったこともない。できることなら逃げ続けたいって常々思ってる』
――わたしのこの想いが、たとえ植え付けられたものだったとしても。
『でも、俺の中身がクズで勇者と正反対でも関係ない』
――偽物でも、前を向いて信じ続ければ。
『助けられた奴にとって俺が勇者に見えれば、そいつの中で俺は――』
聖剣を水平に構えて、両足に力を籠める。
『"本物"になる』
二つの光が交錯する。聖剣同士が激突し、激しい剣戟の音を鳴り響かせる。
「ぐッ……⁉」
ルーカスの聖剣に亀裂が生じた。すぐに別の聖剣を顕現させて追撃に対応する。
速く、重い。その長剣から繰り出される一撃一撃を受け止める度に、ルーカスの腕が軋み痺れる。まるで特大の槌を力の限り振り下ろされているかのようだった。
目にも止まらぬ剣舞は反撃の隙すら与えない。大型の猛獣を思わせる猛攻。少しでも気を抜けば、気圧されて後ずさりしそうになる気迫。
永遠にも思える剣戟はやがて終わりを迎えた。
押し切れないと判断したレティノアは後退し、態勢を整えてから聖剣を構え直す。
「認めよう、お前は強い」
ルーカスは別の聖剣を顕現させて、柄に手を添える。
それは、東の国で使われている武器――刀と同じ形状の聖剣。
「だが」
レティノアが跳んだ。姿が霞み残像が生じる速度。息を殺し音もなく暗闇の中に溶けていく。
ルーカスはレティノアの姿を完全に見失う。だが焦ることなく冷静に目を瞑った。
静寂が場を支配する。
空気が張り詰めて、ロウソクの青い火が揺れた――その一瞬。
「俺には勝てない」
抜刀。
刹那の間で抜かれた刀が寸分の狂いなく対象を切り裂いた。
暗闇から姿を現したレティノアが、音をたてて地面に倒れ込む。
腹には赤黒い切り傷。完全に両断するには至らなかったものの、鋭い裂傷は腹部を深く抉り、内臓に届いている。
咳き込み、口からごぼごぼと赤い血が吐き出される。
レティノアの手が掴んでいた聖剣が霞になって消えた。身体から急速に力が抜けていく。
――届かなかった。
すべてを出し切った。それでも届かなかった。
もう手指すらも動かせない。視界は真っ暗で何も映らない。
死が目の前に迫って、なぜか恐怖を感じなかった。
まるで夢の中にいるような感覚。そんな微睡みの中で、ある映像が流れていく。
それは――自分が魔王を倒して、世界を平和にしている光景。
みんなが笑顔で、たくさんの人が喜んでいて……そんな妄想の世界。
それを見て、気付いた。
自分が本当は何を求めていたのか。どうして、人を助けていたのか。
人を笑顔にしたい、泣いて欲しくない、この想いが本物だと証明したい……その気持ちは紛れもなく本心だったけれど、でもそれよりも求めていたものがあった。
――ただ、ほめられたかったんだ。
すごいねって、頑張ったねって、頭をなでて欲しかった。
魔王を倒したらみんながほめてくれると思って、認めてくれると思って。
だけど、だめだった。みんなを守れる勇者にはなれなかった。
でも、頑張ったんだ。つらくて怖かったけど、頑張ったんだ。
お姉ちゃんはほめてくれるかな、みんなに何て言われるかな。
……。
…………。
――ししょーは。
――ししょーは、ほめてくれるかな。
◇
動かなくなったレティノアを見て、ルーカスが聖剣を鞘に仕舞った。
レティノアの瞳は色を失いつつある。血の海に転がってかすかな息遣いしか聞こえない。
ルーカスは聖剣を地面に突き立てる。首を僅かに傾けて、無言で目を瞑る。
それはエーデルフ騎士団に伝わる黙祷。心から賞賛できる強敵を討ち取ったとき、最大限の敬意を示す行為だった。
神聖な静寂。だが、その時間を壊すように不届き者が現れる。
「や~っとくたばったのかよ、面倒かけやがって……」
「ま、待て! まだ器の交換が途中で……」
「すぐ戻る。その前にこいつにお礼をしないと――なっ!」
セフトがレティノアの頭を蹴り飛ばそうと足を振り上げる。
「やめろ」
だが、首元に刀身を当てられて、強制的に動きを止めさせられた。
「止めんじゃっ……ね、え……?」
抗議しようとして、ぞっと背筋が凍る。
冷たい眼光。肌に張り付いてくるような鋭い殺気。
「じょ、冗談だよ……は、はは……」
セフトは額に冷や汗を流し、気圧されて数歩後退する。
(騎士道精神ってか? 気にくわねえんだよ。お前も俺も同類だろうが)
心の中で舌打ちをこぼす。セフトは綺麗事が大嫌いだった。
(まあいい、終わりさえすれば用済みだ。都合のいい駒だったぜ)
セフトにとってルーカスの事情などどうでもよかった。大事なのは利用できるかどうかだ。言う通りに動かない不快な駒ではあったが役割は果たしてくれた。
セフトは笑い、舌なめずりする。
あと少し、あと少しで願いが叶う。永遠の命と壊れない最強の身体が手に入る。
何百人犠牲にしただろうか。この日の為に入念な準備をしてきた。【盗】で勇者の力を奪い続け、器に使う膨大な生命力と魔力を霊病で不特定多数から奪い続けた。悪魔の力を取り込もうと、とある商人を唆して悪魔を捕獲させたりもした。
結果、悪魔を取り入れるのは失敗してしまったが……それでも、有り余る生命力を得ることができた。それをすべて込めて作ったこの身体であれば、いままで盗んだ勇者の力の使用にも耐えられる。
湧き上がる笑いが止められなかった。
その力を使って何をしようか、まずは試運転に手当たりしだい殺しまくろう。あぁでも、顔のいい女は残しておかないと。カアスの中に潜伏中、ちょうどこの街に目を見張るほどの女がいた。黒髪と水色髪の女だ、あの二人は奴隷にして俺のそばで奉仕させてやろう。
少年のように夢を膨らませる。最高だ、最高の気分だ。
その時だった。
「あ?」
セフトの頭に何かが当たり、不機嫌に頭をさする。
見れば、天井から地面にパラパラと土塊が落ちていた。
「……なんだ?」
呟いてすぐ、セフトは足下に違和感を覚えた。
地面が震えている。
平時なら気にも止めないかすかな揺れ。だがそれは徐々に勢いを増し、考える間もなく立っていることすら困難な激震に変わる。
発信源は――"上"。
何かがこちらに近づいてきている。それも途轍もない速度で一直線に。
「ルーカス、今すぐ――」
結界を張れ! そう叫ぼうとして、遮られた。
耳を劈く破砕音。破滅的な大音響と同時に天井が決壊する。
セフトは咄嗟に身体を丸め、飛来する大きな石つぶてと土塊から頭部を守ろうとした。だが容赦無く全身に降り注ぐそれらから身を守るには無力だった。防ぎきれなかった石が胴体と腹部に当たり、骨が何本も折れる音が鳴り響く。
土煙が巻き起こり、むせ返る土のにおいを吸い込んで激しく咳き込む。
血痰を吐き出し、煙が落ち着いてきた頃、セフトはやっと顔を上げる。
「なに、が――」
最後まで言葉を発することはできなかった。
自分の顔面に、拳が突き刺さっていたからだ。
セフトは思い切り殴り飛ばされ、地面を何度も跳ねて、壁に激突してようやく止まる。
「いてて……あーもう駄目だ、殴りすぎてさすがに手が痛い。っつかここ深すぎだろ……地面も硬いし……」
殴り飛ばしたその男は右手をさすり、愚痴をこぼした。
「悪い、遅くなった――レティ」
その聞き覚えのある声が、消えかけていたレティノアの意識を一瞬、呼び戻す。
「し、しょ……」
顔を上げて、男は言った。
「いま、助けてやるからな」