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19話 パパ

 レティノアは夢の中で、過去の記憶を見ていた。


「そうして魔王を倒した勇者は、平和になった世界でみんな仲良く幸せに過ごしました――おしまい」


 女性は、ぱたんと読み聞かせしていた絵本を閉じて、「面白かった?」と訊ねる。


 膝の上にちょこんと座り、大人しく、でも目をキラキラさせながら聞いていた少女は、肯定するようにぶんぶんぶんっと頭を頷かせた。


「そう? よかった。……あ、取れちゃった。じっとしててね」


 少女が勢いよく頭を振ったせいか、髪を結っていた髪留めが外れて落ちてしまった。女性は落ちた髪留めを手に取り、少女の頭に優しく付け直してくれる。


 少女――レティノアは何だか嬉しくなって、女性――姉のお腹にぎゅっと抱きつく。姉のさらさらした髪が頬に当たってすこしくすぐったい。


 同じ桃色の髪。それもどこか嬉しくて、抱きつく手を強めた。


 姉は「ふふ、どうしたの?」とレティノアを優しく受け入れて頭を撫でてくれる。


 レティノアは姉――エレノアのことが大好きだった。


 すごく優しくて、頭もよくて、兄妹の中で最年長で――一番強い自慢の姉。


 対して自分はダメダメだ。勉強もできず、駆けっこも遅い。兄妹との鬼ごっこではいつもすぐ捕まって鬼ばかりやることになってしまう。


 今日も、他の兄妹たちとの戦闘訓練ではビリッけつだった。レティノアとしてはちゃんと頑張っているつもりなのだが、体が小さくて力も弱く、剣技はへたっぴで魔法は使えない。いつもボコボコにされて泣いてばかり。


 だから戦うのは苦手だった。痛いのは嫌だし、何よりも怖い。それよりも姉に絵本を読み聞かせしてもらって、一緒に遊んでいるときの方がずっと楽しい。


 だけど――それだと、立派な勇者になることができない。この場所――施設にいる他の兄妹は全員、勇者になるために努力している。レティノアもこのままじゃ駄目だと分かっているけれど、それでも現状はなかなか変わらなかった。


 ぎゅっ、もう一度甘えるようにエレノアの体に顔をうずめた。すると、大好きな姉は優しく抱き返してくれる。


「――はははーっ! 俺が帰ってきたぞー!」


 ばーん! 近くの扉がいきなり開いて、そんな騒がしい声が部屋に響いた。


 十二歳ほどの男の子だ。桃色の髪。五つ上の兄――レオルノア。


 身の丈と同じほどの剣を担いでいて、上半身はシャツ一枚。さきほどまで外で体を動かしていたのか、ズボンの裾は土で汚れている。


「静かにしてよ、勉強中なんだから」


 そんな喧しい少年に抗議したのは、部屋の隅にある机で勉強をしていた、少年と同年代ほどの女の子――アニーノア。


 はぁ、と溜息をついて桃色の髪を掻き上げる。右手にはペン、机には何冊も魔導書を広げている。ノートにはレティノアには理解できない魔法術式がびっしり書き込まれていた。


「うっせーな、魔法ばっか覚えても強くなんねーよ。時代は剣だ!」


「魔法の一つも使えない剣馬鹿が話しかけないでくれる?」


「あぁ⁉ お前だって剣へたくそのくせに! あーほあーほ!」


「は? 殺されたいの?」


「あほあほあほあほあほあほあほあーほ!」


「コロス。今日こそは絶対に殺す」


 レオルノアは怒りで震えるアニーノアの周りを変顔で回って煽りまくる。アニーノアが魔術杖ロッドを手に詠唱し始めた。


 エレノアが二人の間に割って入って。


「レオル、お帰りなさい。アニーも止めて。二人ともダメよ喧嘩しちゃ」


「でもよエレ姉! このあほが俺の剣を馬鹿にしたんだぜ⁉」


「あんたが私の魔法を馬鹿にしたんでしょ⁉ 耳もついてないわけ?」


「ついてませぇーん。戦闘訓練で俺より下の雑魚の言葉を聞く耳はありませぇーん」


「通算成績は私が勝ち越してますけど? 先々週は私が勝ってたし!」


「一勝だけな? つかほぼ誤差だし? 内容では俺が圧勝してたし?」


 仲裁したにもかかわらず、むしろヒートアップする二人。


 口喧嘩は終わらず、お互いそれぞれの獲物を握りしめ、一触即発の空気になって――


「喧嘩、しちゃダメって、言ったわよね?」


 二人の頭をガッと鷲づかみにして、エレノアが呟いた。

 途端、二人はやっと気付いたのかガクガクと震え始める。


「え、エレ姉……」


「どうして仲良くできないの? 口で喧嘩するならいいけど、危ないから武器は使わないでって何回も言ってるはずだけど――お仕置きが」


「「ご、ごごごごごめんなさいぃっ!」」


 放たれる覇気に耐えられず二人は膝をついて土下座した。「なら仲良くしてね?」エレノアはにっこり微笑んだ。二人の額に冷や汗が流れる。


 エレノアはこほん、と咳払いして。


「剣も魔法も、どっちの方が優れてるなんて決められないの。レオルもアニーも、得意なこともあるけど苦手なことだってあるでしょ? 相手が自分よりできないからって、馬鹿にしたらダメよ」


 でも、二人とも頑張ってるのは見てるからね、とエレノアは二人の頭を優しく撫でる。


 二人は照れくさそうな、でも嬉しさを隠せない表情。二人ともお互いは喧嘩ばっかりだが、エレノアのことは大好きなのだ。


 レティノアはそれを見てぷぅっと膨れて唇を尖らせた。

 それは姉が取られた嫉妬もあったが、一番は自分のことに対してだ。


 自分にはレオルノアの剣技も、アニーノアの魔法も、どちらも持っていない。


 まだ二人と比べて五歳も年下だから、そうエレノアには言われていたが、それでも悔しいことは悔しい。


 二人以外の上の兄たち――ダンノアとバートノアも、姉ほどではないが文武両道で優れている。比較してレティノアが嫌になってしまうのは当然のことだった。


「で、でも泣き虫レティよりはマシだか――でぇっ⁉」


「馬鹿にしちゃダメって言ってるでしょ」


 鉄拳がレオルノアの頭に落ちる。アニーノアがそれを見てこいつアホかよ……と言わんばかりの呆れた顔をしている。


 エレノアはそっとレティノアを抱き上げて。


「レティは、強くなりたい?」


 顔を覗き込んで、聞いてきた。レティノアはふるふる首を振る。


「ならそれでいいのよ。無理に強くならなくてもいい、私が守ってあげる」


 頬に優しくキスされる。ぎゅっと抱きしめられて暖かい。


「泣き虫レティは弱いからなー。よし、何かあったら俺も守ってやる! 俺はエレ姉よりもあっとーてきに強くなる予定の男だからな!」


「なれるわけない……でも、レティはすぐ泣いちゃうから、私とこの馬鹿の後ろに隠れてた方がいいかもね。ま、こいつの出番はないでしょうけど」


「なんだとぅ――――⁉」


「じゃあ期待してるわね、二人とも」


 エレノアは微笑んで、三人を腕の中で優しく包み込む。

 やっぱりエレノアはすごい、とレティノアは思った。姉の手にかかればこの通りだ。いつもレティノアをいじめてくるレオルノアも見事に治めてしまう。


 勇者に一番近いのは姉だろう。そうパパ・・たちも言っていた。


 勇者になるには【聖剣】の力を使いこなせないといけない……らしい。


 レティノアはちらりと自分の服をまくって、右胸元の際をみる。


 そこにあったのは刻印――【攻】の聖印。


 だが、本来あるべき色は灯っておらず沈黙している。

 それをみて、レティノアはしゅんと縮こまる。


 この施設で勇者を目指す者たちは皆、この【聖印】が身体のどこかに刻まれている。


 これは勇者になるために資格みたいなものらしい。ただこれがあれば勇者になれるというわけではなく、【聖剣】を顕現させて、勇者の力を使えるようになってから、ようやく一人前の勇者になれるのだ。パパがそう言っていたのだから間違いない。


 しかし、聖印が色を灯してすらいないのは自分だけだ。

 魔法も剣技も、自分なりに努力している。だけど、一向に変わらない。まるで自分は勇者になれないと言われているようで、その度に落ち込んでしまう。


 でも本当は、勇者にはなりたくない。だってつらそうだ。兄妹たちと戦うのでも怖くて足がすくむのに、魔王だなんて自分には倒せっこない。


 きっと、勇者は姉か兄妹の誰かがなってくれる。魔王も倒してくれる。


 自分は弱くてもいい。姉はそれでもいいと、守ってくれると言っていた。


 弱くて泣き虫な自分は勇者になれない、なれないのだ。


 でも……。


 でも……もし、勇者になれたとしたら。


 その力で誰かを助けて笑顔にしたい、と思った。人には楽しく、笑っていて欲しいから。泣いてつらいのは嫌だって知ってるから。


 レティノアはそっと手をあげて自身の髪に持っていく。手に触れたのは髪留め。誕生日に姉がくれた、大切なプレゼント。


 大好きな姉がいて、ちょっぴり苦手な兄妹たちに囲まれて暮らす生活。


 パパだっている。たまにしか来てくれないけれど、優しい大好きなパパだ。


 幸せだ。幸せだと感じた。


 幸せだと、心から思っていた。


 エレノアに抱かれながら、レティノアは顔を上げる。


 そして、目線を少し上にして見上げた。



 人。



 何人もの人が、こちらを見ている。


 部屋の四方を囲む窓ガラスから、白衣を着た人たちが観察してきている。


 手にはペンとボードを持ち、何かを会話しながら手元の紙に記述していた。声は一切聞こえない。


 レティノアは特に気にすることなく顔を戻した。


 いつものことだ。食事、睡眠、勉強……この部屋以外でも、外で戦闘訓練を行うときも見られている。


 パパの"お友達"らしい。彼らは常に寡黙で話したことはないけれど、たまに隠れてお菓子をくれたりする。パパのお友達なら良い人たちに違いない。


 と――そのとき、扉の外から聞き覚えのある音が聞こえた。


 カツ、カツ……杖で地面を叩くような音。


 レティノアは顔をぱっと明るくさせる。


 パパだ。


 パパが、帰ってきた。





「ぁ――」


 夢から覚める。レティノアは重い瞼を無理矢理に上げて目を開いた。


 気を抜けば意識を失いそうになる。ズキズキと痛む鈍痛とひどい眩暈に唇を噛んで抵抗しなければ、もうろうとする意識を手放してしまいそうだった。


 霞む視界が捉えたのは薄暗い空間。


 石で作られた大小様々な墓標が乱立している。点々と置かれたロウソクが灯す青い火が空間を不気味に照らしていた。広い空間の奥、黒で描かれた大きな魔方陣の中心部には、何やら肉の塊のような奇妙な物体が横たわっている。


 そして、この空間の至る所にいた大量の人影。


 微動だにせず、黒ずんで朽ちた身体のそれは、人の骸だった。


 そのすべてが地面に膝をついて、同じ方向を向いたまま天を仰いでいる。

 ともすれば祈りにも見える彼らが向いている先は――一脚の玉座。


十段ほどある階段の先に鎮座したそれの上に、誰かが座っていた。


「よぉ、起きたか?」


 よっと……カアスの皮を被った【盗】の勇者――セフトは椅子から降りて、階段を飛ばし飛ばしで下る。


 レティノアは気付く。玉座だと思っていたそれは、違うものだった。


 白骨化した人の遺体。幾つもの骨が組み合わさって椅子の形を成している。土台を支える4つの足は、人の足と同じ形状をしていた。


 セフトは軽快な足取りでレティに寄り、乱暴に髪の毛を掴んで顔を上げさせる。


「おー、お前見たことあると思ったらあのときの・・・・ガキか。あそこから落ちたのによく生きてたなー、こんなに大きくなっちゃってまあ」


 レティノアはその顔に拳をたたき込もうとして、何かにつっかえて止まった。


 原因はすぐに分かった。自分の両手に金属の手枷がかかっている。


 外そうと手を動かすも手枷に繋がれた鎖が壁に固定されているのか、わずかに地面にこすれる音が鳴るだけでビクともしない。


「力が……?」


 勇者の力で破壊しようとして、一切使えないことに気付いた。


 体の中から何かが吸われていく感覚。次第に強くなっていき、頭を上げているのもままならなくなる。


 よく見れば……自分を拘束する手枷の鎖が、先ほどみた大きな魔方陣の方へと延びて繋がっているのが分かった。


「ぎッ――⁉」


 急に、頭が割れるように痛んだ。頭の中を鳴り響くいくつもの声。歌っているようにも聞こえる不快な声は、怨恨が何重にも重ねられた人の声だ。


 狂いそうになる思考に必死に抗う。全身を襲う不快感に耐えきれず嘔吐した。吐瀉物と胃液が地面に撒かれ、ほんの少しだけ体が楽になる。


 レティノアは理解した。勇者の加護が――薄れている。


 勇者の加護があれば、どんな精神攻撃でも耐えることができる。【試練の谷】の最深部であっても、高い精神汚染耐性と発狂耐性を与える勇者の加護が守ってくれる。


 その加護が、薄れている。レティノアの力が失われつつある証拠だった。


「ガラクタだったお前が少しでも俺の力になれるんだ。ありがたく思えよー?」


 ぺちぺちと頬を叩かれて、その指を歯で噛みきろうとする。セフトは寸前で手を引っ込めて、「おーこわ」と舌を出して笑った。


「なにを――」


 するつもりだ、掠れる声を吐き出そうとしたとき、その人物は現れた。


「レティノア……?」


 男はふらふらと覚束ない足取りでレティノアに近づいてくる。


 頬は痩せこけており、不潔な髭が鼻下から顎を覆っている。一見すれば浮浪者にしか見えない相貌の男は、薄汚れてすすきれた白衣を羽織っていた。


 カツ、カツ……聞き覚えのある音が鳴る。


「生きていたのか……よかった。あぁ本当によかった。神よ、感謝します……」


 男は心底安堵したように顔を両手で覆う。眦には感涙が浮かび上がっている。


 レティの全身に怖気が走った。


 沸き立つ鳥肌が止まらない。瞳孔が開いて呼吸が荒くなり、手指が震え出す。


「パパだ、パパだよ……今まですまなかった、私はどうかしていたんだ」


 かつて父親と慕っていた男――レドニスが、ゆらゆらと手を伸ばす。


「レティノア、もう一度……家族としてやり直そう」

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