17話 試練の谷
瞬く間に日数が経過し、依頼当日を迎えた。
「段取りの再確認を行います。転移陣から上層まで転移したのち、五人固まって最下層まで移動します。前衛をレティノアさんとルーカスさん。後衛を私とカアスさんで担当します。何かご質問は?」
「御託はいい。さっさと行くぞ」
「わ、私、魔物とか倒せないよ……?」
「いや俺は? 俺だけ役割ないんだが」
ノーマンは三者三様の反応を見せる勇者たちを見回して頷き、俺を見て「……では何かあったときの補助をお願いします」と告げる。
釈然としない気持ちのまま、俺は前方に顔を巡らせた。
穴だ。底が見えない奈落がある。
その全長は呆れるほど大きく、穴の底を覗き込めばどこまでも闇が広がっている。
穴の縁は足場が脆くなっていて、少し踏んだだけでパラパラと土塊が奈落に落ちていった。一歩足を踏み外せばそのまま真っ逆さまだ。
耳を澄ませば微かに聞こえる呻き声。無数の声が怨嗟となって底から響いている。穴から湧き出る淀んだマナが、周囲一帯の空気を濁らせていた。
これがこれから足を踏み入れる迷宮――【試練の谷】。
だが、今回はこの穴から入るわけではない。近くの地面に描かれているのは《転移》の魔方陣。上層の浅い層まで繋がっていて、これを使えば安全に中に入れるという。
以前来たときと比べて随分便利になったもんだ。俺が前に挑戦したときはこの穴からダイブして空気抵抗をもろに喰らいながら三点着地してたからな。普通はロープとか使って慎重に降りるみたいだが面倒で飛び降りてた。よく死ななかったな俺。
「そうそう、皆様にこれをお渡ししておきます」
「……なんだこれ?」
渡されたのはロウソクの蝋で固めたような白い腕輪。
「周囲の魔力濃度に応じて色が変化する魔導具です。【試練の谷】の階層は十一段階。最深部に向かうにつれて白から灰色、黒色へと変化します。万が一はぐれてしまった際は色の変化を指標にして、地上へ帰還されるといいかと」
「なるほどな、そりゃ便利だ」
迷宮は自分の現在地を見失うことが多い。
迷路のような形状は上がっているか下がっているか分からなくなるため、対策として道標を置いたり魔力の印をつけたりする。場所によっては地形を熟知した【案内人】がいて、冒険者を導くことで生計を立てていたりする。
言われた通り腕輪をつける。そしてちらと、そばに置かれている物体を見た。
黒色の棺。
成人男性が入るほどの大きさの棺が、手押し車の上に置かれている。
「……この中に、罪人――レドニスが入ってるんだよな?」
「はい。薬で眠らせているので、強制的に起こさない限り目を覚ますことはありません」
棺は太い鎖で何重にも縛られている。これなら万が一もないだろうが、中に悪魔でも封印してるのかってくらい厳重だ。
息できるのかこれ? と俺が思っていると。
「――若! あれは一体どういうことですか⁉」
そんな低い声が聞こえてきて、声の方向へ振り返った。
「……顔を見せるなと言ったはずだ」
「納得できるわけないでしょう! 急に『パーティーを解散する。騎士団も退任した。二度と俺に顔を見せるな』と言われて素直に引き下がれませんよ!」
狼獣人――ウィズダムは現れるなり声を荒げて抗議する。ルーカスはどこまでも冷徹な瞳で見据えている。
「パーティー解散したのか? わざわざなんで……」
聞くと、ルーカスは鼻を鳴らして、剣呑な目でウィズダムを睨む。
「お前たちは【攻】のパーティー相手に無様に敗北した。弱者はいらん」
「っ……ですが! 騎士団も退任する必要は――」
「黙れ。決めたことだ。これ以上、無駄話をするつもりはない」
ルーカスは聖剣の鞘に指をかけた。ウィズダムが息を呑む。
かつての仲間への明確な敵意。身に纏う剣気はハッタリではない。これ以上手を煩わせるようなら問答無用で攻撃すると語っていた。
固まって立ちすくんだウィズダムに顔を向けて、ノーマンが確認する。
「そろそろ【試練】を開始しますが……よろしいですか?」
「ああ。問題ない」
ウィズダムに目もくれず魔方陣の方へと向かう。俺たちもそれに続いて後を追った。
横暴な奴とは思っていたが、ここまでとは思わなかった。
一切の情もない。あまりにも冷たすぎる。本当に人間かよ。
……まあ、俺も人のこと言えないか。
魔方陣の上を勇者4人と俺が踏みつけた。
幾何学模様の魔方陣が微かに光り輝き、青白い粒子が周囲を取り囲み始める。
「三分後に転移します。心の準備をお済ませください」
始まる――勇者の【試練】が。
自分でも驚くほど冷静だった。
かつてないほど神経が研ぎ澄まされている。たとえ千を超える敵に襲撃されようとも数秒で返り討ちにできるだろう。
「……」
無言で、隣にいたレティに顔を向ける。右手をそっと差し出して。
「レティ、ほら」
「む?」
「手だよ、手。怖いだろうから手、繋いでやるって言ってんだ」
「別に怖くないぞ?」
「いいから、ほら」
無理矢理に手を繋ぐ。レティはきょとんと首をかしげる。
だがすぐに嬉しそうな顔を浮かべて、にへーと笑った。
「わ、私も」
「お前はダメだ」
「な、なんでぇ……?」
絶望した顔のカアス。その辺の木の棒でも握ってろ。
レティがぱっと笑って俺を見上げる。
「頑張るぞ!」
「……ああ。ほどほどに頑張るか」
繋いだ手を強めた。子供特有の柔らかな感触と暖かい体温が伝わってくる。
――大丈夫だ。お前は頑張らなくていい。
レティに力を使わせるつもりはない。俺が全てなぎ倒す。少しだって使わせない。
色々な感情が胸中を渦巻く。気を抜けば相反した行動を取っている自分に吐き気がしそうになる。将来的に害になる行動だと分かっていても、俺はそれを全て押し潰してこの場に立つことを選んだ。
その理由はまだ理解していない。だが、なぜかこれが終われば分かるような気がした。
「ししょー!」
「ん?」
「頭なでてほしい!」
「頭ぁ? ……これでいいか?」
そっと、繋いでない方の手でレティの頭に触れる。桃色の髪の毛をわしゃわしゃと乱暴に、少しだけ優しげに撫でる。
レティは気持ちよさそうに目を細めて、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。まるで首筋を撫でられた猫のようだ。かわいい。
「ありがとう!」
にぱっ、花の咲いたような満面の笑み。
「……こんなんでよければ、いくらでもしてやるよ」
そうこうしている内に、魔方陣の青白い光が強くなっていく。
転移まで数秒。俺は繋いだ手をぎゅっと握る。
「では皆様――ご武運を」
ノーマンの声。それと同時――
悪寒が、全身を走った。
違和感の先は足下。転移陣の術式が寸前で書き換えられている。
繋いだ手を引っ張ろうとする。外、とにかく転移陣の外に――
だが――俺の手が、急にふっと軽くなった。
「な――」
レティが、手を離していた。
なぜ? どうして……そう問いかける間もなくレティは数歩、俺から遠ざかる。
「レティ――!」
手を伸ばす。伸ばした手はわずかに届かず、宙を切った。
視界が。
白で、染まる。
◇
視界が明瞭になっていく。最初に見えたのは岩壁。
薄暗い空間、湿った淀んだ空気、間違いない、迷宮の中だ。
見える景色には誰もいない。レティも他の勇者も。
腕に着けた腕輪を確認する。色は――少し濁った白色。
「《通信》」
すぐに通信魔法で連絡を取ろうとする。しかし、誰も出ない。
同じ階層、もしくは近くの階層であれば繋がるはず。それなのに出ないということは――他の階層に飛ばされているか、意図的に遮断しているか。
嫌な予感が頭を過る。書き換えられた転移陣。感じた魔力はすぐ近くからだった。外部の仕業じゃない、あの場にいた誰かが、悪意を持って引き起こした。
かつ、かつ、と靴音がどこからか反響した。
真右、ぽっかりと開いた横穴から、何者かが近づいて来ている。
暗闇の中から姿を現し、輪郭が露わになる。
老人と見紛う白い髪。目隠しをした異様な相貌。
その男……いや少年は、勇者教会の神父を示す――黒色の祭服を着用していた。
「異常事態が発生しました。――と、いうよりは発生させたのですが」
ノーマンは口の端を釣り上げて、不気味に笑う。
◇
「……お前が、転移陣を書き換えたのか」
「ご明察の通り。理由を説明した方がよろしいですか?」
「当たり前だ。返答次第で……どうなるか分かるな?」
右拳を握り込んだ。近くの岩壁が音をたてて抉り取られ、一瞬で石ころに圧縮される。
「……ほう。やはり、ただのD級冒険者ではないですね」
「早くしろ。時間がない」
額に脂汗が垂れる。嫌な悪寒は増していっている。悠長に聞いている暇はない。
「いいでしょう。貴方には知る権利がある」
祭服の裾を手で整えて、付着した土を払う。ノーマンは話し始めた。
「この依頼には本来、別の目的がありました。表向きは大罪人の護送。ですが本当は、もう一人の大罪人――【盗】の勇者セフト・クルックを炙り出すこと」
【盗】の勇者セフト・クルック。先代に存在した勇者の一人。
「……そいつは先代で死んだはずだ」
「生きています。聖印の力を持ちながら、ね」
「なんだと……⁉」
思わず息を呑む。なんだそれは。
聖印は一代で力を失う。失わずに引き継ぐなんて聞いたことがない。
「ですからその為に……」
当たり前のように呟いたその言葉で、俺は凍りついた。
「レティノアさんには、犠牲になって貰います」