16話 押し問答
アルディと別れて宿屋に戻り、イヴが用意してくれていた夕食を摂る。
いや、夕食というよりは夜食か。トレイの上に書き置きがあり、その内容を見るにイヴは一足早く寝たようだ。ラフィネの部屋も消灯していてすでに床についたのがわかる。
一階にある流しへ食器を戻すため、階段を降りる。
ちらとレティが借りている部屋に視線を向けると、まだ電気がついていた。
物音はしない。食事前、軽くノックをしたが反応はなかった。息遣いの音も聞こえず、念のため確認してみたら部屋の中にもいない。
「……どこ行ってんだ、あいつは」
食事済みのトレイが置いてあったことから、一度戻ってからまたどこかにいったみたいだが、こんな時間に出歩くのは不用心といえる。全裸の変態と遭遇したらどうすんだ。
用事を済ませて自室に戻り、倒れるように身体をベッドに投げる。
ぼうっと、何気なく天井を見上げた。隅にある小さなシミがやけに目にとまって、胸の中がざわめきたてる。
『――魔導機関と勇者教会はレティノア嬢の"処分"を決定した。これまで要観察対象で様子見だったのが、今回の議会で処分が過半数を達したんだ』
『だから殺す……っのかよ。おかしいだろ、そんなの』
『レティノア嬢の【攻】は植え付けられたものだ。勇者ノアの聖印はどれも強力で、適合しない肉体と精神じゃ耐えられない。身体が弾けて死ぬだけならまだいい。最悪の場合、精神が狂って一般人に危害を及ぼす可能性がある』
『それが! 勝手に殺されていい理由にはならねえだろうが!』
『分かってる! オレだって今回初めて知らされて、ふざけんじゃねえって抗議した! それで、ようやく条件付きで処分を引き延ばしにさせたんだよ!』
アルディは苦虫を噛み潰した顔でそう叫んでいた。
『……そもそもだ。勇者への命令に強制力なんてないはずだ』
『あぁ。勇者は【聖印】が発現すれば誰でもなれる。どの機関にも命令権はない。今回は特例だ。レティノア嬢は正式には勇者じゃなく、教会の所有物になってる』
『所有……物?』
『"人の形をした道具"。肉体も思想も【勇者因子】に適合するために作られた偽物。人によく似ているが人ではない。それが教会の見解だ』
『ッ……』
『四年前、レティノア嬢は本来なら処分されるはずだったらしい。それを【運】の勇者――ノーマンの推薦と本人の意思で、勇者として活動することが認められた』
『……あいつは、あいつだ。物なんかじゃない』
『オレだってそう思ってるから、こうして機密事項をべらべら喋ってる。この条件は、ジレイにしか頼めねえことだからだ』
『…………条件ってのは何だ』
俺はそこで思考を中断させて、窓の外に顔を向けた。すぐに外からスタ、スタ……地面を踏む音と何者かの気配を感じる。
続けて階段が軋む音。やがて奥側の一室で止まり、ぱたんと扉が閉まる音がした。
俺はベッドから身体を起こして、廊下へと踏み出した。
◇
「おー? だれだ?」
「俺だ。入っていいか」
「ししょー? いいぞー」
ノックのあと、入室を許可されたのでそのまま中に入る。
桃色髪の少女――レティはベッドに入って、布団からちょこんと顔を出して不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「どうしたんだ?」と首をかしげている。
俺はできるだけいつも通りの声を出す。
「暇だったから来ただけだ。寝るとこだったか?」
「いまおきたとこ!」
「嘘つけ。思いっきり寝ようとしてる態勢じゃねえか」
がばっ! とベッドから立ち上がろうとしたので、「そのままでいい」と手で制す。
俺もベッドに腰掛けて、壁の方へ顔を向けた。
頭に思い浮かぶのはアルディの言葉だ。
『魔導機関からの条件は、"今後一切勇者の力を使わせないこと"。つまり、勇者としての活動を諦めさせて、一般人として平穏に生きさせてくれればいい』
『それが、なんで俺にしか頼めねえってんだよ』
『ジレイに憧れて勇者を選んだんだぜ。俺なんかよりずっと適任だろ』
――それは……あなたとパーティーを組むことが、わたしの目標だからだ。
最初に出会った頃、真っ直ぐな瞳でレティはそう言っていた。
『だから頼む! レティノア嬢に勇者を諦めさせてくれ……!』
俺は壁から視線を外し、レティを見る。
「お前は……さ」
レティは子供らしい表情をしている。目を合わせて俺は聞いた。
「どうして、勇者をしているんだ?」
レティはきょとんとしていた。だがすぐにむんっと胸を張って答えて。
「ししょーみたいになりたいからだ!」
「どうしてだよ。俺はお前が憧れるようなことしてないぞ」
「そんなことないぞ! 『壺に入れられた蟻同士は争わない。だが壺を割った途端、互いを敵と認識し殺し合う。……本当の敵は目の前の蟻じゃないと知らずに』」
「分かった。それはいい、いいから」
過去からのボディーブローに悶える。ほんと、要らんことを覚えてやがる。
俺は息を整えたあと、言葉を吐き出す。
「勇者を辞めたいって思ったことはないのか? 俺ならブラックすぎて嫌だけどな」
レティは少しだけ考えこんで。
「ないぞ!」
そう、きっぱりと断言して笑顔を浮かべた。
「…………どうして、お前は」
「む? なんて言ったんだ?」
「……何もいってねえ」
思わず顔を背けてしまう。レティの笑顔が直視できなかった。
……なぁ、どうしてだ?
なんでお前は、笑えるんだ?
『【攻】の聖印は完全には適合してねえ。聖印の力を使うたびに肉体と精神が摩耗される。2年だ。たった2年、勇者として活動しただけで、レティノア嬢はあと――』
歯軋りの音が俺の口から鳴った。無機質なアルディの言葉が頭を反芻する。
『――5年も、生きられない』
背けた顔をレティの方に戻す。レティは変わらずアホみたいな顔だ。
教会からは聞かされているはずだ。なのになんで……お前は脳天気に笑える?
俺は歯を噛みしめて、逡巡して、やっと口を開いた。
「……レティ、俺をパーティーに入れたいか?」
「入って欲しい!」
「そうか、なら入ってやるよ」
レティは少しの間、ぼけっと口を開けていた。理解して顔を輝かせて。
「ほんとか!?」
「……ああ」
やったー! 両手を挙げて喜ぶレティ。
「だから、もう、お前は何もしなくていい。勇者も辞めろ」
「……?」
「勇者じゃなくて冒険者としてパーティーを組むんだ。魔物も魔王も、俺が倒してやる。お前は戦わないていい。だから――」
「だめだ!」
レティは首を振った。
「それじゃだめだ」
「…………何でだ? いいだろ、お前は楽できるんだから」
「勇者じゃなきゃだめだ。勇者としてわたしも戦う」
「はあ? なら入らないぞ。いいのかよ」
「パーティーには入ってほしい! 入ろう!」
「だから入らないって。お前が勇者を辞めたらの話で――」
いつだかで見たような言い争いが始まる。
レティは諦める様子なく、強情に主張を通そうとしてくる。一歩も引くことすらしない。
前もそうだった。こいつはしつこくて頑固でアホだった。
だから結局、結果は前と同じで。
押し問答の末、先に引いたのは俺で……。
翌日の早朝。
俺はノーマンに、依頼に参加すると伝えた。