15話 秘密
アルディに「ついてきてくれ」と連れられて来た場所は【復興区域】の住宅群だった。
「どういうことだよ。事情を……」
「事情はこの後に話す。ジレイにはまず、レティノア嬢を見て貰いたい」
「はあ……?」
理解できず首をかしげる。レティなんて毎日顔を合わせている。そんなことして何の意味が――
「出てきたぞ」
アルディの示した方を見ると、灯りのついた家屋から桃色髪の少女が出てきた。
頭を下げて感謝している老婆は依頼人だろうか。
硬貨らしきものが入った袋を差し出されて、レティは首を振り拒否している。元気に手を振ってぱたぱた走り去るレティに、依頼人が何度も頭を下げていた。
「……」
俺たちは無言で後を追った。
レティは足を止めることなく東奔西走していた。
依頼の品であろうものを渡したり、足が不自由な人のペットの散歩代行したりと、色々な人の依頼をこなして勇者として感謝されていた。
時刻はもう遅い。日は完全に沈んでいる。それなのにレティは帰ろうとせず、また足をせわしなく動かして移動を始める。
【復興区域】の外れ。レティが民家をノックして、住民がのっそりと顔を出す。
獣人の男だ。
痩せこけた頬と身体。全身の毛は艶がなく色あせている。
過去の怪我だろう。片目は潰れていて右手首から先がない。左手には栓が開けられた酒瓶を持ち、多量の酒を飲んでいるのか顔が赤く酩酊している。
レティは腰に提げた袋からなにかを取り出して、笑顔で手渡そうとする。
だが――男は急に顔を歪ませて、大きな声で怒鳴り散らした。
「――勇者が! 何の用で来やがった!」
レティの頭に酒瓶が叩きつけられた。瓶が割れて破片が地面に錯乱する。
俺の肩をアルディが掴んで止めた。「頼む。今だけは我慢してくれ」と苦渋の顔をしている。
男が叫んだ。
「お前ら勇者のせいでッ二人とも死んだんだ! 今さらなんのつもりだ!? えぇ!?」
「他の人から依頼で、これを届けてって――」
「不快な顔見せやがって……! お前ら勇者は来て欲しくないときには来るんだな!」
「わ、私は――」
男はレティの肩を掴み、強く揺さぶる。
「なんであのとき来てくれなかった! どうして"悪魔"から俺たちを助けず見殺しにした! 勇者が近くにいたってことは知ってんだよ! おかげさまで俺以外は死んだよクソが!」
レティの肩に鋭い爪が食い込む。それは男の心情を如実に語っていた。
「お前らが、お前ら勇者が来てくれれば――」
レティが突き飛ばされる。男は膝から崩れ落ちて、両の手で顔を掻きむしる。
「息子も女房も、助かったはずなんだ……」
◇
街は夜の闇に包まれていた。
道を照らす街灯は壊れたままで役目を放棄している。家々は沈黙し、雲の隙間から覗く僅かな星の光が朧気に視界を照らしていた。
前方を歩くレティの顔は窺えない。輪郭は分かるものの暗い闇が表情を覆い隠している。
ぽつ、ぽつ、と雨が地面を叩き始めた。
小雨は瞬く間に豪雨と化して、辺りに容赦無く降り注ぐ。ものの数秒で着ていた服がずぶ濡れになった。
靴の中まで浸食した雨が不快に感じて、俺は顔をしかめる。
雨に打たれたままアルディが口を開いた。
「あの男は数年前、ここを壊滅させた"悪魔"の被災者だ。家族を失って、それからはずっと死んだように日々を過ごしているらしい」
「……だからって、なんでレティが八つ当たりされなきゃいけねえんだよ」
「悪魔が街を襲ったとき、近くにいた勇者は来なかった。あと一歩間に合わなかったって言われてるが実際は分からない。被災者の一部は見捨てられたって判断したんだろ」
「それでも、勇者を恨むのは筋違いだ」
「違いねえ。被災者の全員が勇者を恨んでるわけじゃない。……でもよ、大切な人を失って『災害だからしょうがない』って思える方が少ねえだろ。当人からしたら何かのせいにしたほうが納得できるんだよ」
俺はレティに視線を向けた。俯いて雨でずぶ濡れになりながら足を動かしている。
やがて【復興区域】の門を抜けて【一般区域】の街道へ着いた。辺りを街灯が明るく照らし、闇に覆われていたレティの輪郭を映し出す。
「ッッ――!」
レティは、今にも泣きそうな顔を浮かべていた。
唇をぎゅっと引き結んで瞳を震わせている。腕でごしごしと何度も顔をこすり、何かを拭き取ろうとしている。
激しい雨が頬を伝って、地面にぽとりと滴った。
ぱちん! と乾いた音が鳴り響く。
レティは顔を上げた。両頬は少し赤みを帯びている。
「なんで、あいつ……」
笑みだ。レティは笑顔を浮かべていた。無理矢理に両手で口角を持ち上げて、目尻を下げている。いつもレティが見せていた表情だ。
強烈な違和感が胸中を巡る。……なんだ、これは?
レティはそのまま、泊まっている宿屋の方向へ足を進ませる。時刻は零時過ぎ。新しく依頼に向かう様子もない。やっと帰るのだろう。
◇
「ジレイ。これを見てどう思った?」
レティが去って、アルディが重苦しい声を出す。
「……異常だ。俺が知ってるレティじゃない」
「違う。それはジレイが見てなかっただけだ。レティノア嬢はこうやって夜遅くまで毎日依頼をこなして、勇者として活動してる」
「ブラックかよ。俺はごめんだな」
「そうだよな? いくら勇者が忙しいからってこれはおかしい。どうしてここまでするのかって思わなかったか?」
思ったさ。でも、レティが好きでやってることだろ?
そんな台詞が出かかって飲み込む。さっきのレティの表情を見て、ただそれだけと言い切ることは俺にはできなかった。
「分かったんだ。その秘密が」
「秘密――」
「三日前、議会で聞いた話だ。情報としては間違いない」
アルディは「止められてるが話す。俺はどうなっても構わねえ」と続ける。
「でも、ひとつだけ約束してくれ」
「……なんだよ」
「レティノア嬢は知られたくないと思うんだ。……だから、これを知っても知らない素振りをして欲しい。聞いていない態度で接してくれ」
――ししょーにだけは、言えないんだ。
明確に拒絶したときのレティが頭の中で思い浮かぶ。
「……分かった」
首肯するとアルディは「助かる」と言って話し始める。
「数年前――ある学者が、倫理に反した人体実験をした罪で捕まった。知ってるか?」
つい昨日聞いた話だ。大犯罪者でレティの父親。
「男の名前はレドニス・テリコス。その実験内容は――【勇者を創り出すこと】」
「……? 勇者を創るって、【聖印】が発現しなきゃなれないだろ」
「普通はな。だが、レドニスは天才的な頭脳と発想で実現させた。人の肉で作った素体に【勇者因子】を植え込んで、かつ魔力が高い精霊のマナ素体を融合させることで、勇者としての"器"を作った」
「な――」
驚愕で目を見開く。
【勇者因子】――聞いたことがある。勇者はその身体に聖印を宿す。聖印は次の代へ移り変わるときか勇者の死後、自然と消えていく。
だがそれを、聖印が消える前に勇者の身体から切り取ることで、聖印は力を失った状態で切り取った皮膚に残り続ける。それが【勇者因子】と呼ばれている。
歴代勇者の【勇者因子】をサンプリングして保管している機関があったらしいが、倫理に反するとしてすぐ取り壊されたという。だから【勇者因子】は広く知られていない。
俺も詳しいことはほとんど知らない、知っているのは噂程度の話だけだ。
「使われた【勇者因子】は【破壊】の勇者――ノア」
それは――歴代勇者の中で"最強"と謳われた、前代未聞の複数【聖剣】を所持できた――六つの【聖印】を発現させた勇者の名前。
「おい、ノアって……まさか」
かち、かちと頭の中でピースが埋まり始める。
導き出された答えは、信じがたい非情な真実だった。
「レティノア嬢はその実験の、唯一の生き残りなんだ」