13話 葛藤
次の日。
俺は土木作業の仕事を休み、借りている宿屋のベッドの上に身体を横たわらせながら、ぼぅっと何をするわけでもなく過ごしていた。
手の甲を顔の前にかざす。考え込んでいたからか、風邪でもないのに額が少し熱い。かざした手指の隙間から宙を覗くと、部屋の照明がやけにうっとうしく感じて瞳を細める。
結局――昨日、返事は保留にした。
自分でも、なんではっきり断らなかったのかが分からない。
参加するか否かは俺に委ねられていた。間違いなく面倒なことだと分かっていた。
それなのに俺は断らず、こうして返事を悩み続けている。
俺はD級冒険者だ。勇者でも何でもない。参加する義務も責任もなくて、協力したところで金を貰えるわけでもなく、何の利益も発生しない。
「……」
頭の中で、自分でも分からない感情が回っていた。
少し前の俺ならこんなことは迷わなかった。参加が強制と言われても屁理屈をこねて逃げ回っていたことだろう。
「……くそ。調子狂うんだよ……」
関わる必要なんてない。俺はD級冒険者だ。そういうことをするのは勇者だとかS級だとか、もっと適正な奴がいる。俺は、物語の英雄でも主人公でもないんだから。
頭ではそう分かっていても、喉に何かがつっかかったような気持ち悪さが拭えない。何度水を飲んで濯ごうとしても、こびりついた違和感は一向に解消されなかった。
……ああ、ちくしょう。これも全部、あのアホのせいだ。
レティのせいで、あいつが来たから、俺がこんなに悩むハメになっている。
再会したあの日、レティが俺をしつこくパーティー勧誘さえしなければ、俺はいまでもD級冒険者として何ひとつ悩むことなく、日々を送れていた。
元凶とも言えるレティが、危険な任務に行こうとしている。もし何かがあって帰ってこなかったとしても、俺には関係がない。
「そのはず、だよな」
納得させるように呟いた。
だが、心の中の相反する感情は消えることがない。
俺は――どうしたいんだ?
まさか、レティの身を案じているのか?
俺が? 何のために?
家族でも友人でも恋人でもない、むしろ疎ましく思っている存在を?
……いや、違うな。それは違う。
俺はただレティの秘密とやらが気になっているだけだ。
なら……どうしてこんなに、気になるんだ?
昨日、レティと話して分かった。俺はあいつのことをほとんど何も知らない。
いつも元気で考えなしなアホで、食べるのが大好きで【攻】の勇者なことくらいしか、俺は知らない。
意外なことにものまねが上手なのと姉がいたこと、父親が大犯罪者で、義父は平気で殴ってくるクソ野郎……全部昨日、初めて知ったことだ。
ほぼ他人だ。ならどうだっていい。どうだっていいはずだろ?
額を強く抑える。頭の中で纏まらない思考が渦巻いている。
……気持ちが悪い。無駄なことを無駄に考え込んで吐き気がする。
深く深呼吸をした。淀んだ思考が整理されて、少しだけクリアになる。
俺の人生の目的は?
――面倒なことをせず、ぐうたら怠惰に過ごすことだ。
この依頼を受ける意味は?
――何一つとしてない。メリットなんて存在しない。
レティを手助けしたいのか?
――ありえない。俺の目的を邪魔しまくるレティを助けるのは今後の人生において大きなマイナスになる。
思考が明確になり、重かった身体がフッと軽くなる。
……そうだ、これでいい。気楽に、自分の為だけに生きればいい。
「俺は、俺のために生きてる。他人なんてどうでもいい」
ベッドの上で身じろぎし、身体を横向きにして小さくぼやく。
瞼を閉じると、眠気に誘われた。微睡みに身を任せて全身の力を抜く。
心地良い。いつもの、ぐうたらしてる俺だ。
やりたくないことを後回しにして、その日暮らしで怠惰に過ごす。これでこそ俺だ。
……これが、俺のはずだ。
◇
目を覚ました頃にはすっかり日が暮れて、茜色の夕日が部屋に差し込んでいた。
まだ少し重い身体を起こして、ベッドの縁に腰掛ける。安物のベッドが軋む音が響き、どこからか足音のような物音が耳に届いてきた。
「……起こしちゃった? ごめん」
声の方向に顔を向けると、扉に手を掛けていた態勢のイヴが振り向いて、そんな謝罪の言葉を口にした。
「いや……大丈夫だ。どこか出かけるのか?」
「うん。晩ご飯の買い出しに行くところ。この時間、安くなるから」
見ればイヴの片手には手製の買い物袋がぶら下がっている。ちょうどいま買い物に行こうとしていたらしい。
部屋内にラフィネやレティの姿はない。
レティは朝から【復興区域】へ依頼を受けにいって、まだ帰ってきてないようだ。ラフィネは「初めてのお給料日ですので買い物してきます!」と朝から意気揚々とショッピングに出かけていった。何を買いに行くのか聞いたら「ジレイ様に似合いそうな服と、子供服と――」と楽しげに話し出したのでそれ以上聞くのをやめた。子供服? どこの子供にプレゼントするつもりだ……?
イヴもラフィネも今日の仕事は休み。
休日が被ったときは大体みんなこんな感じか、俺の見える範囲にいるかのどちらか。
……というか、今さらだけどお前ら自分の部屋あるのにほぼ俺の部屋に常駐してるのなんなの? 一人部屋なのに人口密度が飽和してる。暑苦しくて起きたらベッドの上に俺含め四人寝てたの意味分からなすぎるだろ。
「なに食べたいとか、ある?」
「別に、俺の分も作ってくれなくていいんだぞ」
「作りたくて作ってるから」
「……まあそれなら、いいんだけどさ」
ここ最近はラフィネかイヴが食事を作ってくれる。
好意でしてくれているのだと理解しているものの、代わりに何か返せている訳でもないので何だか申し訳ない気分になる。
二人とも「食べてくれるだけで嬉しい」と言ってくれるが、俺としては若干居心地が悪いのは確かだ。
何か手伝おうにも俺は料理がからっきしできないし、他の家事も手伝えることがない。女性物下着を洗濯なんて暴挙はできない。せいぜい皿洗いくらいだが、それすらも俺が食べ終わった頃には終わっている。なんもしてないじゃん俺。
二人の好意に対して理解して向き合おうと決めた。
しかし魔法も剣技も努力すれば理解できた俺がこれに関しては空回りの連続で、正直、どうすればいいのか分からずただ現状に甘んじている。
「……悪いな」
ぽつりとそうつぶやくと、イヴは俺をじーっと無表情で見つめた後、とてとてと傍まで近寄ってきて、ぽすんと横に腰掛ける。
「レイは、わたしのこと、好き?」
そして突然、そんなことを聞いてきた。
俺は「な、なんだよ急に」とうろたえる。
「わたしは好き。恋愛的な意味で好き。でもレイはわたしのこと、そんなに好きじゃないよね」
イヴは「ラフィネよりは好かれてると思うけど」と付け加えた。
「……そんなことは」
ない、と言おうとして口を塞ぐ。
俺がイヴたちに抱いている感情が何なのか理解していない以上、それは嘘になると思ったからだった。
左腕に温かな重みを感じた。
イヴは俺の肩に軽く頭を寄りかからせて。
「でも、いい。大切な人とこうして一緒に居られるだけで幸せ。だから何も苦じゃないし、お礼なんて言わなくていい。……もちろん、言われたら嬉しいけど」
肩を寄せて、心地よさそうに目を細めるイヴ。
「それに……レイが少しでもわたしのことを考えてくれただけで、嬉しい」
イヴは口の端を上げて笑った。
俺は「そうか」とだけ返事をして窓の外に視線を向ける。
……少しだけ、羨ましいと感じた。
大切な人、そう断言できる人間が、俺にはいるだろうか。
家族、恋人……何があっても守りたいと思える大切な人が、思い浮かばない。
俺は、物心ついたときには一人だった。
両親の顔なんて知らない。
村人との交流は形だけで、生きるために食べ物を恵まれに行ったら腐った残飯を投げつけられた。一人で生きていくために、勇者になるために、暗い蔵の中で書物を読みあさって魔法や剣技を磨く毎日だった。
惨めだったとは思わない。俺にとってはそれが普通で日常だったから。
だから、俺は人に期待なんてしたことがない。俺は俺で、それ以外は他人だ。
なのに、今の俺は――。
「……」
自分の変化に戸惑う。
少し前なら考えられないその変化を、肯定的な俺と否定的な俺が混在している。
じんわりと、暖かい何かが胸の奥で熱を生んだ。同時に、耐えがたい吐き気にも襲われた。
「レイ」
イヴが何かを眼前に差し出してくる。
可愛らしいコップだ。俺は透明な水が入ったそれを受け取り、静かに嚥下する。何かが流されたような気がした。
水が無くなったコップをイヴに返し、礼を言う。
「助かった。サンキュ」
「まだ、具合悪い?」
「や、問題ない。風邪がぶり返したわけでもない」
「……そう」
表情を変えず、イヴは胸に手を当ててほうと息を吐く。
「何かあったら、言ってね。レイはすぐ無茶するから」
「そう見えるか? 俺はそんなつもりないんだけどな」
「見える。昔から、ぜんぶ一人で抱えようとする。心配」
「……ラフィネにも言われたな、それ」
ぷくり、イヴは不満げに頬を膨らませて。
「直してとは言わないけど……できるならもっと、頼って欲しい」
俺は数秒口を塞いで、「……考えておく」と返答した。
イヴは「じゃあそろそろタイムセールの時間だから」と立ち上がり、買い物袋を持ち直す。
「夕ご飯、期待してて。……あ、それと――」
パタパタと出て行こうとする前に、足を止めて振り返り。
「レティのこと。言っておこうと思って」
「レティ……?」
イヴは「うん。レティのこと」と相槌を打ち、俺と瞳を合わせる。
「一緒の勇者パーティーで過ごしてて分かったことだけど、レティは、レイ以外にあんまり……わがままを言わない」
「……は?」
想像できなかった。
俺の前ではやりたい放題で、強引にパーティー勧誘すらしてくるレティが?
「なにか欲しいものがあっても、レティは買ったりしない。好きなお菓子も食べ物も、必要以上に買わない。最近は、それも少し改善してわがままを言ってくれるようになったけど、レイが来るまでは全然だった」
「……でも、レティは俺とユニウェルシアで会った始めからあんな感じだったぞ」
「だから、エタールの護衛依頼でレティがレイを連れてきたとき、あんなに甘えてるのを見てびっくりしたの。私たちにはそんな姿、見せなかった」
意外すぎる真実を知り、開口した。
「二人とも少し似てたから、腹違いの兄妹とも思った。違ったけど」
「いや……似てないだろ、全然」
「雰囲気は違うけど……口調とかが、少しだけ」
「そうか……?」
俺はあんなアホっぽい話し方してないと思うが。でも確かに言われてみればレティの口調は女の子というよりは男の子って感じで、共通点が若干ある。
「わたしにはレティが、いろいろと無理してるように見える」
「……」
気のせいだ、と笑い飛ばすことはできなかった。ここ数日で何度も、レティに対しての違和感を目の当たりにしていたからだ。
「見ていてあげてほしい。たぶん、レイにしかできないことだと思うから」
イヴは自分の右腕に左手をそっと触れさせて、俺を見上げる。
自分へのやるせなさと、俺への信頼がない交ぜになった視線。
一瞬、狡い考えが頭に浮かぶ。
ここで承諾すれば理由ができる。これまで通りの楽で流される選択ができる。
承諾する声が喉まで出かかった。"暇だから"、"仕方なく"、そう口にして流されようとして、寸前で声が掠れて言葉を飲み込む。
なぜかは分からない。だけど今回、それを選ぶのは何かが違うような気がした。
「……」
だから、俺は答えることをせず、ただ顔を逸らした。