12話 罪人
"レドニス・テリコス"。
勇者について学んだ者であれば聞き覚えのある名前だ。
【聖印】と【聖剣】を研究する"勇者学"の分野では名高い人物であり、彼の功績を上げろと言われたらいくつも浮かぶほどその残した功績は大きい。
一つ上げるとするならば、未解明だった【聖剣】の覚醒メカニズムに関する研究論文だろう。学会で大きく評価されていて、その論文は現在に至っても基盤として研究の発展に役立っている。
そもそも、勇者は最初から【聖剣】の力をすべて引き出せるわけじゃない。勇者を選んだ【聖剣】は勇者の成長と共にその力を解放させていく。この理由は諸説あるが、一番有力なのは【聖剣】の強すぎる力に勇者が耐えられるように調整している……と言われている。
【聖剣】の覚醒で得る力は勇者によって様々で、ほとんどの場合は既に持っている固有能力の大幅な強化や新しい固有能力の発現となる。それどれもが強力で、覚醒した勇者は覚醒前とは比べものにならない力を得ることができる。
一度覚醒できるようになれば、勇者の任意で覚醒前と後で切り替えが可能。しかし、聖剣の覚醒状態は勇者への負担が大きく長時間維持し続けるのは難しい。いわば最後の切り札……といったところだ。
また……聖剣の覚醒は常識を打ち破り逆境を越える力、とも言われている。
聖剣の力はまだ分かっていないことの方が多い。死んだはずの勇者が聖剣の力を借りて生き返ったりする事例も報告されているくらいだ。まさに理を超えた力といえる。
その覚醒メカニズムをレドニスは発見した。それまで覚醒する勇者としない勇者の違いが判明していなかった勇者学において、これは異例の大発見だった。
俺もその研究論文は目を通したことがある。
小難しい説明と単語が長々と書かれていたのをざっくりまとめるとこうだ――
『精神に大きな変化が生じたとき、聖剣は覚醒する』
レドニスが過去の勇者を徹底的に調べ上げた結果、大きな出来事や逆境……特に人の"死"に触れた勇者ほど、聖剣が覚醒した傾向が高かったという。
もちろん例外のケースもあった。力の強い勇者は何もせずとも突然覚醒したりして、別の要因も関係していると結論づけられた。が、それでも近年の勇者学においてその発見は大きな前進となったのだ。
そんな大発見をした研究者が大罪人として収監されたのはなぜか……噂では、人道に反する実験を行ったからと言われている。
具体的に何をしたのかは公表されていない。帝国に保管されていた貴重な資料物を持って逃亡した罪と、倫理を逸脱した実験を繰り返した罪に問われ、今でも帝国の地下牢に収監されて死刑を待っている……と俺は聞いた。
そんな男が……レティの父親?
レティの顔は暗く、下を向いて俯いていた。その反応を見るに嘘だとも思えない。
「いない」
口元を微かに動かし、レティが小さな声を発した。
「私に、父親はいない」
レティの目元は険が生まれていた。唇がわなないて眼球が微動している。いつも脳天気なレティが初めてみせる……怒りの表情。
「……その男への厳罰が、最深部への置き去りってか」
「ええ。あの場所であれば、永遠の苦しみの中で己の罪を贖罪できるでしょう」
【試練の谷】の最深部は人の怨恨が累積し沈殿している。
その穢れに触れた人間は発狂し、死んだ肉体はアンデッドモンスターと成り果てる。死なない思考能力もない状態となって贖罪もクソもないだろうが、それは大した問題ではないということか。
高い精神汚染耐性、発狂耐性がなければ一秒と存在できない場所だ。立ち入りは固く禁じられており、国の許可を得なければ近くに立ち入りすることすら不可能。俺が過去、挑戦できたのも例に漏れず無理矢理侵入したからに他ならない。
「また、この依頼は皆様……勇者としての【試練】も兼ねています」
「し、試練ってなんでですか?」
「【試練の谷】はその性質ゆえに、勇者の聖剣を覚醒させる場所として最適なのですよ」
「へ、へえー、そうなんだ……」
ぽかんと間抜けに開口してほへほへ言っているカアス。よく分かってなさそうだった。
「……加護で高い精神耐性がある勇者にやらせる口実としては、理にかなってるな」
「とんでもない。我々勇者教会はそんなことを思っていません」
「嘘くせえ。どうせ勇者だからって報酬も出ないくせによ」
「……心苦しいですが、ご理解いただきたいですね」
都合良く使われている感が否めない。
確かに聖剣の覚醒場所として【試練の谷】であれば条件はばっちりだ。何しろあの迷宮は人の死と怨念が渦巻いている。たとえ勇者であっても攻略することは難しく、下手すれば死ぬ可能性があるだろう。
そこで俺ははたと、ルーカスの方に目を向けた。カアスやレティはまだしも、こいつの力はただの勇者にしては強すぎた。既に覚醒していてもおかしくないと思ったのだが……、
しかし、ルーカスは何も口を挟まず座っている。覚醒しているのであればこの依頼に参加する必要がない……なら俺の勘違いか?
「帝国側が【試練の谷】という呼称に変更したのも、勇者の試練として使う思惑があったようですね。……まあ、それも理由の一つにすぎませんが」
「試練とか厳罰とか、要するにその男の死刑を手伝えっつってんだろ」
「死刑だなんて。我々は救済を与えようとしているだけです」
「どうだか。そんなやつ勝手に死刑にしろよ。わざわざ面倒なことしてなんの意味がある? 教えて貰いたいもんだな」
鼻を鳴らして睨むと、ノーマンは「参りましたね」と頬をかく。
「強制ではありません。あくまでも参加の有無は皆様に委ねられています。勇者の皆様に強制するなんておこがましい……」
「……いや、お前も勇者なんだが」
「おぉそうでした。勇者の皆様と肩を並べれるとは想像すらしていなかったので、失念していましたね」
「お前は? 参加するのか?」
「もちろんです。私ごときが試練を受けさせていただけるとは、なんて光栄でしょうか」
ノーマンはわざとらしい仕草で天を仰ぐ。
「いくつか問いたい。依頼人の名前は?」
「お教えできません」
「このメンバーにした理由は?」
「上層部の判断です。それ以上はなんとも」
「勇者でもない俺が選ばれた訳は?」
「私の独断です。是非あなたには参加していただきたいと思いまして」
「……もし、この依頼で勇者が死んだらどうするつもりだ」
「勇者の皆様であれば、そのようなことはないと考えております」
質問を重ねるも核心に足る回答は得られない。不明瞭ではっきりしない答えだけ。
俺は舌打ちしたくなるのを堪えて、視線を横に向けて周りの勇者たちを窺った。
レティは黙りこくっていて、ルーカスはずっと瞑目している。カアスは頷いて聞いてはいるが難しかったのか理解が追いついてなさそうな顔をしている。
「もう一度言います。この依頼は強制ではありません。参加しないことで何らかの不利益を被ることもないと約束しましょう」
受けるメリットが何一つとしてない。
不参加を表明しようと立ち上がって退出しようとするが、扉に手を掛けた間際、その男の声で足を止めた。
「事前に話していた通り、俺は参加する」
ルーカスだ。続くようにレティも口を開く。
「私もだ。参加する」
「お二人とも意思は変わらずですね……分かりました。ありがとうございます」
「……お前ら、もしかして事前に聞いてたのか?」
「聞かされていなかったのは貴様と【呪】だけだ」
無感情にルーカスが答える。始めからレティとルーカスの反応が少し鈍いとは薄々感じていたが、そういうことだったのか。
「さて、これで私含めて三人の参加が決まりました。カアスさんはどうしますか?」
「わ、わたし……!?」
カアスはしどろもどろ、手をあたふた。しばらくのあいだ無言で逡巡して、やがて決心したように顔を上げる。
「や、やります! こ、怖いのは嫌だけど、克服すれば強くなれるなら――!」
四人、この場に集められた勇者全員が参加を表明。その困難に立ち向かう姿はまさに勇者といっていいほど勇敢だ。カアスに至っては蛮勇、とも言えるが。
ノーマンの視線が俺に向けられる。当然、問いの内容は分かっている。
レティの意思は固く、今さら曲げるとは思えない。
何を言っても無駄だと肌で分かった。それと同時にレティが隠したい何かが、この件と関わっているとも直感した。
これは俺が嫌いな厄介ごとだ。関わるなと、面倒なことになるに違いないからいつも通りの選択をしろと、本能が告げている。
……そうだ、そうだよな。そうしたほうがいい。そうに決まってる。
ノーマンが口を開き、想定していた質問を俺に問いかけた。
「では、貴方は……どうしますか?」
その答えに、俺は――