~異世界の推しがヤンキー属性だった~
推し。それは生きる糧である。それが二次元であろうと、三次元であろうと関係ない。そう、人間はパンだけで生きていくのではないのだ。パンが無かったら、一日飢えるだけ。しかし、推しがいなければ一生飢えることになるのだ。一日の上と一生の上、どちらが大切かといえば、答えは明白である。
「この女! お頭の裸の絵をもってやがる!」
「なんて破廉恥な女なんだ!」
私はなぜ、推しの絵を没収されそうになっているのだろう。か、返してください。私のヴァン様! と、言えたらどれだけ良いか。バンダナを巻いた頭に、Tシャツに短パンという、テンプレ的な“海賊”みたいな大男たちに囲まれたら、そんな魂の叫びだって、かき消されてしまう。
「か、かえ……」
「あぁ!?」
「ひ、ひぃいいいい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
睨まれたら、すくんでしまう。怖い、怖いですって!
私の推し、聖ロマンシア学園のヴァン様のイラストの描かれたノートに同人誌。今、男の人達がぎゃいぎゃい言ってるのは、ヴァン様の抱き枕カバーだ。たしかに、オタクじゃない人から見て、抱き枕カバーなんて、何に使うのかも理解できないだろうな。しかもその抱き枕カバーは同人誌イベントで購入したものだから、表情がすこぶる一般向けじゃない。
なんで、私こんなところにいるんだろう。
「お前!」
「は、はい!」
びくり、と私は体を震わせた。まずいまずい、死亡フラグ立った。ちくしょう、こんなのだったら部屋に置きっぱなしのノンアルのカクテルたち、全部飲めばよかった。
「名前はなんていうんだ?」
「ひゃい!」
「ひゃい?」
「ち、ちがいますちがいます!」
「ちがいます?」
「えっと、えっと、私は樹綾女! 綾女です!」
両手を振り回して私は何とか自己紹介した。
「私はしがない短大生でございます。両親は普通のサラリーマンですので、大した身代金も出ませんので、どうかどうか命ばかりはお助けを!」
私は船の甲板に体を伏せて、拝み倒した。
「大学に通っているなんて、こいつどんだけ頭がいいんだ?」
ぼそり、と海賊さんAが呟いた。はい?
「大学まで進んだ奴がどうして遭難しているんだ?」
と、海賊さんB。
「大学の人間がどうしてお頭の裸の絵を持ち歩いてるんだ?」
と、海賊さんC。どういうことなんだろう。大学っていう言葉が海賊さん達に引っかかっているみたい。大学に行くのがすごいって事なのかな? いやいや、待てよ。私は普通に台湾行きの船に乗っただけではなかったか。確かに、途中で台風にぶつかってしまって記憶を失ってしまっていたけれど、現代だよね。と、いうか、日本語通じるから日本近海で間違いないよね? それなのに、どうして大学に行くやつがすごいやつみたいな感じになってるの?
「おい、話はまとまったのか?」
「あ、お頭!」
遠くから聞こえてきた声、どこかで聞き覚えがあるような。華やかでありながら、儚さを感じる高貴な声。
「漂着物から女が出てきたんだって?」
こつこつ、とやってきた男を見たとたん、私の心臓がぎゅぅんと重力にひかれた。月の光を束ねたような銀髪に、アクアマリンのような透明な水色の瞳。そして、い限たっぷりなその立ち振る舞い。
ヴァ……ヴァン様がいた。
嘘でしょ。まさか、私死んだの? 死んじゃったから、天国に来てる? 神様信じてないのに、天国に来ちゃっていい? まさか、これから地獄に連れ込まれる? あ、でも動いているヴァン様みられるんだったら、地獄でもいいや。ほら、連れていけよ閻魔様。
「ヴァ、ヴァン様……!」
「あ?」
あぁ、いい。ヴァン様の蔑み顔たまんない。あ、スマートフォンどこもっていったけ?
あれ? 蔑み? 蔑み、って言った?
「か、解釈違いです!」
「はぁ?」
「ヴァン様はそんな事言いません!」
「なに言ってんだこの女?」
「女じゃありません! ヴァン様なら、主人公の事は貴方って呼びますよ!」
お頭、と呼ばれた人は確かにヴァン様にそっくりだ。でも、さげすんだり口が悪かったりしない。ヴァン様は、典型的な王子様キャラで、礼儀正しく、儚げではあるものの、高貴さが体中から出てきている人だった。
「わけ分からねぇな。おい、お前」
「お前じゃありません!」
「名は?」
「綾女、です!」
さっきまでのビビりはなんとやら、私は腕を組んで立ち上がった。虚勢なんだとは思うけれど、このヤンキーみたいなヴァン様は解釈違いにもほどがある! 神様信じてなくて本当によかった!
「お前はどこの連中の回し者か? 黄金郷か? それとも極光か?」
「黄金郷? 極光?」
「お頭、知らないようですぜ。それに、この女、お頭の絵を大量に持ってます。怪しいですぜ」
「俺の絵?」
「あ……」
海賊さんがヴァン様(仮)に私のコレクションを見せた。私のコレクションを見たとたん、ヴァン様(仮)の表情が固まった。
「この女、変態か?」
でしょうね。
「あなたはヴァン様じゃないもの!」
「はぁ? 俺もヴァンだ!」
「ええっ?」
どういうこと!? 知らないうちに、ヴァン様(仮)が本当にヴァン様だったの?!
「俺はヴァスティン。ヴァスティン・ロジャー」
だから、ちぢめてヴァン、ということらしい。なるほど、なるほど、ってそんなの納得できるわけないでしょ!!
「なんで名前も似ているのよ! 私のヴァン様と!」
「なんでおまえのになるんだよ! 俺の絵、こんなの見てられっかよ!」
「あぁっ! 返してください! 神絵師様の描きおろしヴァン様!」
同人誌を持ち上げて、ヴァスティンと名乗った男は威圧するように私を見た。くっ、推しの顔がまぶしい。でも、くじけないんだから! 飢えてしまうんだから!
「お前、本当にこれが大事なのか?」
「当然です!」
「わけ分かんねぇな」
「だから、ヴァン様はそんな事言いませんから!」
「うるせぇよ」
ぎりっと、私を睨んだ。くっ、想像したことのない顔だけれど、顔がいいから屈してしまう。眩しすぎて直視できない!
「お頭、どうします?」
「この女は分からないことが多すぎる。他の海賊共のスパイ……にしては抜けてやがるから、大方どこぞの観光船に乗ってた浮かれた連中の一人だろうよ」
ぐっ、反論できない。
「ここからトトリの領事館まで何日だ?」
「へい、9日はかかるかと」
「おい、お前」
「あ・や・め・です!」
「分かった、アヤメ。お前は分からないことが多すぎる。俺達の船に乗せておくには危険すぎる。だからお前はこれから、領事館に連れていくことにする」
ヴァスティンがそんなことを言った。領事館、ってなんだっけ?
「領事館って、何ですか?」
私の素直な疑問に、ヴァスティンが何言ってんだこいつ、みたいなあきれ顔になった。まるで一たす一の答えを聞く子どもを見ているような目だった。
「お前はどこから来たんだ?」
「神戸ですよ」
「コウベ?」
「ここ、日本ですよね?」
「はぁ?」
「だから、日本のどこかですよね?」
「ここはシーシェル王国だぞ」
ヴァスティンがますます呆れたような顔をした。シーシェル? そんな国日本の近くに会ったんだ。知らなかった。
「トトリ、というのは何ですか?」
「俺達、“連合王国”の出先機関だ。その様子じゃ旅費も落としたんだろう?」
「え、日本に帰れるんじゃ?」
「二ホンという国を俺は知らないぞ」
ははは、このヴァスティンとかいうヴァン様(仮)は冗談が得意なようだ。
「あの、まさか異世界に来たってことはないですよね?」
「異世界? そんなわけないだろう。そんな魔法みたいなこと」
「ですよねー。魔法使いとか伝説の剣とか精霊がいる世界になんているわけないですよねー」
「精霊?」
ヴァスティンは目を丸くすると、口笛を吹いた。口笛に呼ばれるように、ヴァスティンの腕にワシが止まった。ワシ、といっても茶色のツバサではなくて、風に色がついていて、それがワシの形をしている、みたいな感じなんだけれど。
「俺の二つ名、荒鷲のヴァスティンを表す風の精霊だ。海の大精霊、ワダツミの配下でもあるがな」
「はい?」
「お前にだって、信仰している精霊様はいるだろう?」
私は言葉に詰まった。精霊、というのはこんなふうにフレンドリーなものじゃなかった気がする。かのコナン・ドイルだって解明できなかった謎だ。それがこうもあっさりと……。いやいや、おかしい。
「とりあえず、落ち着かせてください。ここは異世界なんですか?」
「異世界じゃないだろう。精霊を知らないお前は本当はどこから来たんだ?」
もしかして、これって外国に行ったらこっちが外国人になるっていうアレ? 私、もしかして本当に異世界に来ちゃった? と、とにかく帰らなきゃ! 帰り方わからないけれど!