第64話「ジン」①
周囲全てを敵対するイスラム教勢力に囲まれている十字軍国家は、西洋からの人や物資の持続的な支援があって初めて成り立つという危うい立場にあります。しかし、西洋から十字軍国家に至る道のりの内、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを経由し、小アジアを通るという陸路は、イスラム教勢力の支配下にある現状、大変危険な道のりです。となると、主要都市の多くが沿岸部にある十字軍国家において、海路が重要視され、強大な海軍を持つヴェネツィアやジェノバと言った商業都市が大きな力を持つのは道理と言えます。
「……と言うわけで、最近襲撃が絶えない戦争捕虜を運ぶ行商人の護衛を、ヴェネツィアは我らテンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団の双方に依頼してきたのだが、断る訳にもいかない。何せ彼らの協力が無ければ、この聖地は立ち行かなくなるのだからな」
朝課での、ロベール総長の訓話。それは、テュロスへと運ばれる戦争捕虜の護衛任務の説明でした。この時代、戦争で捕虜になった者の行く末は大きく分けて三つありました。一つ目は、その場で処刑されること。大きな恨みをかっている者、弓兵などは、慈悲をかけられる事もなく首を刎ねられ、時にはそれ以上の残酷な目にあいました。二つ目は、身代金を払う事で解放されること。裕福な者、位の高い者は親族などが用意する多額の身代金により解放されました。三つ目は、奴隷となること。自らを買い請ける身代金を払えない者は、奴隷して生涯過酷な労働に就く事になるのです。そして、ヴェネツィアなどの商業都市はその海軍力を支えるため、常に舟漕ぎ奴隷を必要としているのでした。
「聖ヨハネ騎士団との合同と言うのは気に入らんが、ヴェネツィアの意向となれば致し方あるまい。彼らに遅れを取らぬよう事に当たってくれ。それでは指名された者は準備をせよ」
朝課が終わり、大広間から出てくる修道士達。護衛任務に指名された者は自分の部屋に戻り準備に取り掛かり、そうでない者は街道警備や教練などそれぞれの役割を果たしに向かいます。もちろん、数々の難事件を解決し、怪物退治の腕は騎士修道会第一のご主人様も今回の任務遂行の一人に選ばれました。
「全く……なんで俺まで……」
「それはご主人様が優秀な修道騎士の1人だからですよ」
「はんっ、全くおめでたいな。聖ヨハネ騎士団も一緒とは、遂に女と仲良くするべからずの会則違反の現行犯逮捕をする気かと思ってたぜ」
まぁ総長にその気がなくても、所構わず人目憚らずのシャルロット様がもし参加されていたら、遅かれ早かれそうなる気もしますが……
中世ヨーロッパの騎士は日本の武士とは違い、弓や弩と言った投射武器を使う事は無く、またそれらを使用する兵士は取るに足らない存在と考え、下に見る傾向がありました。しかし、投射武器の戦場での優位性は理解しており、傭兵などを用い頭数を揃える事に苦心していたのもまた事実でした。




