第62話「グーラー」⑪
数日前、市街地を警備していたご主人様の前に突然現れたアンナさん。何でも今回の"人食い事件"の犯人について心当たりがあると言う事で、こうして会う運びとなったのです。
「さて、まずは君の事を話してもらおうか」
「はい……私はエデッサに住んでいたアルメニア人で、十字軍の方々がこの地に来られる前から我が家は代々皆キリスト教徒で、その為昔から苦労していました……」
「周りは皆イスラム教勢力だからな。エデッサ伯国も元々はトロス王が軍事力をあてにして、あの馬鹿……ボードワン一世を招き入れたのが建国の由来と聞く」
「そして、今回のエデッサ伯ジョスラン様の攻勢がザンギーの跡を継ぐヌール=アッディーンに打ち砕かれた事により、エデッサに住む私達はそれはそれは酷い目にあいました……」
そう言うと、よよよと泣き崩れるアンナさん。よほど辛い記憶だったと言う事でしょうか。そんな彼女に手を貸すご主人様の顔のすぐ目の前にまで自らの顔を近付け、話を続けます。
「ここエルサレムへとなんとか逃れてきましたが、グスッ……住む場所も何もかもなく、その日の食事にも事欠く有様……」
もはや完全にご主人様に抱きつく形となったアンナさん。ご主人様もその頭に手を乗せ、ヨシヨシとしてやる優しさを見せます。
「そうか……それは辛かったな」
「あぁ、骨と皮ばかりの庶民や脂ばかりの乞食や巡礼者とは違い、硬く引き締まった騎士様の身体、やはりこうでなくては……」
「……!!」
「ご主人様っ!!」
グサリッ
ご主人様の背中、心臓があるべき場所に深々と突き刺される短剣。そして美しい顔が引きつり、口が裂け、皮がボロボロと崩れ落ちるアンナさん……いや、もう誰がどう見ても怪物です。化け物です。
「ギヘヘ……エデッサ近くの街道で食った女の顔と記憶はとても役にたったわ……こうして労せず騎士の肉が食べ放題なんだからな」
「やはりお前がグーラーだったのか……」
血を吐きつつも、なんとか剣に手を掛けるご主人様ですが、既に深手を負い、よろめき倒れそうです。
「ご主人様しっかり!」
なんとか支えようとしますが、短剣はチェインメイルを貫通し、その下のアクトンまで到達しています。まさしくか弱い女ではなく、怪物の仕業です。
「貴様がジャンとか言う若い馬鹿騎士を食うのを邪魔さえしなければなぁ……まぁ、奴も近いうちに食うんだけどなギヒヒヒ」
背丈は小さく、身体は茶色い毛に覆われ、禿げ上がった頭、そしてニヘニヘと笑い、舌舐めずりをすると言う正体を完全に現したグーラー。あぁ、あのご主人様が怪物とは言え、女に気を許すとは……
アクトン、またはガンビズンとも呼ばれる防具は、中に綿や枯れ草それに動物の毛などを詰めた厚手の洋服で主にチェインメイル(ホーバーグ)の中に着られ、鎧と肌が擦れ合う事による怪我や、攻撃による衝撃を和らげる機能を発揮しました。




