第58話「グーラー」⑦
市街地を行くジャン卿の後を付けるご主人様とシャルロット様。幸いな事に、未だ尾行を感づかれてはいないようです。後方不注意なのは、騎士と言えど未だ若いからでしょうか。
「ジャン卿、最近フランスからこの聖地に来た騎士で、田舎貴族の三男坊だったらしい。一族の信仰心の証としての巡礼の折、エルサレム王に忠誠を誓うが例によって封地ではなく金銭によってそのその騎士となり、今はエルサレム市街地の館に住んでいるとの事だ」
「そして最近出会ったという、エデッサからの避難民であるアルメニア人の現地キリスト教徒に絶賛ぞっこん中。3日に一回は会ってるそうよ」
「それにしてもあの野郎、外にはサラセン人が迫り、内では怪物が跋扈してるこの聖地でまるでこの世の春が来たと言う感じのニヤつきようだな」
「恋をするとああなるんじゃない。私はした事無いから分かんないけど」
テンプル騎士団が基本理念に従順・清貧・貞潔を掲げているように、聖ヨハネ騎士団にも似たようなものがあるのでしょう、シャルロット様はその美貌に反して恋愛関係には疎いようです。とは言っても、騎士修道会に入会する前から、剣にしか興味が無かったような気もしますが……
などと考えていると、エルサレム王宮"ダビデの塔"から出たジャン卿は、そのまま自らの館へと帰ってしまいました。
「なんだ、あのニヤつき様からどこかで逢引でもするのかと思ったが」
「まだ分からないわよ。今までの犠牲者は、全て自室で見つかっているのだから。向こうから堂々と訪ねてくるのかも」
「となると、待つしかないか……」
館の入り口が見える場所に移動し張り込んでいる間、ワインボトルを傾けるご主人様。そしてそれを呆れ顔で眺めるシャルロット様。
「あなたキマイラの時もそうだったけど、まさかいっつも飲んでるの?」
「そんなわけ無いだろ。聖務日課の時は隠れて飲んだりはしてないぞ」
「あっ、そう……」
昼食や夕食の時に供されるのだけでは飽き足らず、市街地に出た時にはこっそりワインを買っているご主人様。もちろん見つかったら、かなりのお叱りを受けるのは確実です。しかし、毎日の悪夢に広がる身体の黒いアザ、そして積み重なった長年の苦い経験、年々強まるそれら辛い記憶を一時的にも忘れるには、必要なものなのかもしれません。
「シャルロット、チーズか何かワインに合うの持ってないか?」
「持ってるわけないでしょ!」
単に酒に負けてるだけな気もしますが……
イエスが最後の晩餐にて、自らの血であるとして使徒達にワインを注いだように、イスラム教と違いキリスト教は酒を飲む事を禁じていませんでした。
テンプル騎士団においても、就寝前の晩課にて総長の判断で軽い食事とワインが支給される事もあったそうです。




