006「禁断の妻」
彼女の着ていたネグリジェワンピースの背中の細いリボンがふわふわと空を仰ぎ、ワンピースの裾が濡れた床に着く前に、さっと彼女の両手を握る優しい手が差しのべられた。
勿論、彼の着ていた黒いローブの裾は訳のわからぬ液体で汚れてしまった訳だけれども、それが上手く下敷きになり、彼女のワンピースには染み一つ付かなかった。
「……大丈夫ですか?」
耳元で囁かれたのは、思っていたよりもずっと優しい青年の声。ランゼリゼはふと前を向くと、フードの隙間から長い黒髪と整った輪郭、薄く桜の花びらのように淡く色づいた唇が少しだけ口角が上がり軽く微笑んだのが分かった。
「僕の花嫁……」
ランゼリゼは未亡人の妻でありながら、姿も身の上も分からない、謎に満ちた男性に少しだけそそられてしまった。それは、彼を亡くしてから、三年の月日が経ったからであろうか。……それとも。
「は、離してください。私には、シュガーレットという夫が……夫が待っているのです!! あなたの花嫁になど、なれません!!!!」
ランゼリゼは未亡人の妻だとは言えなかった。言いたくなかった。
彼女が既婚者だと分かり、帰りたいと涙ながらに訴えかけるならば、不埒な理由で無理矢理にもここに拘束しておく訳にもいかない。レオンは彼女の手を離そうとしたが、ランゼリゼはもたれ掛かるようにレオンの胸に抱きついた。
右足が痺れて、思ったように両足で立つことが出来ない。それは時間が経ったら治るものかと思っていたが、一向によくならない。
どうしたものかと悩んでいたら、黒猫のシャルルが急に走りだし、物置部屋でニャーニャー煩く鳴いていた。
レオンはあることを思い出して、ランゼリゼを座らせ、この部屋で待つように伝えた後、シャルルの跡を追う。物置小屋からクモの巣の張った、小型の押し車を取り出して来た。煤や埃やクモの巣を払い、レオンが胸元から細い棒を取り出すと、魔法の呪文を唱える。
「どうか、少しばかり彼女の力になってくれませんか?」
しばらくした後、ランゼリゼがいる暗い部屋の扉が開いて、廊下の光が部屋に射し込めた。
「ランゼリゼさん? これならどうでしょう?」
レオンは手を差しのべて、廊下まで彼女を導く。足先が光に包まれて、目の前に「木材で出来た車椅子」が置かれていたことに気づく。
ランゼリゼは恐る恐る座る。背もたれ、お尻の下には柔らかなクッションが引かれていて、足を曲げると図ったかのように自分の座高にぴったりだった。
車輪も木材、ブレーキハンドルまでつけられていて、手で車輪を回すとすいすいと動くことが出来た。
「だって僕は魔法使いだものーー……好きな子の願いくらい叶えられますよ」
レオンは後ろから彼女の車椅子を押した。
そして、ふわふわとしたお姫様みたいな彼女の柔らかな髪を見つめながら、話を続けた。
「……これで、旦那さんの元へ帰れますね?」