020「月が満ちていく」
それからランゼリゼは町の教会に足を運ぶようになった。それは「神に旦那様に逢いたいと願う為ではない」
(ああーー……神よ。私をお許しください。
私は自分の立場をわきまえているつもりでした。決して旦那様を裏切ってはいけない。生涯、私は彼に絶対の忠誠を誓った身の上。例え、長い間彼から離れようとも他の誰かに心を許してはいけないのですーー……)
旦那様に仕える身でありながらも、彼に心引かれていることを懺悔していた。
教会に通うと言うランゼリゼを、レオンは止めなかった。彼に止める権利などはないと思っていたからだ。側で黙って見守っていた。
そして今日も彼女は教会に足を運ぶ。
神に願うランゼリゼの横顔が、どこか寂しそうで、レオンは胸ぐらを掴んだ。あれほど触れたいと思っていた彼女が側にいても、彼女の想いは消すことが出来ず、側で指を咥えて見ていることしか出来ない。純粋で真っ直ぐな行為が続けば続くほど、彼の心は荒んだ。
ーー自分は魔法使い。善人の振りをして彼女の行為を阻止する方法は沢山ある。
例えば、魔法の力を使って彼女の為に作った車椅子を元の姿に戻してしまうことも。お屋敷に特別な呪文で、彼女が外出出来ないように閉じ込めて置くことも出来る。
鏡の魔法を使って、彼女を自分にしか解放出来ない異空間の世界へ閉じ込めて置くことも出来る。そこで、永遠の時間を二人っきりで過ごしたって構わない。
成人した後も女性に触れたことも、会話したこともほとんどない不器用な彼は、愛の伝え方がわからなかったのだ。
それでも、レオンはランゼリゼが笑うとつられて微かに微笑した。
いつしか、杖を握る手も血管が浮き出て、骨が見えるくらい細くなり、黒いローブで隠した肌も毒されたように斑点が付き、魔力が段々と弱くなっていることを自覚していても、彼女と同じ時間を過ごしたーー……。
「もう時間がないよ。本当のことを伝えなきゃーー……」
黒猫のシャルルはそんな彼を見かねて声をかけた。
「少しでも長く一緒にいたいのは分かる。でもーー……」
あの頃とは違い、大分痩せ細った後ろ姿。
ローブとブラウスを脱ぐと黒の斑点は彼の背中を覆っていた。
「君が伝えられないなら、僕が君の変わりに言うーー!!」
黒猫のシャルルは鋭い爪をむき出し、毛並みを逆撫でる。感情を止められないシャルルをレオンはぎゅっと抱き締めたーー……。
*
手入れが届いていない庭のすすきが左右に揺れる。少しだけ風が強い宵の日だった。
窓ガラスが風でカタンカタンと揺れていて、朽ちたテーブルに置いた蝋燭の炎がゆらゆらと揺れる。部屋の角にクモの巣が張った天井と、埃の被った古い食器棚に並べられたグラス。
異変に少しずつ気付きつつも、彼女が眠る場所は綺麗に保たれていて、彼女はベッドの上ですやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
廊下から段々と近づいて来る足音が聞こえて、ランゼリゼは目を覚ます。
「レオン?」
ドアの前で立ち止まった足音が、彼女の声に反応し、部屋のドアが少しだけ開いて、隙間から黒い人影が現れた。
「ーーもう。私の前で顔を隠さないで?」
恥ずかしがり屋なレオンが家の中でもローブをすっぽりと被っているのは見慣れた風景だった。だから、今日もそうなのかと思い、ランゼリゼは笑いながら、彼のローブを外そうとする。
「ランゼリゼさん。目を瞑ってーー……」
突然、ランゼリゼの視界は真っ暗になった。
「どうしたの?」
レオンは少しずつ少しずつ話した。
「本当はずっと君に伝えなくてはいけないことがあったんだ。
それは、こうなるよりずっとずっと前に言っておかなくてはならなかった。
ーー……でも、その間も君と少しでも長く一緒にいたくて……」
そこまで話してもランゼリゼにはなんのことか検討もつかない。
「君は本当はもう大分前に死んでいるんだーー……」
強風が吹き荒れる。
いつしか雨も降ってきて、雫が激しくガラス戸を打ち付ける。蝋燭の灯りが突然消えて、部屋の温度が一気に下がる。
真っ暗闇の中、彼の声だけが耳に響いた。
「僕は、以前猫を探していると言っていたでしょう?」
そう言われればそんなこともあったような気がする。大分前の記憶を思い出していたーー……。
そして、ランゼリゼの首もとに付けられたチャームに指をかける。
「旦那に逢いたいと願うなら、彼の元へ連れて行ってあげるーー……」
首の後ろで止められたホックが外され、チャームがベッドに落ちる。
それと同時に、月の神秘的な光に照らされ、本来のあるべき姿に戻った彼女がベッドの上で二本の前足で立っていた。
「これで君は自由だ。どこにでも行ける」
目の前にいたであろう、レオンはローブだけ置いてどこかへ行ってしまった。
ランゼリゼは猫に戻ったのだ。
『僕の愛しい子……』
ベッドの側に置かれた旦那の時計の秒針が動いて、止まった時が流れる。
そして、空を見上げれば青い光を放つ満月がーー……。
ランゼリゼが座っていたベッド。ベッドに敷かれた柔らかな毛布などは消えていて、ボロボロの布切れと、座ったら今にも壊れそうな朽ちた木のベッドへと変化する。床や壁がほこりや煤まみれになり、本棚からは本が乱雑に床に落ちる。床から舞い上がる砂ほこり。止め金が外れ、傾いたドア。
お屋敷のまわりの草瞬く間にぐんぐんと成長し、屋敷全体を囲うように覆う。
街を覆っていた不気味な霧が薄くなり、あんなに綺麗だった建物にも大きな亀裂が入る。半壊した家屋。崩れ落ちる煉瓦。荒れ果てた地面。
街が音を立てて崩れる不協和音に目を覚ました人たちは悪夢の続きを思い出していた。
20年前の大災害。止まった時間が流れ始めたーー……。
結末は絶望しかない幻想曲でも、この行方を見届けますかーー?




