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菊ちゃん

作者: 小宮山 写勒

 その村には、一人の女の子がおりました。


 おかっぱ頭のクリクリとした黒目が可愛らしい女の子でした。


 村の誰もがその子のことを知り及んでおります。


 女の子が村人の前を通り掛かれば、みな彼女に言葉をかけます。


 しかし、不思議なことでありましたが、村の誰もが女の子の名前を知りませんでした。また彼女がどこの家の子で、どこから来たのかさえも知らないのです。


 ですが、女の子は菊の模様が入った赤い着物を着ておりましたから、村の者はその子のことを『菊ちゃん』と呼び慕いました。


 『菊ちゃん』、と声をかければ女の子もニコと可愛らしく微笑みます。


 それはそれは可愛らしいものですから、皆見かけたら『菊ちゃん』を呼び止め、お菓子や飲み物を分け与えました。


 『菊ちゃん』が村に来てから何日も過ぎた頃でした。


 村に一人の男が越して来ました。


 白いスーツに白いハットを被った男でした。知性あるお人で、東京で大学の講師をしているということでした。


 なんでも瑣末な都会の喧騒に嫌気がさして、この田舎風情の残る村にこしてきたのだそうでした。


 顔立ちも端正で、まだ齢も若かったこともあって、村の娘たちは皆『先生』と呼び慕われておりました。


 そんなものですから、村娘が『菊ちゃん』を紹介してしんぜようという話になったのも、不思議なことではありません。


 『菊ちゃん』はいつも決まって夕暮れ時に村に現れます。夏ももう終わりに来たところで、ちょうどその頃は涼しい風が吹いておりました。


 『菊ちゃん』はいつものようにやって来ました。


 『菊ちゃん』こんばんは。

 今日もかわいいね。

 お菓子をあげよう。


 村の翁や嫗たちはまるで我が孫のように『菊ちゃん』を迎え、手土産を持たせていきます。


 そして『先生』を連れて来た娘たちも、彼女に飴菓子を渡していきます。


 『先生』もこちらにいらしたら。


 一人の娘が『先生』を呼びます。しかし、『先生』は『菊ちゃん』を見るとその場に立つすくんだまま動けない様子でした。


 きっと『菊ちゃん』の可愛らしさに目を奪われてしまったに違いないわ。


 村娘たちは口々にそう言って憚りません。


 『菊ちゃん』は『先生』と打って変わって、首を傾げてとてとてと『先生』の元へ歩いていきます。


 そして『先生』の前で立ち止まると、彼に向けて手を差し伸べます。


 手を繋いでくれというんだろう。村人たちは微笑ましげに『菊ちゃん』を見つめておりました。けれど、『先生』だけは村の者とは違う表情を浮かべておりました。


 わなわなと歯を震わせ、恐ろしい何かを見るように『先生』は『菊ちゃん』を見ておりました。


 「あ、あああぁぁああ……!」


 震えた叫びをあげたかと思うと、『先生』は『菊ちゃん』から逃げるように来た道を駆け戻っていきました。


 村人は唖然としたまま、『先生』の後ろ姿を見ておりました。そして、気がついた時には『菊ちゃん』の姿が、どこにも見当たりませんでした。


 『先生』が警察へ自首をしたのは、そのすぐ後のことでありました。『先生』は東京の実宅で娘の「幸子ちゃん」を殺し、村近くの山の中に埋めて隠してしまったのだと、新聞には書かれておりました。


 実の娘を殺すなんて、外道のすることだ。

 殺人犯がこの村に越して来たなんて。

 それがわかっていたら、村に住むことなんて許さなかったのに。


 村人は口々に『先生』を罵り、極悪人として後ろ指をさしました。『先生』を慕っていた村の娘も、手のひらを返して怖れ嫌いました。


 殺された「幸子ちゃん」を悼んで、村人は山の麓に彼女の慰霊塔を作りました。なぜ殺されなければならなかったのか。なぜ殺してしまわなければならなかったのか。


 村人にはそれはわかりません。わかりませんが、たった一人の女の子が歳を重ねることなく、幼い内に死んでしまったこと。その事実に手を合わせてやらねばという人情が働いたのです。


 村人は月に一度この慰霊塔を訪れ、手を合わせます。どうか安らかに眠ってくれるように願いながら。


 それ以来慰霊塔へのお参りはすっかり村人の習慣になりました。


 そして『菊ちゃん』が村人の前に姿を現さなくなったのも、ちょうどその頃からでした。

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