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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

無明を断つ

無刀取り

作者: MIROKU
掲載日:2017/03/30

「無手にて刀を握った対手を制する技だと?」

「は」

 十兵衛は父を前にかしこまった。宗矩は十兵衛を一瞥し、長く息を吐いた。

「我が父は無刀取りの妙手を研鑽していたが」

「では、それを小生に伝えてくだされ」

「待て、十兵衛。お主、何に対して命を懸けている?」

 宗矩はいぶかしんだ。十兵衛の顔は真剣だ。命を懸けて戦に臨む者の顔をしている。

 一体、何があったというのか。

「――止めまする」

「何を」

「城下を騒がす辻斬りを」

 十兵衛の言に宗矩は眉をしかめた。

 最近、城下では女ばかりを狙った辻斬りが起こっている。

 下手人が誰かまで察しはついているが、同心達は手を出せずにいた。

「お主、何を言っているかわかっておるか」

「止めまする、父上。事が仕損じれば、小生は腹を切る覚悟でござる」

「お主一人の腹では済まぬ。わしも斬る事になろう。……道場へ参れ」



 十兵衛と宗矩は屋敷内の道場に移り、尚も話しこんだ。

「では刀を持つな。匕首も許さぬ。よいな」

「は」

「組打の術は、擦り合わすほどに身を寄せあったところに真髄がある」

 宗矩は稽古袴に、左手に刀を鞘ごと握っていた。対する十兵衛は稽古袴だが無手であった。

「お主に組打の術は一通り伝えてある。真髄があるとすれば十兵衛、すでにお主が身につけているはず―― あとは武徳の祖神の導きあるのみ」

 言って宗矩は道場の上座の掛軸を見た。

 香取大明神。それは武神、経津主大神の事だ。

 鹿嶋大明神。それは剣神、武甕槌神の事だ。

 十兵衛に勝機があるとすれば、武神剣神の導きなくして他はない。

「つかまつるぞ」

 宗矩は刀を抜いた。十兵衛は顔から血の気を引かせつつも、宗矩と向き合う。

 この生死の境を越えた先にしか、明日はないのだ。



 満月輝く夜だった。

 十兵衛は女装して辻斬りが現れるのを待ち、遂に遭遇した。

「じ、じ、十兵衛!」

 辻斬りは女と思って斬りつけた相手が刃を避けたのみならず、憎き男である事に憤った。

「上様、お気を確かに」

 十兵衛は女物の上衣と掲げていた薄布を投げ捨て、着流し一枚の姿になった。

「上様は魔物に取り憑かれておいでです…… 念仏を唱え、魔物を追い払いくだされ」

 十兵衛は本気でこんな事を言っているのではない。

 三代将軍家光が夜な夜な城を抜け出して、女を斬殺しているのは、魔物に憑かれたがため――

 そのように取り計らいたい幕閣の意向と、あるいは家光が狂気から解き放たれるのを期待しての発言だ。

 だが家光は十兵衛に対して憎しみしか持ち合わせていない。

「じ、じ、十兵衛! 貴様は! 貴様はあ!」

 家光が一刀を打ちこんできた。十兵衛は、それを避けた。宗矩から剣を学んでいる家光だけに太刀筋は馬鹿にはできぬ。

 二度、三度と打ちこまれた刃をも避け、十兵衛は家光と距離を取る。勝機を狙っているのだ。

 対する家光は落ち着いてきていた。刀を上段に持ち上げ、烈火のごとき気合を放つ。

「余は生まれついての将軍であるぞ!」

 家光、会心の一刀だった。

 が、十兵衛は素早く家光の足元に屈みこんで一刀を避けた。

「んな!」

 家光は叫んだ。その時には、十兵衛は家光の股下に右手を差し入れ、左手で胸ぐらをつかんで肩に担いでいた。

「ぬおお!」

 十兵衛は姿勢を崩しながらも、己もろともに家光を地面に叩きつけた。

 後世の柔道の技「肩車」であった。

 これは、足元に何かが飛び出してくると、咄嗟に避けようとする人間の本能的な生理を利用した技だ。父宗矩から学んだ技である。

 背中から落とされた家光はうめいた後、意識を失った。

「父上、やりましたぞ……」

 十兵衛は全身にびっしょりと汗をかいていた。

 初めての命を懸けた実戦であり、ましてや家光を殺すわけにはいかぬのだ。

 その難事を成し遂げる事ができたのは、力や技のみならず、志の強さではないかと十兵衛は思った。

 無刀取りとは、力や技ではなく心ではないのか。

 死を覚悟して無の境地に入る事ができたからこそ、家光を制する事ができたのだと十兵衛は思わずにはいられない。

「局様、これでよろしいか」

 十兵衛は満月を見上げてつぶやいた。

 春日局は家光の実母と、幕閣では噂されていた。

 その春日局に、涙ながらに家光の辻斬りを止めるよう密命を受けて、十兵衛は死を覚悟して挑んだのだ。

 結果は――

 子を思う母の情の勝利かもしれない。



 数日後、十兵衛は江戸を発った。

 表向きは家光の不興を買っての謹慎だが、事実は西国大名の情勢を探る隠密行だ。

 切腹は免れた十兵衛だが、今度は命懸けの任務を押しつけられる事になった。

 しかし、十兵衛は晴れ晴れとした顔で晴天の空を見上げていた。

 腰には春日局から謝礼として賜った名刀、三池典太がある。

「この旅は楽しくなるかもな……」

 野袴に編笠をかぶった旅装の十兵衛は、杖をつきつつ街道を行く。

 前途に待ち受けるは、修羅の地獄であろう。



〈了〉

※ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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