第一章 セイレーンの日常
バコンッ!
という小気味いい音を立てて、俺の打ったテニスボールは山なりにネットの向こうに飛んでいった。
白線の内側でバウンドしたボールが、大きく跳ね上がる。
ボールを目で追っていた相手チームの一人、浅倉蛍がニヤリと笑い、軽くラケットを振りかぶる。
バシュッ!!
という音とともに、ほぼ直線の軌道を描いてこちらに帰ってきたボールは、白線の真上でバウンドし、コロコロと転がった。
ホイッスルが鳴り、得点板がめくられる。
今の一点で、浅倉チームの勝利。
余裕の笑みでピースサインを出してきた浅倉を一瞥して、俺はコートから撤退した。
コートのわきに置いていた水筒から、スポーツドリンクをガバガバ喉に流し込む。
チラリと見上げると、空は雲一つない秋空。グラウンドのほうから、陸上部だか野球部だかサッカー部だか知らんが、にぎやかな掛け声が聞こえてくる。
俺が所属しているテニス部の部室は、そんなグラウンドから少し離れたところにポツンとある。
俺はコートのわきに腰を下ろすと、さっき勝利を収めた浅倉チームが、第二試合を始めるところだった。
休憩がてら、眺めさせてもらおう。
別にどっちを応援しているわけでもないが、さっき負けた怨念から、浅倉負けろー浅倉負けろーと心の中で連呼する。
その浅倉はサーバーになったらしくテニスボールをラケットで弄びながら準備ができるのを待っていた。
得点板が0にそろえられ、ホイッスルが鳴る。
浅倉は軽くテニスボールを宙に放り投げ、
バシュッ!!!
浅倉得意のウルトラスマッシュが炸裂した。
目で追うのも一苦労な速度で飛んできたボールは、例によって白線の真上で跳ね上がり、その速度を保ったまま飲みかけの俺の水筒に命中した。
中途半端に被せていた蓋がその衝撃で外れ、半分以上残っていたマイスポーツドリンクが無残にも地面にぶちまけられる。
「何やってんだ浅倉!!」
慌てて水筒を立て直しても、中身はほとんど土に還ってしまった。
俺の貴重な水分を帰らぬ人にした原因であるテニスボールを拾い上げ、浅倉を怒鳴りつける。
「あ、わりぃセイレーン、ボールとって」
その元凶である浅倉は悪びれもせず片手を上げる。
「セイレーン言うな!!」
怒鳴り返すと、浅倉は肩をすくめた。
セイレーンというのは、俺のあだ名だ。本名は、水城聖蓮という。
彼女はいない。成績は普通。運動神経はいいけど、ずば抜けていいわけでもない。
要は、どこにでもいるようなごく普通の男子高校生だ。
そして、俺にセイレーンなどというあだ名をつけたのが、浅倉蛍だった。
俺と同じ高校二年生で、去年からのクラスメイト。俺と違って容姿端麗で、テニスも上手い。
彼女はできたことないと本人は言っているけど、疑わしいね。
部活が同じこともあって、割と仲はいい。
俺をセイレーンと呼ぶなど、腹立だしいことも多いけどな。
俺や浅倉が通っているのは、中高一貫の進学校だ。
男女比は半々。高校と中学の距離感はそれほどなく、部活も中高一緒にやっている。
このテニス部は、部員数約100人(幽霊含む)の、まあまあ大きい部活だ。
県大会に出場することも多く、浅倉はそのレギュラーだった。出場回数は優に10回を超える。
俺は片手で収まるくらいしか出たことねえけどな。
「おーい、セイレーン。ボール早く!!」
ネットの向こうで浅倉が手を振っている。
「だから、セイレーン言うな!!」
言いながら投げたせいか、手元が狂い、ボールは全く見当違いな方向へ飛んで行って、そこに立っていた中一女子の後頭部に直撃した。
「あっ……」
俺が声をあげて、浅倉は「やっちゃったね」というように肩をすくめた。
その中一女子、苅谷崎凜は自分の後頭部と俺のスポーツドリンクを襲ったテニスボールを広い、こちらを振り返る。
浅倉が片手をあげて苅谷崎からテニスボールを受け取り、俺は両手を合わせて平身低頭。
浅倉はまったく悪びれずに俺を見た。
「セイレーンの馬鹿が悪いな」
「お前がいうか?あとセイレーン言うなって言ってるだろ!!」
戦闘モードにシフトした俺と、挑発モード継続中の浅倉を呆然と見ていた苅谷崎は、
「えっ……あっ、いえ、大丈夫です」
戸惑ったように頭を下げた。
まったく、いいやつだ。
「気にすんな。悪いのはこのセイレ」
「うっせえ!!」
一撃必殺スキル、飛び蹴り発動。
まともに喰らい、うめく浅倉。
「なにすんだよ、セイレーン!!」
「しつこいわ!!」
……俺と浅倉の乱闘は、蚊帳の外にされた相手チームの「さっさと試合始めんかい!!」という怒鳴り声で止まった。
俺は浅倉と「部活終了まで停戦協定」を結び、苅谷崎に声をかけた。
「さっきはすまんな。大丈夫か?」
「は、はい。気にしないでください」
つくづく思うんだが、この性格の良さはどこから来るのかね。
女子がみんなこういうやつだったら、世界はもっと平和だと思う。
苅谷崎は、中一女子の中でも段違いにおとなしい。
テニス部には中一は15人いて、うち3人が女子だが、苅谷崎はほかの二人と仲良くないのか、いつも一人でボーっと試合を見ている。
身長は、150センチくらい。ほどいたら胸くらいまである髪を後ろで一つにまとめている。
基本的に無口で、話をしたのはさっきので3回目くらいだ。しかし意外にも運動神経はいいらしく、彼女のチームはいつも強い。
さすがに、5つも年下の女子に恋愛感情は持てないけどな。
今日はほかには何もすることがなく、浅倉の試合を眺めたり(浅倉は全勝した)、友達と駄弁ったりしているうちに下校時刻がやってきた。
さっさと帰りたいが、主に高2の仕事であるコートの片づけをしないといけない。
俺は誰かのせいで空になった水筒を更衣室においてから、ボールを拾っている浅倉のもとに走った。
誤字等ありましたら、連絡ください。
次の更新は、水曜日になりそうです。