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解決策

 そこに映っていた書類の見出しには太字で、


『相続放棄のための申述書』とあった。


「……なんだよ、これ?」


 武が訳がわからないという顔で問うた。


「裁判所に相続放棄を申述するための書類ですよ。武さんと小夜子さんの分を用意してあります。他にも色々と用意してあります」

「なんで、俺……」

「最初は遺産分割でいく予定でしたが、刀自の死亡が確定できない間に、相続人がバタバタいなくなってしまった現状ではこれしかないと判断しました。放棄は事前放棄できませんし、遺留分などが残っているのも問題なので」

「だから、なんで遺産を放棄しなきゃならないんだよ!」

「すべての遺産を舞衣さんだけに継がせるためですよ。長姉相続を徹底させることで、宇留部家の財産を散逸させず、ここに留める。それをすることで、ダイシ様の目的を遂げさせて、これ以上の殺人を防ぐ。―――それしかありません。いいですか、小夜子さん?」


 小夜子は能面のように無表情になる。

 弁護士の言うことが信じられないということだ。


「こんなもので、あのオバケが納得するの? 信じられないんだけど……」

「法的には怪しいと思います。私が言うのもなんですが。裁判所に持って行かれたら、無効になるかもしれません。ただ、先程、私と小夜子さんが見逃された感じからすると、ダイシ様ははっきりと『遺産を放棄した。一銭もいらない』という意思表示をあなたたちがすれば、おそらくそれを受け入れます」

「まさか?」

「そんな馬鹿なことって……」

「現実に、五十年前に静磨くんのお祖母さんである刀自の妹さんは死なずに生き残っています。当時のことは本を読んでも曖昧ですが、ダイシ様が今やっているように相続人すべてを殺していったら、宇留部家自体が存続しない。家そのものがなくなることまでを、アイツは望んでいないはずですから」

「だから、放棄しろっていうの?」

「五十年前のことは不明ですが、おそらくは似たようなことをしたはずです。ただし、今回はそれをする前に刀自自身が急逝してしまった。そのことがすべての原因なんでしょうね」


 鷹志田は続ける。

 いつも母校でしている講義のようだと錯覚しそうになった。


「本来、宇留部家においては通常ならば長姉相続が適用されて、遺産でもめることがないはずです。ただ、今回は琴乃さんと幸吉さん、菊美さんが随分と粘ってしまった。財産は子供たちで分割するという世間一般の常識があるためです。まだ、舞衣さんのお母さんがご健在ならば変わったかもしれませんが、年老いた刀自ではそれを円満に解決できない。彼女はダイシ様の存在を知っていたため、弁護士である私を呼び出してまで、なんとか無難に長姉相続をさせようとした矢先に刀自自身が急逝してしまう。すると、当主の死亡で相続が始まり、すでに法律通りならば分割がされてしまう。刀自の死によって目覚めたダイシ様はそれを阻止するために動き出した。アイツが相続人ばかりを狙ったのはそういう意味があったんですね」

「じゃあ、お母さんがうちの財産に固執したから……、お父さんも智も死んだって言うの?」

「残念ですが、そうなります。ただし、菊美さんだけでなく、琴乃さんたちのことも含まれています。最初から、長姉相続という世間での理不尽を、家独特のルールとして受け入れられていたら、こんなことにはならなかったと思います」

「……そんな」


 小夜子はまたも涙をこぼした。

 母を含めた自分たちのほんのちょっとの欲張りが家族を引き裂いた。

 その悲しみの涙だった。


「では、これからどうすればいいと、鷹志田先生は考えてらっしゃるのですか?」

「まず、この文書を印刷して、小夜子さんと武さんに署名してもらいます。財産放棄の効果は被相続人の死亡まで遡及しますから、それでおふた方の相続権はなくなる。よって、刀自の遺産はすべて舞衣さんのところにいくと言うわけです」

「そんなことでダイシ様の祟りみたいなものが収まるとは思えないのですけど……」

「祟りみたいなものですからね。だから、五分五分だとは思います。―――ただ、急ぐ必要はあると感じています」

「?」

「今日は金曜日です。土日を挟めば、何かあったと誰かがこっちの異常に気がついたとしても下手をすれば三日以上の時間がかかる。私たちはたった半日の間にとんでもなく疲労してしまいました。あと何日もここに籠城するわけにもいかない。出来る限り早く決着をつけないとジリ貧ですからね」


 舞衣は考えた。

 確かに、このまま居座っていたとしても助けが来るには時間がかかる。

 来たとしても、あのダイシ様が易々と見逃してくれるとは思えない。

 立て篭っているこの居間には食べ物も飲み物もない、トイレもないのだ。

 時間が経てば経つほど、武と小夜子の精神状態も心配になる。

 舞衣自身は実はそれほど恐慌状態というワケではない。

 さっき弁護士が論理的に説明したことを、なんとなく肌で最初から理解していたのかもしれない。

 だから、一度激しく取り乱したあとは落ち着いたものだった。


「さっき言っていたのは、書類にするためにプリンターが欲しいということですか?」

「はい。署名するなら紙にしないと。それで、ダイシ様に狙われるはずがない私と舞衣さんで、舞衣さんの部屋まで取りに行こうと思っていました」

「そうですね。プリンターは私の部屋にしかありませんから」

「―――私と一緒に行ってもらえますか?」

「……はい」


 二人はさっき出入りした窓から外に出て、そのまま一度迂回して邸内に入りなおそうと決めた。

 きっと襲われないだろうと思ってはいても、できることならばあの化け物に遭遇したくなかったからだ。

 一度閉めてしまったカーテンを開く。


「!」


 ガラス越しに居間の中を覗き込んでいる眼の飛び出た女がいた。

 ひっつめ髪のせいで剥き出しになった額をガラスにべたりと貼り付けて、じっとこちらを凝視している。

 顔の向きがやや変わる。

 カーテンを開けた二人へ視線を向けたのだろう。


「うわわああああああ!」


 思わずカーテンの束を窓ガラスに叩きつけた。

 所詮は布なので割ることはなかったが。

 二人は飛ぶように後ずさった。

 あんなところにいるとは思いもしなかった。

 あまりにも唐突で、あまりにも気味の悪い出現であった。

 遠目から様子を見ていた武たちも身震いした。

 もうダメだ、あたしたちはアイツに見張られている!

 絶対の恐怖が全員の心に楔を打ち込もうとした時、


「先生と武さん、バリケードを急いでどけてください。今なら、そこから外に出られると思います」

「なんですって?」

「そして、私が出たらすぐにバリケードを築き直して。男の人が二人は必要だと思いますから、先生はここに残ってください」

「ちょっと、舞衣さん……」

「早くして! 時間がないの! アイツがこっちに来られないうちに急いで行動して!」


 舞衣の提案を一瞬で吟味すると、鷹志田は居間の扉の前に立てかけた机やテーブル、椅子などを撤去し始めた。

 武ものろのろとだが手伝う。

 そして、すぐに人一人分ぐらいのスペースが空いたので、舞衣がその隙間から戸を抜けていった。

 行き際に、「行ってきます。印刷準備だけよろしくお願いします」と言い残して。


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