不誠実な真実
海風が容赦なく俺達を掻き乱す。
十二里蔵海のベッドから立ち上がった直後、俺は倒れた。
すぐに立ち上がれはしたが、念の為、これから病院へ行くのだ。
賽縁庵在中の先天性特殊技能(GOD DICE)判定士によって、十二里蔵海の心理読力は完全消滅が確認された。
今後、彼女は一般の特別養護老人ホームへと移されるらしい。
しかしながら、俺はそんな判定士のチェックからも漏れる身故、万が一の事態を考慮して市井の病院を受診する事となったのだ。
当然。これは俺だけの事情であって、三葉には関係のない事だ。
故に、彼女はこれからここできちっと働く訳だが、その前に一つ外の空気でも吸っておこうという事になり、俺達は緊張の糸が切れたフラフラの足取りで外に出た。
♤「うーん、やっぱりちょっと風が強いねー」
その身を現していると言うのに、何故かゴジラ人形を介して、一橋剣は暢気に言う。
横目で本人を見ると、清々しそうに目を瞑って天を仰いでいた。
視線を転じる。
目標は、一橋剣の奥にいる心理読力者、十二里心美。
恐らく、賽縁庵へと俺達を誘った元凶だ。
♢「いつからですか?」
二つの意味を込め、疑問符を付ける。
この問い掛けに、どちらが最初に反応するかで答えははっきりする。
だが、意外にも答えは別方向からやって来た。
即ち、本社組の反対側にいる、城下三葉からだ。
♧「最初からよ……少なくとも、私とアンタがあった時にはもう、社長の心は十二里さんの支配下にあったわ」
♢「……そうなんですか?って、あれ?社長は?」
確認の為に振り返ると、そこにいたのは、美しい秘書と腕の中のゴジラ人形だけだった。
陽炎か、はたまた白昼夢か、一橋剣の姿は綺麗サッパリなくなっている。
♤「ここにいるよ。そして……その通り、僕は十二里君と会って以来、自分の心理状態管理を彼女に一任している」
♢「……正気ですか?」
♤「勿論」
即答された。それも、揺らがない声で。
理解出来ない。
♢「何でですか?」
だから訊く。
その答えを、俺は用意出来ないから。
俺の顔は、きっと怪訝なものだったのだろう。
表情の変わらぬ人形の代わりに、その尻尾をグニグニと弄りながら、頬を紅潮させた心美さんが諫める様に笑った。
♡「社長は極度の人見知りなんです。内弁慶ではあるのですが、外では地蔵と言うより石ころになってしまうので」
♤「酷いなー十二里君」
何故だか急に惚気られて呆気に取られる俺に、三葉が言った。
♧「別に意外でもないわよ。そうやって傀儡を作っておく事が心理読力者の心の安定となるって唱えたんだもの、他ならぬ蔵海さんがね」
♢「……そうなのか」
♡「そうですね。一般倫理で考えればとても許されないけど、私達にはそれしかない」
伏し目がちの言葉はどんな心持ちで放たれたのか、ついさっきの事態で察せられる。
♢「何で蔵海さんはあそこまでの事をしたんですかね?」
♧「もう殆ど分かってるくせに、白々しいわねアンタも」
♢「最後が分からないんだよ。一般常識と心理読力者の常識、その板挟みで歪んだだけなら、ここまでの事はしないだろ」
その間隙が、ついぞ埋まらない。
一体何故、施設全体を丸々支配する規模にまで暴走したのか?
純粋な不理解に答えを置いたのは、心美さんだった。
♡「それを理解するには、恐らく時間が足りません。経年変化がもたらす孤独感や恐怖感、寂寥感は、きっとその時になってみないと分からないのだと思います」
時間。
絶対の破壊と隔たりを作るこの装置は、心理読力者をもってしても御し得ないらしい。
♧「……そうなんでしょうね」
諦観に沈んだ心美さんの言葉に、三葉もまた頷く。
本当に便利だな、心理読力。
さて、この話題はここまでにしておこう。
理解出来ない問題にいつまでも挑んでいられない。
確認すべき事はまだある。
♢「どこから計画してたんですか?」
♡「……いつ気付きましたか?」
♢「気付いたのはさっきですが、手掛かりは技能披露の時にありました。貴女は俺の技能を見て社長に“見付けました”と言った」
♡「……成程。察しがいいですね」
そうだ。
“見付けた”と言う言葉は、“探していた”と同義だ。
では彼女は一体何を探していたのか?
勿論、十二里蔵海への当て馬だ。
ただ、それにしては腑に落ちない点が一ヶ所だけ。
♢「何故俺がここに来る事に否定的な立場を装ったんですか?」
俺の参加に対し、一時的とは言え反対した理由が分からない。
しかも肝心要の賽縁庵の情報を隠してだ。
結果的に俺はここに来た。
だが、逃げ出した可能性だってあった訳だ。
たら、れば、に意味がない事は分かる。
それでも、俺が断っていた場合彼女はどうする積りだったのだろうか?
♡「……私達は一民間企業、即ち社会集団です。本人の同意を無しに事を進める訳にはいきません。ですが賽縁庵での、ここでの出来事をありのまま貴方に話せばどうなるか」
♢「……俺が、ビビると思ったんですか?」
♡「有体に言えばそうです。しかしながら最低限、リスクがある事だけでも貴方に知らせる必要があった。ですから、昨日はあの様な何の説明にもならない説明でお茶を濁したんです。それでも万が一貴方が断った時には、素直にきっぱりと諦める気でいました」
そこまで聞いて、やっと俺は合点がいった。
同時に、社会に出る事で生まれる足枷の存在を意識して自分の社会的未熟さを痛感した。
お蔭で俺はまんまと嵌められた訳だ。
♡「ごめんなさい。私も、こんな遣り方で貴方を巻き込むのは本望ではなかったんですが」
その言葉は、果たしてどこまで本当なのだろうか。
十二里蔵海という自慢でもありコンプレックスでもあった存在。
それを打倒し高らかに勝利宣言を叫ぶ為に、俺だったらどんな方法を取るだろうかと考えながら、話相手を変える。