じゃがいも畑のメシア
もし、帰還せずぐだぐだ過ごしていたらという軽い話になります。
そろそろお昼にしますよーと声をかけられて、曲げたままの腰を伸ばして背中をそらした。視界には青い空が広がっていて、太陽の位置は高い。額から滴る汗を拭えば、手についた土の匂いが鼻をくすぐる。目の前に広がるのは、霧が立ち込めるような森に位置する神殿ではない。なだらかな丘の向こうまで続く畝、ぽつりぽつりと建つ牛舎からは牛の鳴き声、青々とした葉を茂らせるじゃがいも。
そうである。ここはじゃがいも畑のど真ん中である。
「ハルカ様、大丈夫ですか? 水です」
「ありがとうイース。いやぁ、労働のあとの一杯はおいしいね」
金属製のコップにそそがれた水はきんきんに冷えてはいないけど、のどを潤すには十分すぎた。汗をかいたあとの水ってどうして甘く感じるのだろうと零せば、イースは特別に砂糖をひとかけらいれましたと笑った。つまりスポーツ飲料水みたいなものか。
平凡顔とは関係ないけど、こういうところで気がきくイースは優良物件だと思う。
「畑仕事なんて慣れないんじゃないかって、姉たちが心配しているんですよ」
「少しは手伝ったことがあるから大丈夫。んで、お昼ごはんだって?」
「はい、とっとと休みましょう」
もう一度ぐっと身体をのばして歩き出せば、イースも歩調を合わせてくれた。
畑を抜けると馬や牛、収穫した作物を載せた荷車が通るための農道があり、道沿いに立ち並ぶ木の陰で昼食を広げていた。大鍋いっぱいのふかしたジャガイモに、キャベツの酢漬け、そしてスープを塩っけのあるパンで食べるのだ。質素だけどなかなか気に入っている。とれたてのじゃがいもって本当においしいんだよね。
汗を拭いながら木陰に入りこめば、イースの弟くんと妹ちゃんたちが場所をあけてくれた。迷わず隣にすわって土のついた手を濡れ布巾でふく。
「ハルカ様、スープとパンだよ、じゃない、です」
「ありがとう。フェルくん」
フェルくんは十五歳で町で靴を作る職人に弟子入りしており、今はちょっとした夏期休暇で実家に帰ってきてるという。丁寧な言葉遣いが苦手で、こうやって私と話すたびに彼は言い直すことになる。別にいいんだけどなぁ、そんなことをいったらイースがダメだと首をふった。これくらいのことで甘やかすべきじゃないという意見らしい。
でもさ、思うんだけどね、イースも私に対しての言葉遣いおかしいからね! そんなこと弟の前では言ってやらないけれど。
「ポテトサラダ、とりますか?」
「あ、自分でとるよ、大丈夫だよ、ユノちゃん」
今度は一番年下で13歳という妹。彼女はこの地区にある神殿で読み書きをならい、お家の仕事を手伝っているということだった。初めて紹介されたとき、彼女の年齢を聞いてほっとしたものである。どこかあどけなさが残る表情や仕草は、私の記憶にある13歳とあまり変わらない。
シズマくんはどうしてあんなにも大人びた子になったんだろうなぁ。知りたくないけど、なんとなく想像はつくものである。絶対に本人の口から聞いてやらない。情けがわいたらどうしてくれるんだ!
「ハルカ様、ちょっと寄ってください」
「はいよ」
詰めるとイースが腰を降ろす。みんなが有難がるメシアを横にどかすってどうかと思うよ、神殿に使える者としてさ。崩れた敬語を使ってはいるけれど、尊敬の念が感じられないイースは相変わらずである。
「そえば、ハルカ様は、いつまで、いるの?」
イースの兄の娘である五歳のキャレルちゃんが、たどたどしい言葉遣いで小首をかしげた。多分、キャレルって名前だったと思う。イースのお家って農家だからか、兄弟や姪や甥が多いんだよね! 二、三日じゃ覚えられんわ。むりむり。
「明後日に帰るよ」
「あさって、は、あしたのつぎの日?」
「そうだよ、よくわかるね」
キャレルちゃんはちょっとだけ考えてから納得したのか、スープにスプーンをつっこんだ。
今日でこのじゃがいも畑が広がる素晴らしい田舎にやってきて四日目になる。事の発端は簡単、私があまりにもメシアとして役立たずのため、簡単なお仕事を振り分けられたのである。ちょうど神殿の外に出たいと思っていたので、これ幸いとばかりにじゃがいも畑までやってきた。ユメちゃんが心配したけど、軽く受け流してこの機会に羽をのばしてしまおうと決めた。それに付き合うことになったのは、私が指名した修道士のイースというわけだ。すまん、許せ。イース以外に安全な修道士に心当たりがない。こんな田舎にイシュメルさんを連れてきてフラグがたったらどうするんだ。逃げ場がないじゃないの!
というわけで、彼には少し申し訳ないなーと思っている。それもこれも、どういうわけか死亡フラグがまったく立たないせいにしておこう。どんなにぶりっこをしても、しなを作って寄っても、攻略人物たちは「あーはいはい」と流してしまうし、ユメちゃんとのイベントを邪魔しても「あーはいはい」とかわされるのである。この由々しき事態に焦りに焦った私は、やけくそになってユメちゃんを独り占めしてみた。そしたら、ユメちゃんは頬を緩ませて、ハルカさんが心配することなんて何もないんですからね! と手を握ってきたのだ。
これはいけない。
何がいけないのかはわからないけど、危険な香りがする。そういうわけでにっちもさっちも行かなくなったので、ちょうど舞い込んだ農村での依頼を引き受けた。よく聞けばイースの田舎だというんだから、彼も実家に帰れて万々歳だろう。
けどさ、思った以上に畑だらけでじゃがいもだったんだけど。神殿にいても講義を受けてお祈りして、たまにユメちゃんと澱みを払いにいくくらいだからちょうどいいっていえばいいか。うん、
ちなみに澱みを払うのはイージーでした。
そして、現在は畑を耕すという健全な肉体労働に励んでいる。のんびりしたお昼ごはんのあと、またくわをふるって、そして夕方になればみんなで泥まみれになって帰る。娯楽が少ないのがいけないけど、神殿にいるときより規則正しい生活を送れているんじゃなかろうか。
「あの、ハルカ様って何歳なんですか?」
「二十歳くらいかな……いや、まだ十九歳でいたい……」
「え! はたちって、いきおく」
パシンとイースがユノちゃんの口を押さえ、先に行かせた。行き遅れってばっちり予測できたわ、別にいらないよ! そんな気の遣い方されるといたたまれないうえに腹立たしい。
「すみません、ハルカ様」
「気にしてないよ。あーあー、いつになったら帰れるんだろう。早くしないと私の賞味期限が切れる。元彼? 声が思い出せないし、顔もぼやけてきているっての。再会してもわからないかもしれない。これじゃあ殴れない!」
「まだ先じゃないですか?」
イースの言うとおりなんだろうなぁ。ユメちゃんが突然すごい力に目覚めて、一気に世界を浄化する、なんてことはないんだろうか。それか、居眠りをしているミスティアーシャがユメちゃんの可愛さに起きるとか。このままいくとユメちゃんは誰かと結ばれるのかもしれない、そして帰れないと。そうなったら私は帰れるのだろうか。謎である。
「そういえば、イースも結婚適齢期だよね?」
「結婚してる友達は多いですね」
「だよね。そうだ、私さ、このまま帰れなかったらイースの田舎で世話になるわ」
「はぁああああ!?」
隣で大声を出したイースはとんでもないものを見たように、私から距離をとった。その顔は、いまから災害でも起こるかのように歪んでいる。ただでさえ平凡顔なのに、今は見れたもんじゃないぞ、その表情。
「絶対に、いやですよ!! なにいってんですかあんた!」
「ほら、私ってばがんばれば光るじゃん? ちょっとくらいなら夜の食卓を照らしてもいいよ。ろうそく代の節約になるし」
「光ってる人間のそばで落ち着いて食事できませんよ! 蛾が寄ってきますよ!」
「じゃあ、ろうそくつけるしかないじゃないの」
「そっちのほうがマシですよ……って、絶対にお世話しませんから!」
どうやら話の論点をすり替えることには失敗したらしい。
「いやいや、冷静になってみてよ。別に結婚するんじゃないし」
「……は?」
「だから、お手伝いするから衣食住を頼もうかと。メシア様が用済みになったら、私ってば何もできない行き遅れだからね、そう、行き遅れ。神殿に居候できるかもわかんないから、今のうちに伝手をね」
そういったらイースは深いため息をついて、顔を片手でおおってしまった。みるみるうちに肩がさがり、どうやら脱力しているようだ。こちらの言い方が悪かったかな。確かに今の言い方じゃ結婚を迫る女に見える。けれど、神殿が大切にする救世主様の申し出って断りづらいんじゃないかなー、権力を笠に着て婚姻を迫るなんて真似はしないのに。それに結婚したいわけじゃない。
「……ハルカ様、マジこのやろう……!」
うなだれながら低い声で名前を呼ばれたので、彼の意外に広い肩をたたいてやる。
「ま、がんばろー、夕飯はマッシュポテトかな!」
「ハルカ様……いつか振り回されたお礼をして差し上げます」
「え? 振り回すたびにちゃんと祝福してやってんじゃん」
「それで……すべてがチャラになるわけ……ないじゃないですか! ふざけんなよハルカ様!」
それから、思いつきで祝福するんじゃないと口酸っぱくいわれた。特に思春期まっさかりのフェルくんに、いい夢をみますようにと祝福するのを禁じられた。まぁ、なんとなく理由はわかるけど、この祝福は一部の修道士や修道女には人気ですよ。小遣い稼ぎにはちょうどいいんじゃないかって思い始めています。シズマくんには内緒だけどね!
「……そんなにじゃがいも畑が好きなんですか」
「なんとなく、故郷に似てるかなー」
笑えばイースは何かに気づいたように、はっと息をのんで、そして何もいわずに目をそらした。同じく目をそらして、なだらかな丘の向こうに沈んでしまう太陽を見詰める。田舎だと文句をたれていたけど、実は嫌いな場所じゃない。ここは日本での記憶の場所に似ているからだ。
「帰りますよ、ハルカ様」
「はいはい」
無防備な手を掴まれて、大人しくイースの横を歩く。初めてイースと手をつないだけど、そこに男女の色気はない。どちらかというと、兄と妹である。またどきどきするというよりは、堆肥である牛フンをつかんだ手だったので、ある種の申し訳なさでいっぱいである。
でも、ちょっと想像したんだけど、ここでじゃがいもを育てるのも悪くないよね。