第3幕3部 恋
「トールマン、相変わらず元気そうだね」
「おぉ!あったりめぇだろ?元気過ぎて困っちまうくらいだ!」
トールマンはその表情に満面の笑を浮かべてキャロルを抱きしめてくる。
キャロルも柔らかくトールマンを抱きしめ、トールマンが自分の頬に浅く口づけをしてくるのに身を任せた。
「相変わらずいい女だなキャロルゥ!今日はどうしたんだおい!?俺のとこに嫁ぎに来る決心がついたのか!?」
そういうトールマンに、キャロルは笑顔のまま首を横に振った。
「そんなんじゃないよ、たまたま戻ってきたからさ、挨拶しておこうかと思ってね」
そうキャロルが告げると、トールマンは暫く笑顔のまま無言でキャロルを見つめたあと、その口元をキャロルの耳に近づけた。
トールマンの熱い息が耳にかかるのを感じて、キャロルは僅かに身をよじった。
「たまたま、戻ってきただって?」
トールマンが、キャロルの耳元で、小声で囁く。
「そうだよ」
キャロルが応える。
「聖騎士団に追われながら?ドラゴンに乗って?」
そうトールマンが言うと、キャロルは苦笑した。
「相変わらず耳が早いね。誰に聞いたんだい?」
キャロルがそう尋ねると、トールマンは顔を離し、二マーっと笑ってキャロルを正面から見つめ、「秘密だ」と言う。
トールマンは先程まで座っていた椅子に再び腰掛け、自分の横の椅子を引いてキャロルに手招きをした。
「座れよ。それとも場所かえるか?」
キャロルはそれに首を振るとトールマンにならって椅子に腰を下ろす。
「ここでいいよ。何か飲むかい?奢るよ」
「気前が良いな。じゃぁお前と同じものを頼むよ」
トールマンがそう言うのを受けてキャロルは店主を呼ぶ鈴を鳴らす。
愛想笑いを浮かべる主人が顔を出すと、キャロルは銅貨をカウンターに置きながらグリッツ特産の地酒を瓶ごと出すように頼んだ。
一回厨房へと姿を消した主人は、暫くして地酒の瓶とグラスを二つもって出てくる。
それを受け取ったキャロルはトールマンにグラスを渡し、そこに並々と地酒を注いでやった。
「何はともあれ、お互い半年無事に生き延びたことに乾杯だな」
そういってトールマンが笑う。
キャロルも微笑み返し、トールマンにグラスをかかげた。
グラスを合わせると、トールマンは一気にグラスを煽る。
一方のキャロルは静かにグラスに口をつけた。
豪快に一杯飲み干したトールマンにキャロルは酒を注ぎなおす。
それを受けながらトールマンはキャロルを見つめた。
自分よりも一回り近く歳を重ねているはずのキャロルではあったが、外見からは年ほどの老いは感じない。
むしろ歳を重ねることによって、ここ数年のキャロルは一種妖艶とも言えるような雰囲気を醸し出すようになっていた。
トールマンはたびたびキャロルに向かって冗談めかしながら結婚を迫ってはいたが、キャロルが一度としてそれをまともに取り合ってくれたことはない。
そろそろ、真面目に申し込むべきなのだろうか。
15までに、余程早ければ10までに嫁いでしまうこの国においてキャロルは既に婚期を逃したというレベルではなく、孫が居てもおかしくはなかったが、キャロルに惚れ込むトールマンにとっては特に関係の無い話だった。
キャロルが鬱陶しそうに髪をかきあげる仕草にトールマンは思わず息を飲む。
キャロルの手の動きに合わせて僅かに鼻腔をついた甘い香りに、酒によるものとは違った酔いが回るのを感じた。
「キャロル」
そうトールマンが声をかけると、キャロルが横目でトールマンを見つめてくる。
微笑みを湛えて自分を見つめるキャロルを思わず抱きしめたくなる衝動を感じつつ、トールマンはそれを押さえてキャロルに訊ねた。
「俺に頼みたいことがあるのか?」
久々の再会だ、しかし、用もなしにキャロルが自分を訪ねてくることなど今まで一度として無かった。
トールマンの方から誘って飲みに行ったことは何度もあるが、キャロルからそれをしてくれたことはない。
何か、用があっての訪問だとしか思えなかった。
トールマンがキャロルに出会ったのは、トールマンがまだ15の頃だ。
駆け出しの放浪者としてようやくいくつかの仕事をこなし、初めて請け負った隊商の護衛についた時のバディーがキャロルだった。
その頃からキャロルは腕が立つと評判で、トールマンも何度もその名前を聞いたことがあった。短槍を舞うように操り、大男ですら宙に浮かべるほどの体術を用いる女放浪者として商人たちから引っ張りだこだったキャロルとバディを組めることに興奮し、様々と話しかけたトールマンだったが、キャロルはどこ吹く風で微笑むばかりで全く相手にしてくれなかった。
キャロルの護衛する隊商が無事に旅程を終えられる確率は他の放浪者の護衛と比べると異常なほどに高い。
遭遇した危険を排除する確率はもちろんであったが、何よりも危険を回避する能力がずば抜けているのだ。
様々な動植物の生態に通じ、天候を読む術に長け、その異変をいち早く察知して隊商の旅をコントロールするキャロルは、まさにお手本のような護衛をトールマンに見せた。
その時の商隊もキャロルの指示通りに行動していれば、無事に旅を終えられるはずであった。
しかし、夜中にオルーの群れに囲まれ、キャロルとトールマンが必死になって火をともしている最中に事が起こった。
オルーの遠吠えに怯えて逃げ出した馬を追って、商人の一人が森の中に迷い込んだのだ。
トールマンはその報せに憤慨したが、キャロルの行動は素早かった。
隊商の人間全てに松明を持たせ、商人と馬が残した痕跡を全員で追跡し始めた。
殆ど全力疾走に近い速度でもって進行するキャロルの追跡にトールマンは目を見張った。
あまりにも早い。
キャロルが迷いなく進んでいるからこそ、かろうじてトールマンにもその痕跡が目にとまったが、そうでなければ、とてもではないがここまでの速度で痕跡を追うこと等できなかった。
やがて聞こえてきた商人の叫び声も、トールマンが知覚するよりも数段早くキャロルが聞き取り、松明を掲げながら一層スピードをあげるキャロルによって気づかされた。
数匹のオルーに囲まれていた商人のもとへ飛び込んでいくキャロルの動作は本当に舞うように美しかった。
思えばその時から、トールマンはキャロルに魅せられていたのかもしれない。
そこから始まったキャロルとの交流が年を重ねるたびに、トールマンはキャロルへの思いを募らせていった。
「どうして?」
トールマンの気持ちを知ってか知らずか、キャロルは微笑みを湛えたまま首をかしげる。
からかわれていると感じながらも、トールマンにとってはそれすら心地よく感じた。
「キャロルが俺のことを訪ねてくれるなんて、俺と結ばれる覚悟がついたか俺を捨て駒にしてでも利用して解決したい用件ができたかのどっちかしかないだろ?」
真面目な顔をしてそういうと、キャロルは可笑しそうに喉の奥を鳴らして笑った。
「もうそろそろ、その冗談も聞けなくなりそうだね」
トールマンは真面目な顔を崩さずにキャロルをみつめる。
「冗談じゃないけどな」
キャロルは笑い声こそ止めたものの、その微笑みを引っ込めることはなかった。
「嬉しいよ」
キャロルの瞳が、潤んで揺れる。
「あんただけだ、いつまでも、そんなこと言ってくれるのは」
トールマンは今までと打って変わって言葉を発さずにキャロルを見つめた。
キャロルはやがて、その頬をほんの僅かに赤く染めたように見えた瞬間、逃げるようにして目線を切ってグラスの酒に口をつけた。
トールマンの目には、その姿がこの世の何よりも愛おしく見えた。
「あんたの言う通りだ。頼みたいことがあって、来たんだ」
また、逃げられる。
そう思ったものの、トールマンはそれ以上キャロルに突っかかることはしない。
どちらの臆病が原因なのか。
まるで少年と少女のように青臭い二人の姿は、傍目に見ればはがゆい以外の何物でもなかった。
「・・・青いドラゴンの絡みか?」
トールマンがそう言うと、キャロルは驚いたのか酒を飲んでいたのを止めて静止する。
「それとも、10日程度前に城に運び込まれた女の子の絡みか?」
いよいよ、キャロルがその瞳を大きくする。
「天使だって、馬鹿げた話が出回ってる」
キャロルが驚きに目を見開いたまま、目線を再びトールマンに戻す。
「キャロル、何があったか教えてくれ。俺でよければ、力になるぞ」
トールマンの目には最初の頃のおどけた雰囲気は一切なく、真剣な光を湛え、強い眼光でキャロルのことを見つめていた。
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キャロルとトールマンは酒場で食事を済ませ、その場所を安宿の一室へと移していた。
トールマンはキャロルが話す間一切口を挟まず、真剣な表情でキャロルの話しを聞いていた。
「それで、そのドラゴンが私の後をおってきちまうようになってね。何度か、連れていけないって話したんだけど聞かないんだ。だから、仕方なく、じゃぁ協力してくれないかって言ったらすぐに身を伏せて乗るように促してきて・・・。不思議なドラゴンだ。まさか本当に乗せてくれるなんて思いもしなかった。ヴェーゲなのか、コーラルなのか、二つの木札を首に下げていてね。でも、どちらの名前で呼んでもあまり反応はしないんだ。シオンの花の名前を私が口にしたときが一番反応するもんだから、そのままシオンって呼ぶことにした。後は、あんたが知っているとおりさ。シオンに乗って、帝都のすぐそばまで来たら簡単に発見されて、聖騎士団に一度追い払われた。私の正体がばれているかどうかは分からないけどね。シオンを帝都のすぐそばの森に待たせて、あんたに会いに来た。咄嗟に、私の事を信じて協力してくれるやつなんてそうそう思いつかなくて、迷惑をかけるとは思ったんだけどさ」
そこまで一気に話して、キャロルはようやく話すことをやめた。
脇のテーブルにおいていたグラスに注がれていた水を飲み、しゃべり疲れたのか小さくため息をついた。
「信じられないだろ?こんな話」
キャロルがそう言うと間髪を入れずにトールマンが口を開いた。
「信じるさ」
キャロルは押し黙ったまま俯く。
「安心しろよ。言ったろ。俺にできることがあるなら、力を貸す」
トールマンがはっきりとした口調でそう言い切る。
キャロルは、トールマンの方を向けない。
「俺がキャロルの事で信じられないのはさ、未だにお前が俺と結ばれてくれない事くらいだよ」
僅かに、トールマンが苦笑する気配が伝わってくる。
キャロルもそれに合わせて笑おうとするが、上手く笑えているかどうか自信がない。
「だから、心配しないでいいぞ、キャロル」
天使を取り返すために
「信じてるさ」
一人では不安だから
「キャロル」
トールマンを巻き込みたい。
「手伝わせてくれ」
自分を愛してくれると、臆面もなく言い切る若者に、そばにいて欲しい。
誰も信じられないような放浪者生活の中で、無条件に、ただ一人、信じることができる若者に。
今すぐにでも、自分とは釣り合わない若さをその身に宿すトールマンに抱きしめられ、全てを委ねてしまいたい。
必死に気持ちを抑えて、余計に会わないように努めてきた。
ずるずると、トールマンが心変わりすることが恐ろしいくせに、いたずらにのらりくらりとその愛情をかわし続けてきた。
他に、釣り合う若さの子がいるだろうと、何度も心にもないことを口にして逃げた。
そのくせ、久しぶりに会うたびに胸が踊った。
久しぶりだなとトールマンが変わらぬ笑顔で迎えてくれるたびに、体が熱くなるのを感じた。
いつも抱きしめて頬に口づけをされるたびに、それ以上は何も求めずに体を離されるたびに、胸が締め付けられるような感覚に陥った。
離れていても、聞こえてくるトールマンの噂に聞き耳を立てた。
年を重ねるごとに逞しく成長していくトールマンに、生娘のような感情が胸に湧き上がる。
恥も何もなかった。
死ねと言っているのだ。
私のために、死ねと。
私が好きなら、死ね。
好きだというのが嘘ではないなら、私の頼みを断るな。
死ね。
たった二人と、ドラゴン一匹で聖騎士団に挑み。
歴史上初めて降臨した天使を掻っ攫い、逃げ延びる。
生き延びる意思はある。
勝算はない。
それでも私は、自分のトラウマに打ち勝ってあの天使を救い出し、
自分が満足して死にたいから。
逃げて後悔して生きていくのは嫌で、せめて信条に従って戦い、誇り高く死んでいきたいから。
でも、一人では怖いから。
一緒に死ね。
私のために。
私が好きなら。
愛してるというのなら。
嘘ではないなら。
一緒に死ね。
この私が、こんなに自信の持てないことに挑むなんて初めてだから。
こんなに動揺して、つまらないミスを繰り返す自分が初めてで自信を失いかけたから。
一人ではできないかもしれないと、一瞬でも思ってしまったから。
あの時のトラウマが、強烈に蘇るから。
挑む前から、心が折れかけたから。
支えになるのがお前以外には考えられなくて、お前以外にはいなくて。
だから
死ね。
私を信じて、支えてくれ。
死ぬ間際まで。
死んでもなお。
私の事を、信じていてくれ。
死ぬ間際まで。
死んでもなお。
私の事を恨まずに、愛していてくれ。
「信じてるさ」
私のために、死ね。
「愛してる女のためだしな」
私のために
「これが終わったら、結婚してくれるんだろ?」
死ね。
「だから、キャロル」
し
「泣くなよ」
―――。
「大丈夫だ。必ず守る」
――――――。
「だから」
―――――――――。
「泣くなよ」
――――――――――――。
「キャロル」
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「笑えよ」
――――――――――――――――――笑えよ、キャロル。