第2幕1部 真名を―――アラン・クエィク―――
観察記録をつけることにする。
1日目
相も変わらず、目の前のドラゴンは私を近づけようとしない。
このドラゴンを見つけてから既に二日が過ぎている。鱗はボロボロで、いたる所に矢傷が覗える。早く手当をしなければ治るものも治らなくなってしまうだろう。
最初は世にも珍しいまだら模様なのかと思った赤黒く変色したウロコの剥がれ落ちた傷跡は、このドラゴンが九死に一生得てここに居座っている事を思わせる。
一体、このドラゴンはどういった経験をして今ここに存在しているのだろう。
私はこの動こうとしないドラゴンを手当するチャンスを伺うために、今、ドラゴンの目前に野営している。果たしてこのドラゴンがどの程度の力を秘めているのかは分からないが、万全の状態であればこの野営地をあと方もなく吹き飛ばすことなど難しいことではないだろう。
しかし、それもできないほどに衰弱をしているのか、はたまた私に興味を持っているのか、事実はわからないものの、今も私はこの野営地に張ったテントの中で呑気に観察記録などをつけることが出来ている。
そのことが彼への興味を一層強くさせた。
急ぐ旅路でもない。
今はゆっくりと、ドラゴンが私に心を開いてくれるのを待つことにする。
アラン・クエィク
2日目
今日は水を汲みに行くのはやめにした。朝からひどい雨が降っている。
今テントの外に桶をおいてきたので、しばらくすれば今日一日の乾きを潤す程度の水は確保できるだろう。
火を焚く事ができないので食事はズビの実だけになってしまったが、我慢することにした。
あのドラゴンは腹が減らないのだろうか?
残念なことに今は手元に弓がないので簡単に動物を仕留めることなどできない。
もしも狩りをすることができれば、そのドラゴンに餌付けをすることで警戒心を取り払うこともできたかもしれない。
外を窺ってみると、ドラゴンが僅かに首をもたげて私の事を見てくる。初めに出会った時に比べて穏やかな目をしているように思えるのは私の気のせいだろうか?
試しにズビの実を目の前に投げてみたが、一瞥しただけで食べようとはしない。
雨が上がったら、罠を仕掛けに行くことにする。
雑食のはずだが、肉の方が喜ぶかもしれない。
アラン・クエィク
3日目
相変わらずドラゴンは動かない。糞をしていないところをみると相当前から何も口にしていないのではないだろうか。
昨日できた水溜りに首を伸ばしていたので渇きに関してはもつかもしれないが、あれでは回復しにくいだろう。
さっき昨日の夜にしかけた罠を見に行ったが何もかかっていなかった。ドラゴンのそばなので肉食動物は逃げ出しているだろうし、草食動物が寄ってくるかと思ったが上手くいかなかったようだ。
新しく2つ、別の場所に罠をはっておいた。後で見に行くことにしよう。
このドラゴンが回復し、そのウロコが元に戻ればさぞ美しいだろう。
私が見てきたドラゴンはそのどれもが、どこか体色にくすみがかっているものばかりだった。だが、このドラゴンはどうだ。泥に汚れているものの、その鱗は真っ青だ。海よりも、空よりも深い青色だ。
こんなに鮮やかな色の個体は見たことがない。万全の状態であればさぞ美しく空に映えることだろう。
山に来てよかった。こんな出会いが待っているなんて想像だにしなかった。
予定よりも戻るのが遅くなるだろうが、今私の心の中は喜びに満ちている。
早くドラゴンと心を通わせたい。
ドノヴァンのやつ、きっと驚くことだろう。
アラン・クエィク
4日目
食べた!食べたぞ!
今日罠を見に行ったらジラが2匹取れていた。
急いで戻って一匹をドラゴンの目の前に放り投げたら、最初こそ警戒して口をつけなかったものの、私がかなり離れたところ、おそるおそる匂いを嗅いで、ゆっくりと口をつけた。
やった!
希望が見えてきた。どうだ、ドノヴァンめ。
何がお前にはドラゴンがなつくことなんて無いだ。
だから言ったんだ、ドラゴンと心を通わせるのに必要なのは状況と時間だ。
かしこい彼らのことだ、こちらの心の動きまで察してくるのだから真摯に向き合えば彼らは理解してくれる。
私は今、心からあのドラゴンと心を通わせたいと思っているんだ。
それが伝わらないはずがない。
今から罠を増やしに行くことにする。
あのドラゴンの為にも、私のためにも、もっと頑張らなくては!
アラン・クエィク
5日目
今日はなんとヌーヴァーをとることができた。
驚きだ!
まさかこんな大物を仕留めることができるなんて思いもしなかった。
落とし穴の傍でウロウロとしていたのは母親だろうか。
すまないとは思ったが、追い払った。
子供だろうがなんだろうがヌーヴァーはヌーヴァーだ。
ジラなどとは比べ物にならないほど、あのドラゴンの腹を満たすことができただろう。
ジラのように放り投げることができなかったので、仕方なくヌーヴァーを引きずりながらドラゴンに近づいていった。
威嚇の一つでもされるかと思ったが、こっちの気持ちが伝わったのだろう、丸くなって静かにしていたドラゴンは僅かに首を持ち上げてじっとこちらを見つめるばかりで大人しいものだった。
手を触れられるほど近寄った時にはさすがに緊張したが、ドラゴンは私に何もしなかった。
しばらく間近で惚れ惚れと見つめていたら僅かに身をよじったので、私がそれに驚いて離れてしまった。
まずいことをしただろうか。
別に今更私を襲う気などないとはわかっているつもりなのだが。
傷つけてしまったかもしれない。
謝りたい気持ちでいっぱいだ。
今こっそり見たら、ドラゴンはまだヌーヴァーを食べている。
こんなに嬉しいことはない!
きっと見る見る内に回復していくだろう。
あのドラゴンが飛ぶ姿を早く見たい。
そして、できることならば、その背に乗せてもらえたら最高だ!
あぁ、なんて美しいドラゴンなのだろう。
私は今、世界で一番の幸せ者だ!
アラン・クエィク
6日目
ドラゴンが今までで一番大きな動きを見せた。
立ったのだ。
私がじっとドラゴンを観察していたら、急に動いたかと思うとゆっくりと前足を地面について、体を重たそうにしながら立ち上がった。
私は思わず喝采をあげていた。
まだ本調子では無いようで、どこかフラフラとした動きだったが、なんにせよ回復してきていることは間違いない。
すぐに再び座り込んでしまったドラゴンは、今はまた先程までと同じようにして丸くなって眠っているようだ。
ドラゴンの食事の方は順調だ。日に日に増やしていく罠のお陰で今日もヌーヴァーを捕まえることができた。やはりこのドラゴンのお陰で肉食動物は周囲にいないようだ。ありがたいことこの上ない。
水の方もぬかりはない。
ひとつだけしかないが、桶をあのドラゴンのそばに置いてきている。
私が見ていない時に飲んでいるようで、気がつくと桶が空になっている。
今日だけでもう3回も私は水汲みのおつかいだ。
遠い湧水への往復は骨が折れるが、嫌な気持ちは全くしない。
私の一歩一歩があのドラゴンを蘇らせていくのだ。
自然と足取りも軽くなる。
明日はドラゴンに触れてみようと思う。
もしかしたら驚いて殺されることになるかもしれないが、もう我慢の限界だ。
あのドラゴンに殺されるなら、それもまた良いだろう。
楽しみで仕方がない。
アラン・クエィク
7日目
今日は捕らえた戦利品のグングをドラゴンのそばまで引きずっていき、その目の前に置いた。
昨日までは私が離れるまでは口を付けなかったドラゴンだったが、今日は私が少し離れるだけですぐに食べ始めたのでそばに座り込んで食事の光景を眺めることにした。
精はつくもののグングの肉は臭いので、私なんかは香草で蒸し焼きにしないと食べられない。
ドラゴンも食べないかと思ったが一安心だ。
時折こちらを見て気にしているようだったが、恥ずかしがりやなのだろうか。
私が視線を外して明後日な方向を向くとまた食べ始める。
しかし眺め始めるとまたこちらをじっと見返してくる。
その繰り返しだった。
試しに話しかけてみたが特に反応はなく、こちらを見つめ続けてくる。
視線を外すとまた食べ始めたので、仕方なく焦点をはずしながら横目で眺めることにした。
美しいもんだ。
私が惚れ込んでいるのもあるからかもしれないが、食事の所作一つにしても気品を感じる。
色眼鏡だろうか?
これほどまで早く私を接近させてくれたことからも考えられるが、もしかしたらこのドラゴンは人に飼われていたのかもしれない。
なにせこの美しさだ、私同様にこのドラゴンとお近づきになりたいと思う輩が過去にいてもおかしくはない。
このドラゴンならダラスの龍騎士団の中でも圧倒的に目立つだろう。
そばに立っているだけで自慢になるってものだ。
ところで、今日は触れるのはやめることにした。
怖かったからではない。
きっかけがなかっただけだ。
アラン・クエィク
8日目
やった!
ドラゴンが触れさせてくれた!!
なんという喜びだろう!!!
あのドラゴンの鱗はスベスベとしていてなんとも手触りがよかった。
まだ若いドラゴンなのだろう。
傷さえなければ、きっとこの世で一番美しいドラゴンなのは間違いない。
今日は獲物を手に入れることができなかったので、ドラゴンの傍に行って話しかけてみたのだ。
私が近づくと首をもたげて見つめてくるので、今日はなにも手に入れる事ができなかったんだ、と詫びた。
驚いたことに、それを聞いたドラゴンは頭を地面近くまで伏せ、一度それを持ち上げてもう一度伏せたのだ。
ダラスの龍騎士が仕込む、感謝の気持ちを現す動作だ。
驚いた。
このドラゴン、まさかダラスの龍騎士団から逃げ出してきたのか?
きっと掛かったであろう追っ手から逃げて?
なんということだ。
よくぞ逃げ切ったもんだ。
恐らく、本調子であれば目を剥くほどの速さで飛ぶに違いない。
しかし、それにしても賢いドラゴンだ。
これほどまで早く私に敵意がないことを理解するばかりか、人の言葉までほぼ理解しているような反応を返してきた。
しかも礼儀正しいと来たもんだ。
今の私とドラゴンの状況を正しく理解しているに違いない。
私がしばらく傍で座って眺めたあと、触れても良いだろうかと許しを請うと、じっと見つめ返してきたあとに丸めていたしっぽをこちらまで伸ばしてきたのだ。
本当に賢い。
驚くことしかできなかった。
恐る恐る尻尾に手をのばしたが、触れてもドラゴンは微動だにしなかった。
あぁ、なんと書いて喜びを表現すればいいのだろう。
私が知っている言葉では表しきれない。
生きていてよかった。
私はこの時のために生まれてきたのだ。
学者として名声を得るためなどではない。
このドラゴンの危機に力を添えて、再び空を飛ばせるために生まれてきたのだ。
アラン・クエィク
9日目
今日はジラを三匹も捕まえることができた。
早速ドラゴンの傍に寄っていって目の前に放り投げようとしたとき、私には考えが浮かんだ。
手渡しで食べてはくれないだろうかということだ。
そう思いついた私はいてもたってもいられなくなり、ジラの内の一匹の、真っ白な尻尾を掴んでドラゴンが首を動かせば届く距離で待ってみた。
はじめはじっとこちらを見ていたドラゴンだったが、私の意図に気づいたのだろう。
僅かに警戒するようにしながらも、恐る恐るといった様子で首を伸ばし、私の手から直接獲物をとったのだ。
毎日が喜びと驚きに満ちている。
こんなに充実した日々を経験した事は生まれてこのかた一度もない。
喜びにまかせて罠を沢山しかけて疲れてしまったので、今日の観察記録はこの辺にしておくことにする。
アラン・クエィク
追記:寝ようとしていてふと思いついた。そういえばこのドラゴン、名前はあるのだろうか?人に飼われていたならば名前があるはずだ。今の私には知る由もないが。
とりあえず、思いついたのはヴェーゲという名前だ。
ヴェルゲールが落とした涙からは人が生まれたが、そのうちの残りが海になったと言われている。神話に出てくるその海の名前が、ヴェーゲだ。
どうだ、いい名前だろう。きっと、この世界の現実の海よりもずっと、青い青い蒼然たる海だったに違いない。このドラゴンにぴったりだ。
10日目
今日は思い切ってヴェーゲの体に触れてみた。どうやら許してくれたようで、ヴェーゲが大きな動きを見せることはなかった。
感激だ!
それにしてもなんと美しい鱗だろう。
私の知っているドラゴンの鱗はまるで鉄のような感触だったが、このヴェーゲに関して言えばまるで磁器のようだ。
スベスベとした手触りが肌に心地よい。
その深い蒼色と合わせて、一枚一枚がどんな宝石よりも美しく目に映る。
私が体に触れたあとにしばらく近くに座って色々と話しかけていたら、突然ヴェーゲが立ち上がった。
まるで自分の体の様子を確認でもするかのようにこうして動くのは時折遠くから目にはしていたが、こんなに近くでそれを見るのは初めてだったので、思わず見蕩れてしまった。
私は泣いた。
こんなことは初めてだ。
その姿は雄大で、余りに超常の存在のように感じられ、私は涙が流れ出るのを止めることができなかった。
回復してきているようで本当に嬉しい。
2週間近くも粘った甲斐があったというものだ。
復調までもう少しのはずだ。
頑張らなければ。
しかし、それにしても今日は一つ、驚くべきことが判明した。
ヴェーゲは雌だ。
完全に雄だとばかり思っていたので唖然としてしまった。
立ち上がった際に見ていて気がついた、生殖器が雌のものなのだ。
ダラスのドラゴンではないのか?
では何故ダラスの龍騎士が教える作法をしっているのだ?
雌のドラゴンがダラスの龍騎士団に迎えられるはずがない。
ヴェーゲと心を通わせていくのに反比例するように、ヴェーゲの謎は深まるばかりだ。興味が尽きない。
アラン・クエィク
12日目
昨日は興奮して観察記録をつけるどころではなかった。
飛んだのだ!ヴェーゲが!!
なんという美しさ、なんという雄大さ、なんという神々しさだろう。
この世に天使というものがいるのならば、きっとヴェーゲのことを言うに違いない。
まるで自分の調子を確かめるように僅かな時間しか浮かび上がらなかったドラゴンであったが、その勇姿たるや並のドラゴンとは比較にもならない。
地上から離れ、空に浮かび上がる音はほとんど感じられず、それを見た私に一瞬にして私とは違う世界の住人なのだと感じさせるには十分な姿だった。
駄目だ、今日も書けない。
喜びを表現しようとするとペンが止まってしまうのだ。
それほどまでに私は今感動しているのだ。
一晩寝れば冷静になって記録をつけられるかと思ったが、どうやら未だに私は興奮しているらしい。
あぁ、何に感謝すればいいのだ。
神か?ヴェーゲか?私を産んでくれた父母か?
心の中が感謝の気持ちでいっぱいだ。
ヴェーゲが生まれてきてくれてよかった。
そして、今生きていてくれてよかった。
アラン・クエィク
13日目
今日は驚くべきことが―――――――――
あぁ
だめだ、手が震えて書けない。
アラン・クエィク
14日目
昨日、ヴェーゲが私を背に乗せてくれたのだ。
涙が止まらなかった。
こんなに嬉しいことが、こんなに素晴らしいことがこの世にあるのか。
あぁ、神よ。
感謝します。
お礼に、板を削って名前を彫り、ネックレスのように首から下げてあげた。
ヴェーゲは、気に入ってくれるだろうか。
アラン・クエィク
15日目
13日目にあったことを、ちゃんと記録しておかなければ。
その日は朝から素晴らしい天気だった。
初めてヴェーゲが私にダラスの龍の作法を披露してからというもの、ヴェーゲは食事を届けるたびに私に感謝の気持ちを表してくれるようになった。
その日の翌日から私は野営地をヴェーゲのすぐ脇に移していた。
ヴェーゲは嫌がる素振りも見せず、雨を避けるために私が張った布の下で大人しくしていてくれた。
私のさびれたテントの横で、これまた汚れた布の下に世にも美しいドラゴンが鎮座しているさまはなんだかチグハグであったが、この際だ、仕方がないだろう。
そして、問題の13日目のことだ。
私が13日目に起きてテントから顔をだすと、その日はヴェーゲがいつもと違う反応を見せた。
なんと、私の姿を視界に収めたヴェーゲは喉を鳴らしたのだ。
威嚇ではない。
私のような矮小な存在に対して彼らドラゴンが威嚇などするはずもない。
親しげに、まるで家族が朝のあいさつを交わすように、私に、喉を鳴らしたのだ!!
私は呆然としてしまった。
まさか、本当に、ドラゴンと心を通わせることができるなんて!
しかもさらに驚いた事に、しばし呆然と立ちすくむ私を見て、何事かと心配したのか首を伸ばして鼻先で私の胸をつついてきたのだ!!
あぁ!!
今思い出しても喜びに体が震える!!
この世の何よりもヴェーゲは美しい。
そのヴェーゲが、私を心配してくれているのだ!!
こんな喜びは他には無い!
絶対にない!!
あぁ神よ!ありがとうございます!
脱線してしまった。
話を戻そう。
私は喜びに体が崩れ落ちそうになるのを必死にこらえ、ヴェーゲの頭をなでてやった。
するとヴェーゲは再び喉を鳴らし、目を細めたのだ。
なんと愛らしい仕草だろうか。
外見ばかりではない。
ヴェーゲは内面までもが美しいのだ。
私は・・・
話を戻す。
私がなんとか落ち着きを取り戻して最早日課となった罠の巡回を終え、再び捕らえることができたグングを引きずって野営地に戻ってきたとき、ヴェーゲは11日目から始めていた飛行の練習に没頭しているようだった。
日に日に自在に動けるようになってきていたようで、私の目にはその飛行速度が既に並のドラゴンのそれを遥かに超えているように思えた。
私の姿を森の隙間に見つけると、ヴェーゲは上空を旋回していたのをやめてこちらに急降下してきた。
その様は勇ましく、美しく、この世のものとはとても信じられないほどに私の心を打った。
ヴェーゲは羽の音をほとんど立てずに飛ぶ。
なぜあんな飛び方ができるのか不思議で仕方がない。
まるで風を操っているかのようだ。
私の頭上わずかまで迫ったヴェーゲは、折りたたんだようにしていた翼を一気に逆方向へと打ち速度を一瞬にして殺した。
凄まじい風が私を襲ったが、私は目を離すことができなかった。
それほどまでに、ヴェーゲの飛行技術は卓越していたのだ。
なんというドラゴンなのだ。
天は二物を与えずというが、ヴェーゲは私が知る限りの全てを備えている。
美しさ、優しさ、賢さ、礼節、強さ、速さ。
ヴェーゲを知ってしまった私にとって、ヴェーゲ以外のドラゴンは最早まがい物に等しい。
これこそが、ドラゴンなのだ。
私の目の前に悠然と降りたったヴェーゲは、私を見つめながら僅かに喉を鳴らした。
その音を聞いて我に返った私は慌ててグングをヴェーゲの足元まで運ぼうとした。
腹が減ったのだと思ったのだ。
しかし、予想に反してヴェーゲはその身を完全に地面に伏せた。
四肢を四つん這いにし、龍騎士がドラゴンに騎乗する時にさせる姿勢をとったのだ。
私は驚いた。
何が起きたのか、ヴェーゲが何をしているのか咄嗟には判断がつかなかった。
立ち尽くす私の事を静かに見つめていたヴェーゲだったが、やがてしびれを切らしたのか翼を、右を2回、左を2回、交互に緩やかに振った。
何かが起こったときに、問題がないことを伝える仕草だ。
「乗って、いいのか?」
と私はヴェーゲの意図にようやく気がつき、かすれる声で訊ねた。
ヴェーゲは再び、羽を緩やかに振る。
信じられなかった。
ドラゴンが、龍騎士でもない私を、生まれた時から世話を焼いている訳でもない私を、背に乗せてくれると言っていたのだ。
本来、ドラゴンは全幅の信頼を置く者にしか騎乗を許さない。
野生のものはもちろんのこと、人の手によって育てられたドラゴンであってもだ。
間抜けな騎士が自分の騎龍と間違えて他のドラゴンに飛び乗り、振り落とされたり、ひどい時にはその後噛み付かれたりなんて話はよく聞く。
出会って半月も経たないうちに、それをヴェーゲが許してくれるなど夢のまた夢であったはずだった。
今思えば、きっとヴェーゲは私に全幅の信頼を置いてくれていた訳ではあるまい。
あの子は心の優しい子だ。
私が献身的に自分に尽くすのを見て、お返しをしてくれようとしたのだろう。
その時の私にはそんなこと思う余裕などなかったが。
恐る恐る私がヴェーゲのたてがみに触れると、ヴェーゲは僅かに身をよじった。
体を私のいる方向へと傾け、私が背に乗りやすいようにしてくれたのだ。
賢く、優しい行動だ。
私は意を決してヴェーゲの背に手を伸ばし、力を込めてその大きな背中に飛び乗った。
するとヴェーゲはゆっくりと立ち上がり、一度長い首を回して私の姿を確認したあとに、静かに翼をはためかせたのだ。
風も、木々の木の葉が擦れる音も、鳥たちの鳴き声も、全ての音が消えた。
全ての世界が飛ぶように私の後方へと過ぎ去っていくのに、私にはまるで、私とベーゲ以外の全ての時間が止まっているようにすら思えた。
振り落とされないようにと、必死にヴェーゲのたてがみにしがみつく必要はなかった。
嘘のように、まるで風がヴェーゲを避けていくように、ヴェーゲは飛んだ。
きっとヴェーゲは私を気遣いながら飛んでくれたのだろう。
体力に自信などない私が、鞍も手綱も無い状態でまともにドラゴンの飛行についていけるはずがない。
しかしそれでも、ヴェーゲは風すらも追い越すようにして、音すらも置き去りにするようにして飛んだのだ。
私に、他のドラゴンへの騎乗経験などあるはずもないが、それでも私は感じずにはいられなかった。
ヴェーゲは、世界で一番速い。
余裕すら感じられるヴェーゲの背中の上で、私はさめざめと泣いた。
このドラゴンを、もう一度空に飛ばせてあげることができてよかった。
このドラゴンが飛ぶ瞬間に、空を往く喜びを共有できてよかった。
生まれることができて、本当によかった。
本当によかった。
アラン・クエィク
1
7日 目
矢で
射
抜か れ
た
傷 が
壊死
を
おこし
て いる
右
腕は
も
う
だ
めだ
今左
手で
これ
を書
い てい
る
不
慣れ な
上
に
痛
み
で
まと も
に
文
字
が
書け
ない
や
つ ら
矢
に
毒 を
―――――――――。
――――――――――――――――――。
―――――――――――――――――――――――――――。
―――――――――ドノヴァン。
―――――――――君には。
―――――――――ネックレスすら贈ることができなかった。
―――――――――もう一度、君と喧嘩をしたかった。
―――――――――ドノヴァン。
―――――――――もしも。
―――――――――もしも私が君に・・・
―――――――――この調査から帰ったあとに
―――――――――もしも
―――――――――私が、君に
―――――――――君に
アラン・クエィク