第1幕2部 放浪者「キャロル」
策が功を奏して、一旦は聖騎士団の一行を煙に巻くことに成功したキャロルは、しかし一時も警戒を解くことなく、全力で森を駆けていた。
逃げ出してから早々に足をもつれさせたベルは、今は背中に抱えている。
激しく上下するキャロルの動きに合わせて盛大に揺らされるベルが時折苦しそうな声を出したが、今はそれに構うことは出来ない。
すまないとは思ったが、どうしようもなかった。
「大丈夫か?」
必死に足を動かしながらも、キャロルはベルにそう尋ねる。
「は、い、大、丈夫です。それより、キャ、ロル様こそ」
ベルは時折言葉を詰まらせながらもそう答えた。
「様付けはやめて欲しいな。せめて、さん付けくらいにしといてくれないか」
キャロルはベルの言葉に苦笑する。
「は、はい、すみません」
素直な態度のベルに、キャロルはベルの心情を思う。
一体、この天使は今の状況をどう思っているのだろう。
「すまないな、こんな訳のわからないことに巻き込んでしまって」
そういうキャロルの背中で、ベルはしばし黙ったあとに首を横に振る気配がキャロルに伝わってきた。
「私、下を見ていたんです」
「下?」
突然会話が飛んだようにキャロルは感じた。
「ええ、私、日課なんです。人が、生活をしているところを見るのが」
しかしベルはそれを気にしていないかのように言葉を続ける。
「危ないからよせって、よく言われます。落ちたらどうするんだって。・・・私、力が弱いからもう戻ってこれなくなるぞって」
そこまで言って、ベルはしばらくの間黙り込む。
キャロルは言葉を挟まずに、ベルの言葉の続きを待った。
そのキャロルに投げかけられたベルの言葉は
「でも、私、見ずにはいられなかった。私たちを信じてくれている人たちの事を。私たちが、助けてあげられない人の事を、せめて、見守っていてあげたかったんです」
ベルの言葉は
「見守ったからって、どうにか出来るわけじゃないことは分かっているんです。見守っていると、伝えることすら出来ないんですから。エゴだって、そう思ってはいるんです。」
余りにも無配慮で
「だけど、どうしてもやめられなくて、さっきも、下を見ていたんです」
余りにも、無慈悲だった。
「そうしたら、とうとう今日、足を滑らせてしまって、必死に戻ろうとしたんですけど、駄目で。諦めて、どなたかが助けてくれようとするまで落ちていこうと決めて」
見ているだけで、何もできない。
「そして、力を使ったら意識を保てなくなって、目を覚ました時には、キャロルさんが受け止めてくださっていたんです」
それは、つまり
祈っても
祈っても
祈っても
祈っても
祈っても
祈っても
祈っても
神は、助けてくれなどしない
そういう、ことなのだろうか
「だから、巻き込んでしまったのは私なんです。私、考えがいつも浅はかだって言われるんです。私が気を付けなかったから・・・私が危険な事をやめなかったから、キャロルさんもフローラさんも巻き込んでしまった」
しかし、幸いにして
「本当に、ごめんなさい・・・」
キャロルにとって、その言葉はむしろ、救われたような気がした。
神が救ってくれる存在であるならば、なぜ人は悲しむ必要があるのだろう
なぜ、道端で子供が死んでいるのだろう
なぜ、天災によって多くの命が失われなければならないのだろう
罰だとか、神の試練だとか
なぜ、愛に溢れているはずの神がそんな意地の悪いことをするのだろう
なぜ、私利私欲を貪り、権力に固執する聖職者がのうのうとのさばっているのだろう
それは神が
本当のところは
救いも、罰も、慈悲も、怒りも、与えることなど、ないからなのだ
彼らはきっと、普通に生きているだけなのかもしれない。
その仕組みなど知る由もないが。
―――――――――普通に、ただ、生きているだけなのだ
キャロルは笑った。
声を出して笑った。
良かった。
もしも
神様が本当に存在していて、しかもその力をもってして人を救うことができる存在であったとしたら。
キャロルは、死んで霊体となってでも、神様のつらを殴りに行かなくてはいけないところだった。
良かった。
本当にいるらしい神様とやらが、普通に生きていてくれて。
良かった。
昔、救えなかった小さな命の責任は、神などにはなかった。
全部、自分の責任であると、しっかりと自覚できた。
可笑しくて、仕方がなかった。
体温が消えていく体を抱きしめながら、神よと泣き叫び、神を罵った自分の浅はかさが。
ざまあみろと、言ってやりたかった。
神などに責任はなかったのだと。
追い詰められてどうしようも亡くなった時に、嘲笑っていた神の存在にすがろうとするような、弱いお前が、全ての元凶なのだと。
突然笑い声を上げ始めたキャロルに驚いたのか、ベルが言葉を紡ぐことを止める。
しかし、それでも笑いを止めることができないキャロルは構わずにクツクツと笑いながら走り続けた。
一体、今背中でベルはどんな表情を浮かべているのだろう。
驚いて目を見開いているのか、不審に思って眉をひそめているのか、恐怖に青ざめているのか、憐憫を浮かべているのか。
その想像すらも、今、キャロルにとっては可笑しくて仕方がなかった。
やがて、キャロルの行く手に川が見えてくる。
しかしキャロルは一切その走りの速度を落とすことなく、その川に向かって進み続けた。
背中でベルが僅かに顔を埋める感触が伝わってくる。
行く手を阻む川にも一切躊躇なく進み続けるキャロルの姿に、何かを察知したのかもしれない。
ベルの小さな手が、自分の服をギュッと握っていた。
いよいよ進む道が途切れる、その場所で
キャロルは、笑顔のままで、川へと向けて大きく跳躍した。
追っ手さえかかっていなければ、喝采をあげたいような気分だった。
どう体を動かせばそんな器用な真似ができるのか、派手な跳躍と相反するようにして、水に吸い込まれていくキャロルとベルは殆ど音をたてることもなく、その全身を水に沈ませていった。
「2番は下流へ!3番は上流へ!4番は元きた道をもう一度探して!私は対岸を探すわ!」
フローラは顔を盛大にしかめながら、不愉快極まりないといった様子で叫んだ。
フローラの指示に従って、陣形に沿って番号で呼ばれた三騎のドラゴンが川べりから宙へと飛び上がる。
その様子を見上げながら、フローラは内心で唾を吐きたいような気分であった。
キャロルを追いかけ始めて既にかなりの時間が経っている。
ここまで手こずることになるなど、フローラは予想していなかった。
いくらドラゴンの生態を熟知しているような咄嗟の行動で一回はフローラ達を出し抜いた、正体も、実力もわからない放浪者とはいえども、なにせこちらは聖騎士団のドラゴンライダーが五名もいるのだ。
早々に発見し、捕らえることが出来るとタカをくくっていた。
確かに、始めは順調であるように思えた。
キャロル達が消えていった方角へとドラゴンを駆ること数分で、隊列を組んでいた一騎が森の中に外套のような影を見つけたのだ。
「いた!」
と叫びながら、森の中へとドラゴンを突っ込ませるそのドラゴンライダーが、あっという間にその場に急行する。
それを見て、フローラは僅かに笑みを顔に浮かべた。
唐突なキャロルのドラゴンまでも利用した逃走劇に度肝を抜かれたものの、やはり人がドラゴンから逃げ延びようとするなど、無理があったのだ。
そう、フローラは思った。
「・・・?」
しかし、僅かに遅れてその場に降りたったフローラが目にしたのは、キャロルなどではなく、不自然に地面から浮き立ったようにみえる、風に揺らめくキャロルの物と思われる外套のみであった。
そして、その次にフローラの目に飛び込んできたのは、不審そうな顔を浮かべながらその外套へと手を伸ばす、先ほどのドラゴンライダーの姿であった。
フローラの背筋に、ザワ、と嫌な予感が走る。
その外套が不気味に揺らめきながら、フローラ達に手をこまねいているような錯覚を感じた。
「やめろ!!触るな!!!」
フローラがそう叫んだ時には既にそのドラゴンライダーは
余りにも無用心に、無造作に外套に手をかけて、それを引っ張ろうと力を込めていた。
次の瞬間フローラの目に映ったのは、外套が引っ掛けられていた地面に刺さった太い木の枝と、その枝の一つにぶら下がり、外套へと結び付けられた釣り糸を発火装置から垂らす火薬瓶の影だった。
バガンッ!!!!!!!!!!!!
あまりにも稚拙で、わかりやすく、雑に仕掛けられたトラップだった。
まさか、自分たちから逃げているものが走りながらもトラップを仕掛けているなどと、そんな、徒労に終わるであろう無駄な努力をする奴がいるなどと、夢にも思っていなかったフローラ達にとって、そのトラップはものの見事に、嘘のように綺麗に、牙を向いたのだった。
僅かに離れた位置にいたフローラとその他の騎士たちは咄嗟に腕やマントで自分の体をかばう。
しかし、ドラゴンの反応速度を遥かに超える速度でもって割れ、飛散した瓶の破片と爆炎が、外套を手にもって唖然とした表情を一瞬浮かべたドラゴンライダーを吹き飛ばした。
顔面に盛大にガラス片が突き刺さり、爆風で体を後方へ吹き飛ばされたドラゴンライダーはそのまま彼の真後ろにそびえ立っていた大木に向けて直進する。
すわ激突すると思われたその瞬間、それを口で受け止めたのは、風のような速度でもって跳躍した彼の愛騎のドラゴンであった。
「よくやった!離せ!!」
フローラが慌てて、ぐったりと動かない騎士と、それを咥えて不安そうに喉を鳴らすドラゴンに駆け寄る。
フローラの声に反応したドラゴンは静かに騎士を地面に下ろすと、飛びつくようにして顔を覗き込んだフローラと騎士を交互に見つめる。
焦燥する気配が、ドラゴンの全身から滲みだしていた。
「・・・息がある。助かるかもしれない」
フローラはすぐに顔をあげると、他の騎士ではなく、その脇に佇んで首をうなだれるドラゴンに顔を向けた。
ドラゴンは、主を守れなかった自分を、恥じているのであった。
「落ち込むんじゃない!まだ死んでないわ!早く帝都に運びなさい!急がないと、本当に死ぬわよ!」
フローラの声にドラゴンが弾かれたようにして顔を上げる。
くすんでいた真っ赤な瞳に、再び火がともったような、意志の光が宿っていた。
フローラが騎士を抱え上げると、ドラゴンは精一杯その身を沈め、フローラが騎士をのせやすいように体勢を変える。
その動きに助けられながら騎士をドラゴンの背中に慎重に下ろすと、他の騎士たちが駆け寄って、ものの数十秒で負傷したドラゴンライダーを紐でくくりつけた。
ドラゴンが指示を仰ぐように、眉をひそめて苛立ちを顕にするフローラを見つめる。
「何してるの!早く行きなさい!!」
フローラが叫ぶのとほぼ同時に、ドラゴンは風圧で騎士たちを巻き込むことも厭わずに、驚く程の勢いで翼をはためかせた。
風に押され、フローラを含めた全員が転倒する。
その様子にフローラ達のドラゴンが不機嫌そうな唸り声をあげて飛び立ったドラゴンを睨みつけたが、既に当のドラゴンは上空遥か高くに飛び上がり、目を見張るほどの速度でもって帝都に向けて移動を始めていたのだった。
かくして、フローラはキャロルの追跡を開始してわずか10分も経たないうちに、部隊の人数を減らすこととなったのである。
指示を受けた騎士たちの姿が見えなくなると、フローラは視線を周囲へと走らせた。
冷静にならなくてはいけない。
あのキャロルとかいう女、舐めて掛かると本当に捕らえることができなくなる。
周囲の状況もあの女に味方しているのだ。
平野であれば、人間がドラゴンの追跡から逃げ延びることなど到底かなわない。
しかし、今フローラたちがキャロルを追跡しようとしているのは、樹齢数百年を数えるような巨木が林立する深い森の中なのだ。
上空からの視認は厚い木々の枝と葉に阻まれ、ほとんど役に立たない。
かといって地上に降りて匂いをドラゴンに辿らせていては、ドラゴンのスピードを生かせないし、第一時間がかかりすぎる。
この森そのものが、フローラではなく、キャロルの事をかばっているような錯覚にすら、フローラはとらわれていた。
ましてや、この、眼前に広がる川である。
上空からキャロル達を探し回っていたフローラのドラゴンが、音なのか、においなのか、何かに反応し、何事かとその場へ急行してみればそこには緩やかに流れる清流が横たわっていた。
あの女、ドラゴンの視覚だけではなく、嗅覚まで警戒して川に飛び込んだに違いない。
確かにドラゴンが反応を見せた場所にはキャロルが踏み分けたような枯葉の跡が残ってはいたが、川に飛び込んで匂いを消されたらしい、ドラゴン達はそれ以上の追跡がかなわずキョロキョロと周囲に首を巡らせるばかりであった。
この程度の流れであれば川を下るばかりでなく、それに逆らって上流へと逃げることも難しくはないだろう。
この時点で、フローラは部隊を大きく分裂させてキャロルを追わなければならなくなった。
しかもご丁寧なことに、様々な方向に、キャロルが走ってきたと思われる方向に向けてまで、一度岸をあがった形跡が残してある。
上流、下流、元きた道、それとも、てんでバラバラな方向へと向かう上陸の跡、一体、どれを追えば良いのだ?
フローラは対岸に広がる低木の茂みを見つめながら、必死になって頭を巡らせる。
信じられないことに、ドラゴンライダー5騎をもってして、たったひとりの冒険者を取り逃がしたのかもしれなかった。
恐ろしい程に生き延びる術に長けた、熟練の放浪者だった。
油断は許されない。
フローラのもてる全力でもってして追撃しなければ、あの放浪者を捕らえることなど、絶対に出来はしない。
キャロルは、逃走を始めた時と僅かも違わぬ速度でもって疾走し続けていた。
川に飛び込んだキャロルは凄まじい速度で偽装を行うと、しかし、その全てを囮にして、痕跡を残していない低木の茂みから森の中へと紛れ込んでいた。
時にはわざと痕跡を残し、そうかと思うと急激に方向転換をして地上に現れた木々の根の部分のみを踏んで跳躍し、ぶっつりと痕跡を消す。
直線距離を逃げるよりもはるかに遅々とした逃走ではあったが、追跡の術を持つ聖騎士団相手にはこうするしかなかった。
その呼吸を激しい間隔のものへと変化させながらも、その進む速度を落とすことはない。
ドラゴンが風のように駆けると例えられるなら、キャロルのそれはまさに川の流れのように緩やかで、淀みを感じさせないものであった。
「キャロルさん、少し、休んだほうが・・・」
背中に背負うベルが心配そうな声を上げる。
しかしキャロルは僅かに笑って「大丈夫だよ」とベルに伝えた。
「ベル、あんた、本当に天使なのかい?」
ベルの気をまぎらわせようと、キャロルは咄嗟に思いついた事を口にする。
始めてベルを見た時から疑いなどはしていなかったものの、やはりそれはしっかりとベルの口から聞いておきたいことだった。
「・・・はい」
ベルが小さな声で答える。
その声の様子は、まるで自分が天使であることを、恥じているような声色だ。
普通の天使がどんなものであるのかなど知らなかったが、変な天使だな、とキャロルは微笑んだ。
「神様ってのも、本当にいるのか?」
この質問にもベルは「はい」と、変わらぬか細い声で答えた。
なんであんた達は人間を救うことができないんだい?
あんた達の住む世界は、どういう場所にあるんだ?
一体全体、どういう力を持っているんだ?
やっぱり天使もお腹がすくもんなのかい?
だったらどういうものを食べるんだ?
神様ってのは、どんなやつなんだい?
いいやつか?
それとも、普通の人間と変わらないのかい?
天使とか神様ってのは、どれくらいの数がいるんだ?
時折人間の世界に降りてきたりするのか?
天使がいるなら、悪魔ってやつもやっぱりいるのかい?
地上を見るのが日課だったんなら
あの日の私のことも見ていたのかい?
もしも、運命や、人生のルートというものが存在していて、自分のとる行動がそれを決定づけているのだとしたら
キャロルの頭に次々と浮かんだ質問のうち、そのどれを口にしても、キャロルとベルは、現実とは全く違った道を辿っていったのかもしれない。
しかし、キャロルはそのどれもを、口にはしなかった。
キャロルは何事か考えるようにしばらくの間押し黙ったあと、口を開く。
「私はさ、神様なんて、大嫌いだったんだ」
「・・・」
「小さかった頃からずっとさ、大嫌いだった」
ベルは、何も言わない。
キャロルは再び口を閉じたまま、しばらく無言で駆けたあと、ゆっくりと話し始めた。
―――――――――私が小さかった頃、村には私の大好きな人が沢山いたんだ。
神様なんて信じちゃいなかったけど、教会の神父様は優しい人でね、よく遊んでもらったよ。教会の中でままごとをしたんだ。
あたり一面に物を広げると、困ったように笑っていたな。
隣の家に住むエンヴァ爺さんのこともはっきりと覚えてる。
ヒゲがもじゃもじゃ生えていてさ、笛作りの名人だった。
木を切っては削り出して、様々な音色の笛を作るんだ。
時折裕福そうな商人が笛を買いに来ていたみたいだったから、今にして思えば、結構有名な人だったのかもしれないね。
色々な曲を吹いてくれた。
毎日通ったもんだよ、楽しくてね。
それこそあんたが言う、日課ってやつさ。
村の反対側に住んでいたリンダって子もいたな。
気の強い奴でさ、私とよく喧嘩してた。
私と仲の良かったオドヴァスって男の子が好きだったみたいでさ。
私のこと目の敵にしてたんだ。
可愛い子だったよ、長い髪を、綺麗な赤のリボンでまとめあげててね。
よく取っ組み合いの喧嘩をしたもんさ。
身なりはいいのに、なかなか手ごわいやつだったよ。
その、オドヴァスってやつは鍛冶屋の息子さ。
親父さんがガタイのいい人でね、腕も良かったみたいで店は繁盛していたし、オドヴァスは親父さんの事を尊敬しているようだった。
俺も将来は鍛冶屋になるんだって、何回も何回も言うんだ。
前も聞いたよって言うんだけど、別にいいじゃねえかって笑って、気にしないやつでね。
釣りをしたり、リンダと三人で近場の森に冒険に出かけて帰れなくなったり。
リンダのやつ、私のせいだって泣き喚くんだ。
私のせいじゃないぞ?
リンダが野犬に驚いて逃げ回るもんだから、それを追いかけてたらどこにいるのかわからなくなっちまったんだ。
あいつらといると毎日退屈しなかった。
あぁそうそう、私の両親の話をしてなかったね。
私の父は村の警備を担当する出向兵士だったんだ。
槍が得意でね。
本当は男の子が欲しかったみたいだったけど、残念なことに父と母の間には女の私しか生まれなかった。
それでも父は優しくて、面倒見の良い人だったよ。
ただ、女の私に槍の稽古をつけてさ、母がよく怒っていたよ。
女の子にそんなこと教える必要はないって。
父は笑って相手にしなかった。
別に女が強くなったって、問題ないだろってね。
母は、どこにでもいるような、普通の人だったと思う。
今なら母がどんな人生を歩んできて、父と巡り合って、どういうふうに結ばれたのかって話も酒を飲みながら聞けるかもしれないけどさ。
小さかった私は、母の昔のことなんて、まだ教えてもらってなかったんだ。
料理と裁縫がうまくてね。
近所の母親たちに、子供の服を縫う手伝いをよく頼まれていたよ。
いつも笑顔で、穏やかな人だった。
私は、村の人が大好きだったんだ。
でもね、
みんな死んじまったよ
雪の降る季節だった。
詳しい時期は覚えてないんだ。
そのあとも、まぁ、色々あったからね。
その時期は行商人の数も減るからさ、飢えてたんだろ。
山賊たちが村に降りてきちまったんだ。
私は、その時、親には内緒で勝手に狩りに出かけていたんだ。
その年の誕生日に父が弓矢をプレゼントしてくれてね。
嬉しくってさ。
母は、またこんな物を女の子に渡してってブウブウ言っていたけど。
その日、始めてその弓矢を試してみようと、獲物を探して裏手の山に篭っていたんだ。
戻ってきた時には、もう、何もなかった。
父は、よく戦ったんだと思うよ。
父のそばに、斬り捨てられて何名かの山賊が死んでいたからね。
山賊もガリガリにやせ細っていて、戦う力なんてあまり残っていなかったってのもあるかもしれないね。
よくやったもんだ。
実践なんて禄に経験したことのなかったはずの父が、数人は斬ったんだ。
今は、そのことを誇りに思っているよ。
母は、裸に剥かれて刺し貫かれて、家の台所で死んでいた。
慰み者にされたんだろうね。
怖くてろくに様子を見てあげることもできなかったけど、恐怖に顔を歪めていたかもしれないな。
よく覚えてないんだけどね。
エンヴァ爺さんは家の中で首を跳ね飛ばされて死んでた。
玄関が打ち壊されててね、笛が殆ど持ち去られてた。
神父様は祭壇の前で背中から切られていてね、死んでも、まだ両手を合わせて神に祈っているようだった。
オドヴァスはリンダの家の前で死んでたよ。
肩から袈裟懸けに切られていてね。即死だったんじゃないかな。
リンダを、助けに行こうとしたんだろうねぇ。
勇敢なやつだったよ。
誰か、生きてる奴がいるんじゃないかって、私は村の中を探し回ったんだ。
何人も、死んでいてさ。
何回も吐いた。
吐き尽くして胃の中になんにも残っていやしないのにね。
不思議と、吐きたくなるんだ。
何回吐いたか、覚えられないほど吐いたよ。
それでも、必死になって探したんだ。
だけど、リンダは、どこにも見当たらなかった。
たぶん、連れ去られたんだろ。
可愛い子だったからね。
売り飛ばされたのか。
飼われたのか。
今となっちゃもうわからない。
随分と、長いあいだ探し回ってるんだけどね。
どうしても、見つけてやることができないんだ。
可哀想に。
どれだけ、怖い目にあったか。
なんとか、助けてやりたかった。
もう、生きちゃいないだろ。
あんたが天から降ってくることよりも、絶望的だ。
だから、私はさ
「神様ってのが、昔から大嫌いだったんだよ」
ベルは、何も言わない。
「だけどさ、今日あんたが降ってきて、そしてさ、教えてくれただろ?神様も、天使も、人を救うことなんてできないって」
ベルは、何も言わない。
「だからさ」
ベルは何も言わない
「私は、嬉しかったんだ。別に、私の村は神に見捨てられたわけじゃないって」
ベルは
「ただ、偶然に私の村は警備が薄くて、その年の冬は偶然に山賊の実入りが少なくて、ただただ、偶然に皆殺されたんだって。」
ベルは
「分かっちゃいたはずなんだけど、確信できなかったことが、確信できてさ。感謝してるんだ。踏ん切りがついたんだよ。あんたのおかげでな」
―――――――――だから、さ
「恩を返したいんだ、あんたに。私のことなんて心配しなくていいし」
―――――――――だから
「泣かなくたって、いいんだよ、ベル」
キャロルが足を止める。
ゆっくりと、背負うベルに顔を向け、微笑んだ。
「泣くことなんて、ないんだ」
ベルは
呆然とした表情を浮かべて
とめどなく涙を流していた。
あぁ
この子は
こうやって
毎日
毎日毎日
『下』を見続けながら
泣いていたのだろうな
助けてあげたいのに
できなくて
理不尽に人が死んで
可哀想で
どうにかしてあげたくて
どうにもできなくて
だから来る日も来る日も
苦しくて苦しくて仕方がないはずなのに
やめてしまえばいいのに
フラフラと
その身に宿す力を弱らせてまで
足取りすらおぼつかなくなる程にずっと
私たちの事を
見ていたのだろうな
この子も
なんて
可哀想な子なんだろう
泣く必要なんて
どこにもないのにさ
――――――――― バサ
と
ドラゴンの羽の音が
僅かにキャロルの耳に届いた。