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第3幕4部中編  ベルクフリート

城の構造に“主塔”と呼ばれる、一際高い建築物がある。


ベルクフリートとも言われるその塔は、少々特殊な構造を施されていた。


非常に堅牢な作りを施されたその塔は、入口が地面に接触していない。

普通の建物であればベランダでも設置されているような2階の高さに入口が存在しており、鉄の扉でそこが塞がれているのだ。


その下には地面から長い木のはしごが架けられており、通常時はそのハシゴを登って主塔の内部に入っていく仕組みになっていた。


通常時は、といっても異常時に別の入口があるわけではない。

ではその異常時はどうなるのかというと、それは単純で、ただ単にはしごが外されて入口というものが存在しなくなる。


城に何者かが侵入した時の最後の砦として機能するようになる、文字どおりの堅牢な塔であった。


少し、その塔の構造に触れてみることにしよう。


入口の扉が存在する2階部分には狭い小部屋があり、玄関のような様相を呈している。

また、その2階部分の床には木枠の跳ね上げ式扉が設置されており、はしごが奥へと続いていた。


1階部分は吹き抜けになっており床板というようなものは存在せず、そのまま地下にまで穴が掘り下げられている。

侵入を防ぐために、当然窓などは一切存在しないその地下は入口部分の扉を占めてしまえば完全な闇に閉ざされ、じめじめとした空気と、むき出しになった地面を得体の知れない虫が這いずり回る気配のみが伝わってくるようになる仕組みになっている。

捕虜や囚人を閉じ込めておくために使われるのだった。


一方その地下に降りずに2階部分にある上へと続くハシゴを登って3階へと上がると、そこには簡素な炊事場が設置されている。

籠城しなくてはならなくなった時に料理をするために使用するのはもちろんであったが、万が一、主塔に向けて敵がはしごをかけて登ってこようとした時に煮えたぎった湯や油を浴びせかけるときにも使うことができることから考え出された機能だった。


また、塔の屋根裏にあたる部分には狭間窓が八方に設けられ、いつもはそこに数人の兵士がつめ、敵味方を問わず、動くものを絶えず監視している。彼らの仕事は何かが目に入れば一切の自己判断を除いて、それを忠実に報告することが義務付けられていた。


そして、4階部分。


そこはそれまでの部屋とは一見して違いの分かるほどに格の高さの窺える家具が備え付けられており、ひとつだけ開けられた狭間窓から灯りが差し込んでいる。

有事の際には王族が緊急で避難する居室だった。


主塔とは平時は監視塔や捕虜の牢屋として、有事には王族を始めとした自軍の最後の砦として、様々な機能を兼ね備えた塔なのであった。


そして今、ベルは、そこにとらわれている。


普段は数人の兵士が詰めているはずのその塔も、天使を迎えるという異常事態のためか閑散としており、今は3階部分の粗末な調理場に急ごしらえの寝台がおかれ、フローラが寝起きしているのみであった。


キャロルとトールマンがグリッツ城への侵入を試みる、そのおよそ20時間ほど前の朝のことである。


普段は柔らかいベッドで寝ているフローラは、その日も慣れない硬い寝台に顔をしかめながら体を起こした。

寝苦しさからか何度も寝返りを打ったため、自慢の金髪がボサボサとその顔にまとわりついているのが非常に鬱陶しい。

あまりいい寝覚めとは言い難い状況だった。


「・・・」


明かり取りの小窓から僅かに小鳥のさえずる声が聞こえてくる。

フローラは気だるそうに顔にまとわりつく髪をかきあげると、ベッドから足を下ろして立ち上がった。


フローラの今の服装は寝巻きではなく、鎧の下に着込む白い薄手の長袖と、灰色のズボンを履いていた。

何か事が起きれば、即座に行動を始められるようにとの配慮からだ。


フローラはベッドの脇に立てかけてあった剣にちらりと目線を送ったが、それには手をつけずに調理台のそばに備え付けられたポンプへと歩み寄り、その取手を数回動かして水を桶に流し込む。

水が並々と注がれると、その桶に手を入れてバシャバシャと顔を洗った。


寝ぼけて張り詰める顔に、地下から汲み上げられている水が冷たく突き刺さるような刺激を伝えてくる。

幾らかは目の覚める思いをしたフローラは、清潔な布を手に取って顔を拭いた。

フローラはその途中でふと手を止めると、4階へと続く狭い幅の螺旋階段へと目を向けた。


今、上の階にいるはずの天使は、もう起きているのだろうか。


国教会が告げたベルを人民に公開する期日はいよいよ明日に差し迫っていた。

今日の昼間から夜にかけて、城の警備兵の一部までもが駆り出されて天使を公開するための広場の準備が行われる予定だ。そして、準備が整い次第城内の者たちを一同に会して天使の存在が先行告知される。

既に噂は城内を駆け巡ってはいたが、正式に発表することで警備の混乱を最低限に抑えようとするのが国教会の魂胆のようだった。


フルヴォン司祭によって大まかな情報を横流ししてもらっていたこともあって、その予定は正式な下知があるよりも前に、フローラによって天使へと伝えられていた。


一体、何を思ったのだろう。


それを聞いたときの天使の反応は、静かに頷くばかりでその心の内まではわからなかった。


少しのあいだの逡巡からかえったフローラは、顔を拭いた布を桶の縁にかけ、ポンプから離れると今度は小さな衣装箪笥を開ける。

そこから取り出したのは鎧ではなく、白を基調として上品に刺繍をあしらった礼拝用の礼服だった。

体のラインにピッタリと張り付くそれはあまり動きやすい服装ではなかったが、鎧を着込んで天使と話しているのを見咎められ、数日前から、天使に目通りを願うときには礼服を身につけるように、との命令がフローラにおくられていた。

面倒なことこの上ないが、致し方ない。

ヨーンを失って無力と化したフローラにとっては、今はクビにされていないだけでも良しとしなければならないのだ。

文句があっても押し黙ってそれに従う以外のことは、フローラにはできなかった。


無造作に着ていたものを脱ぎ捨て、上下が繋がった礼服を頭から着込む。

礼服のしわをはたいて伸ばすと椅子に腰を下ろし、小さな鏡を覗き込んで髪を整え、普段であればしない化粧まで薄く施した。


《出来うる限り最大級の礼儀をもって接すること》


フルヴォン司祭とはまた別の司祭から言われた言葉であったが、天使をこんな狭苦しいところに閉じ込めておいて礼も何もあったものではない。

この城に招いてからというもの、食事や送られてくる品々こそ高価なものではあったが、一歩外にでて日の光を存分に浴びることすら許可されていないのだ。

これでは客人というよりも、捕虜と言ったほうが余程しっくりくる。


そう思って苛立つ自分に気づき、フローラは忙しなく動かしていた手を止めて小さくため息をついた。

ヨーンを失ってからというもの、何かを考えればすぐに後ろ向きな方へと思考が引っ張られてしまう。

ドラゴンライダーという職業として騎龍を失ったということ以上に、一人の人間として、パートナーを失った喪失感がフローラのストレスをためる要因になっていた。

生まれてこの方2日以上の時をヨーンと離れて過ごしたことがないフローラにとって、今の状況はソワソワとして落ち着かないものだ。

フルヴォン司祭に元気をだせとは言われているものの、そう簡単に割り切れるようなことではなかった。


そしてヨーンを思い出すと同時に浮かんでくるもう一人の人物の顔を、フローラは鮮明に思い出す。


キャロル。


後一歩のところで自分を殺していたであろうあの女の剣は、自分を助けようと飛び込んできたヨーンの頭蓋を陥没させてその命を奪った。

わかり易すぎるほどに憎むべき相手として存在するキャロルを瞼の裏に浮かび上がらせたフローラではあったが、しかし、今のフローラは単純にキャロルを殺すべき相手として認めていいのかどうか、迷っていた。

ヨーンを殺された直後は頭がおかしくなりそうなほどにキャロルを殺してやりたいと思ったのだが、時が経つにつれてそれが薄れていく自分を感じる。

命を失ってなお、「手を出すな」という自分からの命令に背いてまで主人を守ろうとしてくれたヨーンに免じて、歯ぎしりをしながら気を失うキャロルを見逃したフローラではあったが、今はそうしたことが正しかったのではないか、と思うまでになっていた。


「ダラスといつ戦端を開こうか虎視眈々と狙っている国教会に、天使がノコノコと出向いていくほうが私には危険に思えるけどね」


あの女はそう言った。

それを聞いた時はその事を鼻で笑える余裕すらあったが、では、今のこの状況はなんなのだ。

あの女の言う通りになったではないか。

天使を目にした国教会は戦争の口実でもあるかのように、いや、免罪符でもあるかのように天使の事を良い様に利用しようとしている。

天使を人民の前で祭り上げ、自分たちこそ神に祝福されし者たちなのだと謳い、ダラスの人間たちを皆殺しにすることを正当化しようとしている。

今更ながらにして、キャロルの言葉を聞いたときに自分は何も考えなど持っていなかったことがひしひしと感じられた。

結局のところ、自分は国教会以下だったのだ。

毎日の祈りを欠かすことなく続けてきた自分を敬虔な神のしもべだとずっと思い続けてきた。

女性を卑下するダラスの教えに反感を覚え、グリッツの国教会こそ正しい教えであるのだと考えた。

だからこそ、得体のしれない放浪者などではなく、敬虔な信者である自分の属する国教会で保護することこそが、最上であると信じて疑わなかった。

だがこのざまはなんだ。

馬鹿みたいに考えなしに天使を連れ帰ってきて、なんの抵抗もすることができないままに国教会のいいなりになっている。

恐れ多くも本物の天使を自分たちの利益のために利用しようとする、国教会の手先になっている。

自分の信じてきたものに、いきなり裏切られたような感覚だった。

そう思っていても、不用意に天使を人民に晒すことが正しいことだなどと少しも思えないのに、ではどうすれば良いのかなど微塵も考えが浮かばない。

天使をみた瞬間に、連れ帰らなくてはと思った自分が、それを神からの使命だと思った自分が、あまりにも間抜けで情けなかった。


キャロルという女はそうではなかった。

即座に天使という存在がもつ危険を察知し、フローラ達国教会が取るであろう行動を予測し、その存在をひとまず覆い隠そうとした。

何かその先に具体的な策があったかどうかなど知る由もないが、それでもまだ、あの時のキャロルの判断は自分のものなどより余程正解に近いものだったように思える。

きっとあの時の自分は馬鹿ヅラをしていただろう。

新しいおもちゃを手に入れた子供のような、考えなしの喜びを顔に浮かべていただろう。

この数日、フローラは日に日に強くなるその考えに、顔が熱くなるほどの恥辱を感じていた。


どうにかしなくてはいけない。


でも、どうすればいいのだ。

今の自分にはヨーンがいない。

ただの、少しばかり戦闘訓練を受けた凡庸な兵士にすぎないのだ。

天使を連れて逃げ出せばいいのか?

国教会の保護の下、のうのうと生きてきた世間知らずの自分が?

例え万が一にでもこの場を逃れることができたとして、果たして天使を生活させていくことができるのか?

それならば、いっそあの時にキャロルに全てを委ねてしまっていれば良かったのだ。

あの女のことなど詳しく知るわけがないが、あの逃走劇を演じるような人物なのだ。

なんとか上手くやっていくことができるだろう。

プライドだけが高く、戦闘訓練に明け暮れ、召使に任せて、ろくに自分で城下で物を買った経験もないような自分がそれをするよりも、余程いい環境を天使に用意することができるはずだ。


それに、数日間の天使との会話でいくつかわかったことがある。

天使には、少なくとも今は、自分の力で天界に帰る術がわからないということだ。

彼女は足を滑らせて落ちてきたといった。

その時に力を使ってしまって、今は奇跡とよべるような物を起こすすべなど一切持たないことも。

そんな状態にある天使を五体満足にここから連れ出し、守っていくことなど、とてもではないが今の自分に成し遂げられるとは思えなかった。


フローラは4階部分へと続く螺旋階段にもう一度目を向ける。


あのキャロルという女、数日前にこの近辺で目撃されたという情報が入ってきている。

しかも、ドラゴンに乗って。

あの女は、決してドラゴンライダーなどではなかったはずだ。

聞くところによると、そのドラゴンはあっという間に帝都警戒中だった2部隊のドラゴン10匹を引き離して消えていったらしい。

そんなドラゴンをあの時に持っていたのなら、あんなに手の込んだ偽装を施しながら徒歩で逃げようとする意味がわからない。

それとも何か理由があったのか?

深い森の中で、自分の騎龍を遠く離してまで、オルーの群れに襲われる危険を承知の上で野営しながら一晩を過ごすような理由が?

馬鹿げている。

あんなに狡猾に生き延びようとする女が、避けられるはずの危険に意味もなく自分の命をさらすとは到底思えなかった。

そのキャロルが、今まさに無意味に思える危険を冒してまでこの帝都にやってきている。

何のために?

わかりきったことだ。

あの女は、


天使を取り戻そうとしている。


何のために?

そんなこと、知る由も無い。


しかし、だ。


きっと、間違いない。


ヨーンを失い、役に立たず、臆病な自分と違って、あの女は明確な意志を持って天使を助け出そうとしている。

天使が晒されることによって失われるであろういくつもの命を、救おうとしている。


自分の立場からすれば決して望んではいけない事だとわかっていながら、まるで物語のヒーローのように現れるキャロルの姿を、今、自分は待ち焦がれているのだ。


もう、時間がない。


多くの命が、その運命を決定される。


早くしろ。


まだなのか、キャロル。


空からか?


地下からか?


それとも、馬鹿正直に地上からか?


早く、ここに現れろ、キャロル。


一刻も早く、天使を攫っていけ。


一刻も早く。


間に合わなくなる。


頼む。


キャロル。






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