第3幕4部前編 グリッツ城侵入
シオンには特徴がある。
寒がらないのだ。
ドラゴンはどちらかというと寒さに弱い。
胎生のために爬虫類には分類が出来ないが、見た目が非常に爬虫類に酷似する彼らはその例に漏れず、体調管理が上手ではない。
体毛がないのだからそれも当然だろう。
しかし、シオンは異常なほどに寒さに強かった。
実際には寒いのを我慢しているのか、それとも冷覚が異常をきたしているのか、純粋に耐性があるのか。
原因はわからなかったが、とにかく寒がらない。
シオンのウロコに触れると、普通のドラゴンであればひんやりとした感覚を手に伝えてくるはずがほんのりと温かい。
体温が、体調の異変を勘ぐるほどに高い証拠だった。
そして寒さに強いことが、シオンにドラゴンにとって特殊なある行動を可能にしていた。
限界飛行高度の高さだ。
実際には瞬間的な高度に関して言えばシオンのそれは群を抜いているわけではなかったが、飛行継続距離が段違いだった。
普通であれば10分と持たないような高度にあって、シオンは4時間近く飛び続けることができた。
4時間、というのは帝都を目前にして警備中の聖騎士団を警戒し、キャロルがシオンを高高度まで引き上げてから帝都上空に到達するまでの時間である。
飛び終わったシオンには、実際にはもっと多くの距離を飛び続けることができそうな余裕があったのは驚くべきことだった。
ただ、その時はキャロルが先に寒さにやられかけた。
ただでさえ気温が低い高高度で、追い討ちをかけるようにしてシオンの飛行速度は異常に速いのだ。
衣服を何重にも着込み、天幕を切って小さくし頭から完全にかぶっても、冷気が布を突き抜けて騎乗者を襲う。
帝都間近にして、正直な話キャロルは意識を失いかけた時すらあった。
結果として聖騎士団に発見されることになったものの、キャロルの異変を敏感に感じ取り、シオンが高度を下げつつ速度を落としてくれなかったら死んでいてもおかしくなかった。
速さ、体色、知能、高高度連続飛行。
シオンに対抗できる特徴を兼ね備えたドラゴンがこの世にいるとは、とてもではないが思えない。
そのシオンは今、夜の闇に紛れて帝都の遥か上空を旋回していた。
冗談としか思えないような高度に控えるシオンは、その目立つ体色をもってしても地上から目視することはかなわない。
シオンには、誰も騎乗していない。
気品漂うシオンの体にはやや不釣合いな安物の鞍が無理やり改造されて背に二つくくりつけられ、さらに馬鹿でかいカゴを、胴体から頑丈なロープでぶら下げている。
上空の激しい風の流れにも飛行を乱されることなく旋回し続けるシオンの目は、帝都中心にそびえ立つグリッツ城を捉えていた。
グリッツの帝都は夜の闇の中にあってもそこかしこに灯りがともっている。
特にグリッツ城はほぼ全体が浮かび上がるほどに明るく、遥か上空からその存在を正確に把握することができた。
シオンは飛び続ける。
自分を助けてくれた青年、その青年を弔ってくれた少女、そして、その少女を弔い、自分をシオンと呼んでくれるキャロルからの合図を待って。
緩やかに、グリッツ城の上空を飛び続ける。
彼女ならばきっと、あの人にたどり着ける。
あの人を、助け出してくれる。
もう一度、空を飛ぶのだ。
あの人と、もう一度。
真っ青な空を。
誰も追いつけないほどの速さで。
もう一度。
あの人を乗せて。
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煌々と照らし出されたグリッツ城の外周にも、ひとつだけ薄暗い場所が存在する。
人の力ではそうそう乗り越えられない外壁が続く中心部。
しかし、実際にはその外壁の上は兵士の詰所の一つになっており、間抜けな侵入者があったとしても返り討ちにあうのがおちだった。
そして一見明るく照らされて警戒が厳重であるように思える場所が一箇所。
城の敷地内に作られた人口庭園の湖からの水や生活排水が流れ出す排水路の出口だ。
グリッツ城は豊かな水量を誇る井戸の上に建造されていた。
この大陸において最も籠城に適した城と評される大きな要因だ。
また、その防衛には遮断掘りと呼ばれる堀が採用されており、その特徴として城全体を堀で囲むばかりでなく、その城囲い内部の前衛部分と中核部分にも細分化された堀が存在している。
やがて大きな河川に流れ込むその堀の一角に存在する排水路周辺の水深は深く、余程潜らなければ地面を確認することはできない。
両脇には大仰な数の松明がともされ、頻繁に兵士が巡回に訪れる。
当然その排水路は頑丈な鉄格子で封をされ、赤ん坊すらそこを通り抜けられるとは思えない。
そこから侵入しようとするのは馬鹿げたことの様に感じられた。
それならば、城に商品を運び込む商人や、城で働く小間使いにでも変装して紛れ込んだ方が余程手っ取り早いだろう。
ただ、それは侵入するだけなら、の話だ。
城に入る人間は門の前で厳重な身体検査を受ける。
平時における城門の詰所だけでも3交代制で200人以上の兵士が常駐するグリッツ城において、武器をもって入りこみ、そこで大立ち回りを演じるには少々困難が多い。
だからこそ、数日間にわたってその排水口の底に近い鉄格子はガリガリと振動して音をたてていた。
夜間の、警備の数がわずかに減る時間を狙って。
不思議なことにその音は、警備兵が近づいて異変に気がつくであろうほんの手前で止む。
やや濁った上に、夜の闇に包まれた排水路の底は目視することはかなわないが、よくよくみると底の付近から長いロープが伸びているのが見える。
その先を追うと、随分と行ったところに水路をわたる小さな橋がひとつ。
そしてその下には水面からわずかに突き出た、人の頭とおぼしき影がひとつ。
夜の闇の中でもギラギラと輝くその両目が、排水路周辺の人間の動きを一つも見逃すまいと忙しなく動いていた。
やがて暫くするとその影に続くロープがゆるみ始める。
すると、その両目は自分の周囲を見渡すようにして視線の方向を変化させた。
影のそばに、また別の影が音もなく浮かび上がる。
二つの影は一瞬視線を交差させると、音も立てずに、今度は今まで橋の下で待機していた影が水の中に潜っていく。
ロープが伸び始める。
少しすると、ロープがピンと張り、僅かに引っ張ればすぐに一方の意思が相手に伝わるようになる。
行き帰りを考慮した息の続く短い時間、警備兵がそばにいない僅かな時間。
気の遠くなるような作業を、二つの影はもくもくと行い続ける。
人ひとりが余裕をもって通れるようになるまでに、実に6日間を要した。
天使が人民に公開される予定日を、翌日に控えた早朝のことだった。
そして、それから20時間程の後、シオンがグリッツ城上空に達するのとほぼ時を同じくして、いつも影が潜んでいた橋のさらに遠方の水路に人目をはばかりながら沈んでいく影が二つ。
一人は短槍を、もう一人は異様に長い大太刀を装備している。
夜の闇に、水をかき分ける僅かな音が響く。
天使が公開されるまで、グリッツとダラスの決別まで
あと、10時間ほど。