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その2


毎日のBeach Sound通いが苦痛に変わって行く。

大学がある為出勤時間はまちまちだけれど、店に向かう足取りが重いのは承知していた。

おまけに、佐伯と充分に逢えていないのも、憂鬱の原因でもある。

オーナーの千葉は、最近は事あるごとに佐伯を呼びつけ、何やら用事を言いつけているらしい。

おかげで、休みの前の日には必ず逢瀬を繰り返していたのに、ままならない状態なのだった。

それに加えて美桜の存在が更に頭痛の種だ。

あの後、有言実行とばかりに俺の言う事は一切聞かずにいる。他のスタッフとはにこやかに会話を交わしたり、休みの日など何処かに出掛けたりしているらしいのだが、俺には全くもってなつかない。

そうして元来人と交わる事が苦手な俺はどうすれば良いのかも解らないのだ。

だけれど、やっぱり俺が教育係らしく、ほとほと困っていた。

「因幡くん、大丈夫かい?」

大きな溜息を吐いていると、背後から声を掛けられる。

シルバーのトレーを脇に抱え、他のスタッフと談笑している美桜の姿を見詰めていた俺は、びくりと身体を震わせ急いで後方に顔を向けた。

其処には私服姿の如月が美しい顔を少しばかり歪め、俺の顔を見た後その視線をちらりと美桜に向ける。

苦笑を浮かべ、小さく会釈をすると如月は更に顔を顰めた。

「あんまり・・・上手く行ってないみたいだね」

言葉を選びながら視線を変える。その視線を受け溜息を吐いた。

「どうも・・・嫌われちゃったみたいです」

苦笑を浮かべながら答えると、如月は思った以上に怖い顔を見せ俺を見る。

「彼が何を考えてるのか解らないけど、問題があるなら音羽を頼りなさい」

厳しい表情だった。

でも・・・。

頼れないよね。なかなか逢えないうえに、忙しそうにしている姿を見てしまえば、自分の事で煩わせてしまうわけには行かない。如月は心底心配してくれているのは解っていたから、俺は曖昧に笑うに留めたのだった。



がちゃん、と大きな音がフロアーに響き渡る。

はっとなり音の元を確認しようと頭を動かすと、音を追いかけるように男の怒声が響き渡った。

「なんだその態度は!!」

男の前にはさらさらの髪を揺らしている美桜が、綺麗な顔を皮肉気にしている。

俺はきりきり痛む胃を抑えながら急いで客の下に向かい、出来るだけ柔和な笑顔を浮かべながら言葉を発した。

「お客様、如何されましたか?」

俺の登場に美桜の顔が違う意味で歪むのを、目の端が捉える。

俺に教わる気はない、と断言し言う事を聞かない美桜からすれば余計なお世話かもしれないが、他の客も居るのだ。事を穏便に運ばせ、おさめたかったから気付かないふりをし高そうなスーツの男を見た。

男の顔が少し和らぎ、此方に視線を向ける。

その顔には見覚えがあった。

「あぁ、因幡くん」

彼も気付いたようで、人懐こい笑顔を見せる。

「こんばんわ、不破様」

横で不機嫌な顔をしていた美桜の顔が、今度は驚きに変わった。

空気が変わったのを肌に感じ、俺は再度不破に言葉を投げ掛ける。

「不破様。何か不手際がありましたでしょうか」

眉尻を下げ、少し困ったように笑いながら言うと、不破の顔も少し困ったように歪む。

「…いや、この子がね」

そう言い顎で美桜を示すと美桜の顔が不機嫌さを増すけれど、かまっていられない。

「はい、先日入りました新人の羽生と申します。羽生が何か?」

ふわりと笑顔を浮かべると不破は更に表情を緩めた。

「オーダーを間違えたのに謝りもしないで、舌打ちまでするから…」

そう言うと怒りが再燃したのか、怖い顔で美桜を見る。

舌打ち、とは何事かと怒鳴ってしまいたい気持ちを抑え、美桜を見るとふいと視線を逸らされた。

その途端、また胃がきりきりと痛む。飛び出して来そうな溜め息を飲み込み、深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。監督不行き届きです。すぐにご注文の品をお持ち致しますので…」

そう言い、横にいる美桜の頭も下げさせる。

不破は片手を上げ、苦笑を浮かべながら了承してくれた。

再度頭を下げ踵を返すと共に美桜の腕をきつく掴み、強引に歩かせる。嫌がる美桜に振り払われそうになるけれど、掴んでいる手に力をこめそれを阻止した。

客には見えない所まで引きずり、そこで漸く腕を離すと美桜は鋭い声を上げた。

「何するんだよ!」

屈辱、とでも言いたそうな顔に今度こそ溜息を吐く。

「・・・羽生くん。俺の事が嫌いなのは解ったけど、店に迷惑を掛けるのはどうかと思うよ。不破さんはBeach Soundの常連なの。其れにある雑誌社のお偉いさんでもある。無いとは思うけど、この店の事を悪いように書けば絶対的に影響を与える事もできる。君は馬鹿じゃない。・・・言っている意味、解るよね?」

怒りで真っ赤に染まっていた美桜の顔が青くなった。どうやら、意味が解ったらしい。

「今は店長も留守にする事が多いから、今すぐには無理だけど、そんなに俺と組むのが嫌なら店長に言っておくからそれまで我慢して。問題を起こさないで・・・良い?」

念を押すように言うと、しぶしぶながらも美桜は頷いたのだった。



仕事を終え、大学と店の丁度間に借りたアパートに戻ると大きな溜息が出る。

静かな部屋で簡単な食事を摂ると、ふと美桜の不機嫌な顔が浮かんだ。

あの後、美桜はしっかりと不破に謝罪をし仕事に戻って行ったけれど、俺に対しての態度は何も変わらずつんけんとしている。途端に強い吐気が襲い、俺は慌ててトイレに駆け込んだ。

胃の中にある物を全て吐き出すと少し楽になる。

目に浮かんだ涙を拭いその場に座り込むと、ポケットに入れていた携帯が振動した。

画面に浮かんだ名前を見、少し口角が上がる。佐伯からのメールだった。

『忙しくて連絡もままならない。元気か?俺は千葉さんに連れられてあちこち行ってるよ。お前に逢いたい。抱きしめたいよ・・・。明日も大学だよな?あんまり無理するなよ。それじゃあおやすみ』

ところどころにハートマークの絵文字が描かれているメールに何故だか涙が溢れる。

「俺も・・・逢いたいです・・・」

文字にするには恥ずかしくて、でも溢れる想いを止める事が出来なくてぎゅっと携帯を抱きしめた。

ポロポロと涙が溢れ視界が霞む。このままだとつい電話をしてしまい、今すぐに逢いたい、と仕事で忙しい佐伯に言ってしまいそうで怖かったから、『ありがとうございます。おやすみなさい』とだけ文字を綴り送信のボタンを押したのだった。



視界が歪んでいる気がする。身体を動かすのがこうも億劫に感じられるのは初めてだ。

「因幡さん、こんばんわ~」

バイト仲間が次々とロッカールームに入って来て俺に挨拶するけれど、その顔も何だか膜が掛っているみたいにぼやけて見えて気持ちが悪い。

可笑しな感覚にイライラしながらギャルソンエプロンをもたもたと巻いていると、急にその手を掴まれたる。驚いてその手を振り払おうとしたが、聞こえて来た声に力が抜けた。

「下手くそ。永久は何時までもコレ巻くの慣れないな」

笑いの含んだ声に、頬は緩む。そのまま顔を向けると佐伯が立っていた。

「佐伯さん」

呼びかけると笑顔が変わり、眉間に皺が寄った。そのまま肩を掴まれる。

痛い、と思い顔を顰めると怖い声が聞こえた。

「どうした?顔色悪いぞ?」

体調不良を悟られたらしい。俺は苦笑を浮かべ、視線を外した。

「ここ暫く店長が不在で大変だったんですよ」

少しの真実を交え誤魔化す。掴まれていた肩が少し和らいだ。

「悪かったなぁ~。千葉さんが煩くてね・・・」

苦虫を噛む潰したような表情をし、佐伯は俺の頭にぽん、と手を置いた。そのからふわりと暖かさが伝わる。それだけで、なんだか自分が悩んでいた事がとても小さな物に感じ、そうして具合も良くなって行くような気がした。

ふわふわとしてきて、少し身体を動かしてみる。途端に佐伯の匂いが増したような気がして、その身体に触りたくなった。

そっと手を伸ばし、あと少しであの逞しい腕に触れそうになった時だった。

ばたん、と大きな音がしたかと思うと美桜が姿を表す。美しいまでの顔が嬉しさで綻んだ。

「佐伯店長!」

そう言うと小走りに近づいて来て、俺を押し退けるようにし佐伯の逞しい腕に絡み付く。

「お久しぶりです。店長がいなくて僕寂しかったんですよ〜?」

聞いた事のない甘い声に、血の気がひくのが解った。ちらりと投げられた美桜の表情が、まるでざまあみろ、と言っているように見えて視界が暗くなる。

そうだったのか。

だから彼は俺の事が嫌いだったのか。

いったい何時から…?

そんな事を思いながら一歩後ずさる。

佐伯に対し小さく会釈をすると、踵を返し部屋から出た。背後から自分を困惑気に呼ぶ佐伯の声が聞こえたが、美桜の甘える声にかきけされる。

いつの間にか溢れてしまった涙を拭い、俺はフロアーに向かったのだった。




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