Episode 2
そうだった
この男は、私の悪あがきなんか
いつもその余裕の表情でなかったことにしちゃう
そんな奴だった。
しかもタイムカードの横で
余裕の表情で待ってるし。
「高岸主任、おやまあ、こんな時間まで残業?熱心ねー。」
なに、その口調。カンに障る、いや我慢だ落ち着け私。
「あら佐久田部長こそお疲れさまです。
それでは失礼します。お疲れさまでしたー。」
とカードをスキャンしながら、走り去ろうとした瞬間。
痛い。
腕を掴まれた、キタキタキタ・・・
「何の御用ですか?痛いですけれど。」
冷静を装って、奴の顔を見た
それよ、その余裕の表情がイライラするのよ。
なんだか暴れたい気分。
「まあ、そんなに食ってかかるなよ。腹減ってるんだろう。一緒に飯食おうよ。」
「おなか空いてないし。」
「じゃ、俺が食ってるの見ててよ。」
にっこり笑う。これだ、この余裕の表情に
まだ若かったころの私はかなわなかったのだ。
今もそうだとは気付かなかったね。
なんで私、この人と居酒屋なんかにいるんだろう。
「適当頼むよ、あと生ビールでいいだろう。」
慌てて
「明日も仕事だし。」
そう言うと
「一杯二杯で酔う女じゃねえだろう。」
そして店員に向かって注文を始める。
その口調はまるでこの空白の5年はなかったようだ。
この5年で、この男はどこが変わっただろう
たぶん35歳になったはず。
もういい加減結婚したかもしれない。
同じ会社にいても、噂は聞かないようにしてたし
どうなのかは全くわからない。
左手をちらっと見ると、指輪はなかった
まあ、男の人はしない人もいるし、あてにはならない。
眼鏡は買い替えてる、あまりデザイン的には変わらないけれど
腹は出てないな・・・、白髪がちょこっと見える
年取ったんだな、あたしもね。
「何?指輪の確認でもしてんの?気になる?」
ぼーっとしてたせいか店員が行ったのにも気付かなかった。
どう答えようか迷ってると、
奴は先にないよと手を広げてみせた。
「しない主義ではなくて、本当に独身よ、
他に質問は?なんでも答えるけれど。」
と勝ち誇ったような顔で私を見据えた。何もな
い、そう答えるのが精いっぱいだった。
「奈央、帰りは送るから安心しろよ。」
にやりと笑うその笑顔が腹立たしい。
「家も知らない癖に良く言うよね
私がまだあそこに住んでるとか思ってる?」
おしぼりで手を拭きながら、意地悪く言ってやった
私の今の住まいは、こいつと別れた後引っ越したのだ。
本社に転勤になったこの男がいなくなった後に。
「今住んでるところ、環境いいし便利だよね。
家賃ちょっとあれだけれど、あの便利さと中身見たら納得だよね。」
なに???何言ってんのこの人???
「俺、向こうじゃ課長だったの、だから一応栄転。
だからさっさと引っ越してきたよ
今のお前のマンションの一番上。」
そう言うとビールを運んできた店員から受け取り、
私の前に差し出した。
「お祝いしてよ、引っ越し祝。」
理解するのにどれだけかかったろう。
順を追って考えよう
まず、この男はなぜだか私の住まいを知っている。
そして、同じマンションに引っ越してきた?
一番上って、フロア一階しか変わらないじゃん?
・・・・・・・・・・・
あれ?部長の騒ぎが今日で、こいつがきたのも今日で、引っ越して?
いつ引っ越す暇があったのよ。
「いつ引っ越す時間があったのよ,あの騒ぎで
ずっと会社にいたじゃない今日。
どう考えてもおかしいでしょ話が!!」
だめだ、なんか抑えられない感情。
くすっと笑いを浮かべて奴は答えた。
「ああ、もう内偵でわかってたから、
今日のことは準備の上だから。
社長と専務で話をまとめてたのよ。
で、やっぱ直属の奴が行ったらみんな警戒するから
全部出てこないかもしれない、だから俺が行くことになったの。」
「だから先週あわてて部屋契約したら運良く空いてたのがお前のマンション。
業者に昨日運ばせて引っ越し完了。
俺は昨日まで本社で下準備してたわけ。
部長を朝からこてんぱんにやっつける為に。」
ああ、専務も噛んでるのか。
専務は社長の息子で長男だから
年齢は私より一回り以上ちょい上で、
いとこといえどもちょっと近寄り難い。
「で、孝也に家探してもらったんだよね。
孝也???
孝也もいとこで社長の次男。
この男と同じ年。高校も大学も一緒で仲が良い。
孝也は割と仲良く子供の頃からしていた。
「かわいい同じ年のいとこの俺の為に部屋を探してくれたのよ。」
そうだった・・・・そうだった
この男は社長の妹の息子だ。
社長から見たら私たちは甥姪なのだが
私たちの間には、血のつながりはまったくないってこと
私と一緒でだから社長と名字が違う
あ、一緒って思っちゃった、前言撤回!
「ちょ、ちょっと待ってよ!
あのマンション私に紹介してくれたのは。」
「孝也だろ?あいつの友達の親父さんが持ってるやつだもん。」
孝也の裏切り者!!!
「あ、孝也昨日からシンガポールに3週間出張ね。
殴りたくても殴れないから。」
ふふふと楽しそうに笑って言うその態度・・・
「本当は孝也が候補に挙がってたんだけれど
さっきの理由で俺になったから、家探してくれたの
お前と一緒でみんなには内緒で会社にいるんだから。」
「一緒って言わないでよ!」
「何が違うの?お前だって仲いい同僚にも言ってないんだろう?」
そうなんだよね・・・・
そこは何も言えない。
どんなに仲良くしててもそこだけは言えない
「まあ、そう急に落ち込むなよ
何でそうしたのかは俺が一番よくわかってるから。」
その言葉で思わず顔を上げて、顔を見た
ほんの少し皺が増えて、相変わらずいい男だった。
そんな風に思ってる自分に呆れる。でもね・・・
「さ、食おうぜ。冷めないうちに。」
「うん・・・」
目の前には私の好物ばっかり。
ぱちん、と割り箸を割ったら
なんか本当に、5年も会ってなかったのか良くわかんなくなった。