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あなたの満足の為の道具は終了しました

作者: 七茶
掲載日:2026/05/08

私は、ある朝ヘンリエッタ・フォン・シュヴァルツとしてこの世界に目を覚ました。

物語の悪役令嬢として。


この世界の物語のストーリーは大まかに言うと聖女候補として孤児院から神殿に引き取られ貴族の学園へと入学したヒロインがヒーローである公爵家のアレンと出会い、彼の婚約者のヘンリエッタのいじめに遭いながらもけなげに前を向いて立ち向かい最後はヘンリエッタの罪が裁かれてアレンとハッピーエンドを迎えるという前世の世界ではテンプレートとでも言うべき流れだ。


記憶が戻ったと言うべきなのか、目を覚ましたのはアレンと婚約をして交流する様になり、アレンに夢中になった私がアレンに一生懸命アピールしてもすげなくあしらわれ、来年には学園入学でストーリーも開始するというタイミングだった。

最初は混乱したしどうして私が、どうして今、と嘆いたが、やがて運命を受け入れた。

なぜなら、婚約者であるアレン・ヴァン・デュークを、この身が心底から愛していた記憶も、消えたわけでは無いからだ。


青灰色の瞳と夜空のような黒髪を持つ彼は、この国の英雄と呼ばれる公爵家の息子。

私は幼い頃から彼を知っていた。優雅で強く、誰よりも騎士道を重んじる彼に、私は早くから心を奪われていた。


婚約は両家の決定だったが、出会った当初はともかく今のアレンを好きな私にとっては願ってもないこと。幸せの絶頂にいるとさえ思っていた。


「アレン様、今日のお茶はダージリンです。少しお疲れの様に見えたので。頑張るアレン様も大好きですが、頑張り過ぎないでくださいね」


「……あぁ」


いつもそうだった。記憶が戻る前から、私はアレンへの好意を隠す気も無くあれこれと熱心にアピールをしてきたつもりだし、記憶が戻ってからは尚の事、アレンを諦めたくなくてアピールをしているが、何をしても彼はそっけない返事しかくれない。



それでも、彼がマリアという聖女候補の少女と出会うまでは、私は希望を捨てていなかった。







マリアが現れてから、すべてが変わった。



学園の庭園の薔薇のアーチの横で、アレンがマリアに笑いかけるのを、私は遠くから見つめていた。

彼は私には見せたことのない、柔らかな表情を浮かべている。マリアが何か言うたびに、彼の目が輝く。


胸が締め付けられるような痛み。呼吸さえ苦しくなった。


「…やっぱり私ではダメなのですか?アレン様…」


毎夜、寝室の窓辺に立ち、冷たい月光を浴びながら考えた。私のアピールの仕方が悪かったのだろうか? もっと美しくなれば? もっと賢くなれば? もっと彼の好みの女性に近づけば?


でも、どんなに努力しても、彼の視線は私から離れ、マリアへと向かい続けた。


「アレン様、次の交流会なのですが…」


「あぁ、その日はマリアが市井を見てみたいと言うので護衛にあたる。君とは毎日学園で会えるだろう」


3ヶ月目にはすでに、月に1度の交流会もマリアの予定で消えた。


学園で、とは言うが学園でも私は淑女課、アレンは騎士課で違う為、お昼など待ち合わせないと会う事は出来ないのに昼はマリアととっているし休憩も彼女と一緒で、会話どころか顔を合わせる機会すら滅多にない。


半年が過ぎたある日、それでも、と差し入れを騎士課に届けに行った私に「何の嫌味だ」と冷めた目を向けたアレンに私は決断した。



もう、無理だ。


これ以上自分を傷つけ続けるのはやめよう。







「お父様、お母様。アレン様との婚約を解消させていただきたいのです」



両親は驚いたが、アレンの現状を伝え聖女候補との仲を邪魔するなどと汚名が流れた場合の当家リスクと今の時点で交流会すら拒否されている状態でこのまま無理に続ける事への悪影響などを説明しひたすら説得すると、最終的には理解を示してくれた。

アレンの両親も、現状の婚約者としての交流会も拒否し、お昼や休憩時間も聖女候補と過ごし、婚約者の差し入れを嫌味だと断じるアレンの状況を証拠と共に説明されると、申し訳無いと平和的に解消に同意した。


手続きは驚くほどあっさりと進んだ。

紋章入りの羊皮紙にサインをした時、私は奇妙な解放感を覚えた。

長い間背負ってきた重荷が、ふっと軽くなったような気がした。





その解放感は、三日後に粉々に打ち砕かれた。


「ヘンリエッタ! どうしてだ!」


夕暮れ時、私の部屋のドアが勢いよく開け放たれた。

そこには、普段の冷静さを失ったアレンが立っていた。髪は乱れ、息は荒く、青灰色の瞳には怒りと混乱が渦巻いていた。


「婚約解消? そんなこと許さない! あんなに好きだと言っていたくせに、なぜそんな決断ができるんだ!」


私はゆっくりと立ち上がり、窓辺から彼を見つめた。かつてはその姿を見るだけで胸が高鳴ったのに、今はなぜか静かな湖のように心が落ち着いている。


「アレン様、全ての手続きは正式に終わりました。私はもう、あなたの婚約者ではありません。前触れもなくノックもせずにレディーの私室の扉を開けるなんて、マナー違反ではありませんか?」


「どうしてだ!」彼は一歩踏み出し、声を震わせた。


「あんなに好きだと言って俺の態度が悪くてもずっと許してくれたのに!こんな…!あの態度も言葉も嘘だったのか!?裏切者」


アレンの言葉の意味が理解出来ず、こんなにたくさん、話す事ができたのね、などとぼんやり思いながらただ沈黙を返す事しか出来なかった。

裏切者?どうしてそんな話になっているのだろう。


「俺が好きなのは君だけだ!相思相愛だったはずだろ?どうして裏切る様な事をするんだ!」


私を好き?初耳だ。アレンは取り乱した様子を取り繕う事無く今まで1度も見た事の無い必死な様子で訴えかけてくる。


「アレン様は、マリア様の事がお好きだったのではないですか?私はお2人の邪魔にならない様身を引いただけです」


「マリアだって!?あんな頭の足りない女なんて一時の相手だ。マリアと一緒にいる僕を見て、君が嫉妬してくれるのが嬉しかった。君がどれだけ僕を愛しているか、実感できた!だから傍に置いていただけだ!それなのに!」


一瞬、時間が止まったように感じた。


そして、それまでのすべての悲しみ、不安、自己嫌悪が、一気に氷のように冷たい悟りへと変わった。



「……ああ、そうだったのですね」


私の声は驚くほど平穏だった。


「私はずっと、自分が悪いのだと思っていました。アピールが足りないのか、魅力が欠けているのか、と。毎夜、枕を涙で濡らし、どうすればあなたの目に留まるのか考え続けていました」


窓の外では、夕焼けが空を赤く染めていた。美しく、そして儚い光景。


「でも、本当はそうじゃなかった。どんなに私が献身的でも、どんなに魅力があったとしても、あなたは答える気がなかった。ただ私の愛情を試し、確認し、あなただけが満足していた。私が悲しんでも傷ついても」


アレンの顔から血の気が引いていくのが見えた。


「私はあなたの『満足のための道具』だったのですね。引き出せば引き出すほど愛情が溢れ出てくる、便利な人形。人形が悲しんだり傷ついても持ち主が何かする必要なんてない。だってそういう道具なのだから。」


「違う……ヘンリエッタ、それは……」


「もう結構です」


私は彼を遮り、最後に一度だけ、深く息を吸った。



「アレン・ヴァン・デューク様。私はあなたとの婚約を解消しました。そして、あなたの『満足のための道具』としての役割も、今日で終わります」



彼は言葉を失い、ただ茫然と私を見つめていた。かつて私を夢中にさせたその瞳に、今は何のときめきも覚えない。


「どうか、お帰りください。」


彼が何か言おうとしたが、私は背を向けた。もう、彼の言葉に心を揺さぶられることはない。


「アン。お帰りいただいて」


侍女に声をかけると「かしこまりました。お客様、どうぞこちらへ」とアンの声とアレンが名前を呼ぶ様な声が聞こえてからドアが閉まる音がした。彼が去ったのだ。


私は一人、次第に闇に包まれる部屋に立ち、初めて本当の自由を感じた。

重かった胸のつかえが取れ、軽やかな風が心の中を通り抜けていくようだった。

もう、振り返らない。






それから一週間が過ぎた。



私は以前のように学園の庭園を散歩していた。もうアレンのことを探す目で周りを見ることはない。

代わりに、咲き乱れるバラの香りや、小鳥のさえずり、そよ風が頬を撫でる感覚を楽しんでいた。

以前の私は、アレンの事ばかりで本当に余裕が無かったのだと実感する。

世界はこんなに美しかったのに。




「やっと見つけたよ、ヘンリエッタ」



懐かしい声が背後から聞こえた。


振り返ると、そこには金色の髪を陽光のように輝かせる青年が立っていた。

エメラルド色の瞳が、悪戯っぽくきらめいている。


「レオ様……」


第三王子レオナルド・ド・ルミエール。私の幼馴染で、いつも私をからかっては笑わせてくれた人。

婚約者が決まってからは、幼馴染とはいえ異性だと、会う事を控えていた。


「婚約解消の話、聞いたよ」彼はゆっくりと近づき、私の横に並んだ。「大丈夫か?」


彼の声には、いつもの軽口とは違う、心からの気遣いが込められていた。その優しさに、私はふと目頭が熱くなるのを感じた。


「ええ、大丈夫です。むしろ……とても自由な気分です」


レオはしばらく私の顔を覗き込むように見つめ、やがて満足そうに頷いた。


「そうか。ならよかった」彼は庭園の小道を指さした。

「少し散歩しないか? 君が好きだった南庭の藤棚、今年は特に見事に咲いているんだ」


私は少し躊躇したが、やがて微笑みを浮かべた。


「ええ、そうしましょう」


二人で歩き始めると、レオがそっと囁いた。


「知ってるか、ヘンリエッタ? 君がアレンに夢中だったあの頃、僕はずっと……」


彼の言葉はそこで止まり、代わりに優しい笑みを浮かべた。


「まぁ、この話はこれからじっくりたっぷりしていこう」




夕陽が二人の背中を温かく照らし、新しい物語の始まりを告げているようだった。



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