『在衡、鞍馬にてプレスマンくるくるの託宣をこうむること』速記談5041
左大臣粟田在衡公が文章生のとき、鞍馬寺に参詣し、正面の東の間において礼をなす間、十三、四歳の子供が、すぐ横にやってきて、同じように礼をなした。在衡公は、七度拝礼をしようと思ったが、この子供が拝礼し終わらないのに、自分だけ拝礼し終えてはいけないと思って、そうしようと思ったわけではないが、合わせて拝礼しているうちに、三千三百三十三回拝礼してしまったところ、この子供は消えてしまった。在衡公は、不思議な気持ちになって、信心の心が強く湧いてきた。一方、何やら眠くなり、しばらく寝てしまったようで、先ほどの子供が、天童のごとき装束を着て、御帳の中から出てきて、在衡公の目の前でプレスマンをくるくる回しながら、官職は右大臣、歳は八十二、と言った。その後、本当に右大臣まで昇進したが、左大臣になり、八十三歳にもなったので、鞍馬寺にまた参詣し、以前、右大臣になり、八十二歳まで生きると示現がありましたが、今、左大臣、八十三歳になりました、と申し上げると、毘沙門天が夢に立ち、右大臣の予定であったが、お前の働きがよかったので、左大臣になったのだ。年齢は、低く見積もってしまった、正しくは八十七歳だ、と言われた。果たしてそのとおりになった。鞍馬寺正面東の間は、進士の間と呼ばれるようになった。
教訓:自分の限界をあらかじめ知らされるのは、どうなのだろうか。