8話 変化
──時は少し遡る。
アブラガシワの林からノルとチラが帰ると、妖精族の男が現れた。彼の名はオキキ、ノーガスの友人だった男だ。
友人の起こしたかもしれない事件について知ったときはもちろん驚いたが、友人が管理していたこの林の事は正直忘れていた。
それが里に響く笛の音を聴くうちに不思議とこの林のことを思い出し、気になって見に行くと少女が横笛を吹いていたのだ。
それからも嬉しそうに一生懸命に、毎日ここで横笛を吹く少女の姿を陰ながら見ているうちに、オキキにはある心境の変化が起こっていた。
友人との思い出の地であったこの場所を大切に思う気持ちが芽生えていたのだ。
「(──そうだアイツは優しい笑顔のヤツだった。里の子供たちのためにここを整備し始めたんだ)」
今はここにいなくなってしまった友人の事をじわり、じわりと思い出していった。オキキはアブラガシワの木に手を当て考える。あんなに子供が好きで優しかったはずのアイツに何があったのかと。今はどこで何をしているのかと──。
♢♦︎♢
空に煌々と満月が輝く夜、とある領主の館に青年が招かれた。中性的で整った顔立ちをした長身の青年は、腰に自身と似た飾り気や無駄な要素を感じさせない、細長い変わった形の剣を下げている。
門番に剣を預けろと言われ渋々渡すと門を潜り、屋敷の入り口まで歩きながら「(なぜ俺がこんなところへ来なくてはならないんだ)」と青年は思っていた。
そのしなやかな身のこなしから、かなりの腕前だということは想像に難くない。
玄関を抜けた先にある廊下には無駄に豪華な額に飾られた絵や、太った男の胸像などがこれ見よがしに飾られてる。
「(悪趣味だ)」
青年は趣味の悪い美術品から視線を逸らすと、執務室の扉を叩いた。
「入れ」
その声に小さく溜息をつくと、部屋の中へ入った。部屋の中では廊下に置いてあった胸像にそっくりな、脂ぎった顔の太った男が椅子にふんぞり返っている。
「(あの椅子はよく壊れないものだ)」
青年は内心そう思いつつ太った男の方へ目を向けると、その横には赤いローブとベールを身に着けたスラリと背の高い人物が、月明かりに照らされ立っている。
「(ああ、この男の新しい女か)」
太った男は女好きで名が知れた存在だ。青年がちらっと赤ローブを見ると、妖しい微笑みでこちらを見つめていた。
「……仲間から話は聞きましたが、俺達はそのような人攫い紛いの依頼は受けません」
青年がそう口を開くと太った男はニタリと笑う。そのだらしなく開いた口元から金歯が覗く。
「そうは言っていられないはずだ。この方はお前の大切な者を預かったそうだぞ?」
赤ローブが手をかざす、そこに見えたものに青年は驚愕した。
「──ッ分かりました。依頼を受けましょう」
苦悶の表情を浮かべた青年には、そう答える以外の選択肢は残されていなかった。
「初めからそう答えればいいものを。報酬はしっかり払うのだから、この依頼くれぐれも頼んだぞ」
「……了承しました」
どっぷりと優越感に浸った様子で太った男は言う。
「お前の大切な者はこの方の手中にある意味、わかっているな? お前は私の言う事さえ聞いておれば良いのだ。 ねぇ?」
太った男が赤ローブを見つめたが返ってきたものは冷ややかな視線だけだった。青年が退室する際に、ヒラヒラと手を振る赤ローブと再び目が合う。脳裏に焼き付いたその妖しい笑みに、蛇に睨まれたカエルとはこのような気持ちなのかと青年は身震いする。
再び玄関を抜けると、受けたくも無い依頼を受けてしまった自分に嫌悪感を抱いていた。そして門番から剣を奪い取るように受け取り屋敷を出ると、青年は夜の闇の中へ消えて行った。