6話 眠り
まだ雪の残るサリナスの森の奥深く、妖精王の城の中を歩く人影がある。 足音無く歩くその男は妖精王の居室の前まで来ると扉を静かに開けた。
「──何者だ!」
妖精王ラミウがその気配を感じ声を上げると男は無言で1歩前へ進み出た。
月明かりがその男をくっきりと示す。
肩にかかる長さの髪を結び一見無表情に見えるがすぐにその異質さが分かる。 カッと見開いた目をギラギラと輝かせ、まるで獲物を見つけたと言いたげな様子を隠そうともしていなかった。
その静かだが不気味な異質さに妖精王ラミウは息を呑む。
次の瞬間、男はラミウに向かい飛び込みながら剣を抜いた。 男のあまりの踏み込みの速さにラミウの反応が一瞬遅れたが、素早く魔法で盾を作り男の魔法を纏わせた剣を受けとめた。 魔法と魔法がぶつかる衝撃でテーブルが激しく倒れる。
魔法で身を庇うラミウに男は次々と魔力を込めた剣を振り風の斬撃を浴びせた。 たまらずラミウが衝撃波を連続で繰り出す。 それを男が弾くと花瓶がけたたましい音を立てて砕け、窓ガラスが割れ、壁が崩れた。
「お前の目的は何だ!? 妖精王の座か?」
男は張り付いたような笑顔を浮かべるとラミウの耳元で何かを囁く。 その話に驚愕したラミウは目の前の男を野放しにしておくわけにはいかないと、両手をかざし激しい突風を吹かせ壁際に追い詰めた。
今までの激しい戦闘に加え、壁にぶつかった風が激しく吹き荒れた事で室内はめちゃくちゃになっている。
ラミウが男を取り押さえようとしたその時だった──。
「──親父何があったんだ!?」
エアが崩れて原型を留めていない部屋の入り口に立っていた。
ラミウの気が逸れたその一瞬の隙を男は見逃さない。 剣に魔法を纏わせラミウに激しい風の斬撃を浴びせると、目をギラギラと輝かせエアに手を伸ばしながら歩み寄っていく。 腹から血を流したラミウは、朦朧とする意識とふらつく足元を気力でどうにか奮い立たせ男を追った。
「子供たちは……関係ないだろう……」
脂汗を滲ませつつもエアを守ろうと男との距離を詰める父ラミウの姿を見て、立ちすくんでいたエアは我に返った。
エアがペンダントを握るとそれは木でできた剣に形を変える。 エアはその剣に雷魔法を纏わせ男へ向かって踏み込んだ。
室内ではエアの電撃が空気中の塵に当たって聞こえるバチバチッという音と、剣と剣がぶつかる音が響き渡る。
それとエアの気迫の籠った声も聞こえるが、男はエアの相手を片手でしており、しかも一度も声を上げていない。 男は不気味なほど静かにエアと剣を交える。 その様子は痛ぶるようでいて楽しんでもいるようだ。 それくらい10歳の少年のエアと大人の実力差は目に見えていた。
じわじわと傷を負ってきてもエアが諦める事は無い。 何故なら父親の回復や騒ぎを聞きつけた衛兵が来てくれる事を信じていたからだ。
だが遂に健闘虚しく剣を折られ、壁に激しく叩きつけられてしまった。 なかなか起き上がれないエアに男はヒタヒタと歩み寄る。 いよいよ男がエアにトドメを刺そうとしたその瞬間──ラミウが男の羽を掴み叫んだ。
「この男はノルも狙ってる! エア、行きなさい! ノルを守るんだろ!」
エアは力を振り絞り、割れた窓からスカベル村へ飛び立った。 ──父ラミウを信じて、決して振り返ることなく。
♢♦︎♢
深夜ノルが眠っていると扉をバンバンと激しく叩く音がした。
目をこすりながら起き上がり、チラを起こさないようにそっと部屋を出る。 ふあ〜っとあくびをしながら扉を開けると一瞬で目が覚めた。
体の至る所から血を流し、柱にもたれるようにしながらエアが立っていたからだ。 その様子を母の最期と重ね青ざめるノルの震える肩をエアは優しく掴むと語りかけた。
「──大丈夫、俺は死なないよ」
それでも震えが止まらないノルを見ると真面目な顔をして言った。
「いいか、時間がないんだ。 あいつにここがバレる前にノルの痕跡をかくさなくっちゃ。 動かないで」
目の前の傷だらけのエアと言葉にならない不安で気を失いそうなノルの体を明るい光が包み込んでいった。
「ノルのこれまでの痕跡を俺の炎で焼き消して、あいつが見つけられないようにする魔法なんだ」
それまで青ざめ震えていたノルだったが、暖かな光に不思議と気持ちが安らいだ。 エアが両手をバッと広げると、ノルを包んでいた炎はキラキラと輝きながら四方八方に霧散してい行く。 綺麗な光をノルはキョロキョロと見回していたが、横でエアがガクッと崩れ落ちる。
ノルが慌てて駆け寄るとエアは力無くもニヤリと微笑んだ。
「この魔法はかなり難しい魔法でさ、かなり無理しちゃったんだ……。 だから俺はこれから眠りにつかなきゃならない」
涙を浮かべながら首を横に振るノルの手をぎゅっと握るとエアが続けた。
「大丈夫、俺は死なないよ。 いつもノル姉ちゃんの中にいるからさ」
そう言うとエアはノルを優しく抱きしめた。 直後、ノルは眠るように気を失ったのだった。
♢♦︎♢
翌朝ノルはベットで目を覚ました。 周りを見渡してもボロボロなエアの姿は無く『昨夜の出来事は夢だったのかしら』とホッと胸を撫で下ろす。
するとあくびをしながらチラが何か持ってきた。 いつもエアが身に着けていたゴーグルだ。
唾と一緒に不安をゴクリと飲み込むとノルは尋ねる。
「チラちゃん、これどうしたの?」
チラは首を傾げるとテーブルを指差しながら答えた。
「あちょこにあったの」
ノルはゴーグルを受け取り、手にしてみると何故かカッコよく見えてきた。 やっぱり昨夜のことは本当だったのかもしれない。
言いようの無い不安が押し寄せてくると思ったが驚くことに心を強く保てた。 そしてノルはすくっと立ち上がると拳を高く突き上げて言い放つ。
「──頑張るよ、私お姉ちゃんなんだから!」
チラも「オー!」と一緒に手を突き上げる。 春の香りがほんのりと漂いはじめる朝のことだった。
♢♦︎♢
──時は少し遡る。
窓から飛びたったエアの姿を見届けると妖精王ラミウは、握っていた男の羽を力いっぱい引きちぎった。
「──ッッ!!」
男は声にならない悲鳴を上げ、体を硬直させながら妖精王ラミウを睨みつける。
男は起き上がることのできないラミウを、手に持った剣で笑いながら執拗に斬りつけ、傷口を蹴り飛ばした。 更に痛ぶるため吹っ飛ばされたラミウに近付こうとした男がピタリと足を止める。
廊下の向こうから騒ぎを聞きつけた兵士の足音が聞こえてきていた。
男は引きちぎられ歪になった羽を翻し割れた窓から飛び降り姿を消す。
直後駆けつけた兵士が見たものは、窓際に横たわり意識のない妖精王ラミウの姿と、その手に握られた何者かの羽の一部だった。 その夜、城へ向かうノーガスという男の目撃情報が複数あったという。
だが妖精王ラミウは昏睡状態に陥ってしまい真相は定かではない。