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妖精とまたたきの見聞録  作者: 甲野 莉絵
2章 石造りの家が立ち並ぶ村ファディック
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20話 どんよりとした露店

 ノルとサミューのパフォーマンスが大成功に終わった翌日、3人は買い出しに来ていた。石造りの建物の前には露店が立ち並んでいる。


 今はこの村の特産品、オレンジが旬を迎える時期のため露店はオレンジ色で溢れていた。爽やかな香りの中を歩く人々へ店員さんが声を掛ける。


「オレンジを使ったチーズはいかがかね!」


「うちの香油をつければ気分爽快!」


「オレンジの蜜漬けはどうだい? 日持ち抜群さ!」


 沢山ある露店にノルが目移りしていると、肉を焼くようないい匂いが漂って来る。その匂いに惹きつけられるように歩いていくと、おばちゃんが鉄板で焼いた肉を一口大に小さく切り、ソースをかけると次々と目の前の人たちに配っている姿が見えた。


 ノルとサミューも受け取ったが、背が低いチラは貰えずにぴょんぴょん跳ねながら「チラも、チラも」と言っている。チラの必死のアピールに気がついた店のおばちゃんが「坊やにはこれね」と言ってドライオレンジを手渡した。


「このソースには今坊やに渡したドライオレンジが入っているんだよ。生の肉を漬け込んでもヨシ、今みたいに焼いてからかけても美味しいだろう?」


 おばちゃんの宣伝文句を聞いてノルは肉を口に入れる。まずほのかにオレンジの爽やかな香りがした後で、ガツンと肉本来の香りと味がした。メインの肉を引き立てつつも、オレンジが肉の脂をさっぱりとさせている。


「おばちゃん、このソース買うわ!」


 ノルが勢いよく手を挙げるとおばちゃんはニカッと笑う。


「まいど! 700ルドだよ」


 サミューはそんなノルを冷めた目で見ていた。


 3人は再び露店が立ち並ぶ賑やかな通りを歩き始めた。チラは先ほど貰ったドライオレンジをまだ嬉しそうに食べている。その横でノルは少し後悔しながらトボトボと歩き、肩を落として下唇を突き出しながら呟く。


「お肉の匂いとその場の雰囲気でつい買ってしまったけど、これ旅では使わない物ね……」


 そんなノルにサミューは追い打ちをかける。


「やはりお前は何も考えず買ったのか……」


 ノルはどんよりとしながらも、気分転換に美味しい物を探しながら歩いていた。だが周りを見回していると、美味しい物より気になる事がある。すれ違うご婦人方が自分達をいや、サミューをちらちらと伏目がちに見ているのだ。ノルは首を傾げた。ひと組だけなら偶然だろうが、結構サミューを見るご婦人方は多い。


「(もしかしてサミューさん社会の窓が開いてる? いいえ、そんな事は無いわ。それじゃあ、さっきのオレンジのソースが口に付いてるとか? それも違うわね。うーんと寝癖が跳ねてるとか?)」


 ノルの視線にサミューは眉根を寄せた。丁度すれ違うご婦人方の視線にうんざりしていたところだ。外を歩けば結構な確率でご婦人方に熱を帯びた視線を向けられるため、サミューは女性に対して苦手意識を感じていた。


「……どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」


「うーん、私もそうかと思ったけど違うみたい。さっきから何故かサミューさんが注目を浴びているのよ。その理由を探してたけど全然分からないの」


 サミューは思わずクスッと笑った。熱っぽい視線を送って来ない子供のノルは一緒にいて楽だ。


「そうか、そうだな」


ノルは誤魔化された気がしたが気にしない事にした。すると活気が溢れる露店の数々の中に、先ほどまでのノルのようにどんよりとした雰囲気を漂わせる店があった。まるでその店の周りにだけ暗雲が垂れ込めたような陰鬱とした空気感だ。その様子に少し親近感を感じたノルは、フラフラとその店へ寄って行く。


 その店は生のオレンジを売る店だった。店に座るおじさんは背中を丸め、大きなため息をついている。だが店に置いてあるオレンジは減っていて売り上げは良さそうだ。


「おじちゃんどうしたの? そんなに深〜いため息ついて」


「え? ああ、昨日踊っていたお嬢ちゃんか。おじさんはオレンジ農家なんだけどね、腰を痛めて収穫作業ができなくなってしまったんだよ。おまけに妻は風邪をひいちまってさ。ここにある物は昨日までに取れたものでね。このままでは今年のうちのオレンジはダメになってしまう。それに木の手入れをしてやることもできない……」


 愁い顔で吐き出すように言うと、おじさんは再び深いため息をついた。


「私たちに木のお手入れはできないけれど、収穫のお手伝いなら出来るかもしれないわ」


 ノルの申し出におじさんはバツが悪そうな顔で返した。


「……申し訳ないよ。それに君たちに支払える報酬は手元にないし」


「この村の美味しいオレンジが少しでも無駄になってしまうなんて勿体無いわ。困ったときはお互い様、私たちへの報酬はオレンジを数個いただければ大丈夫よ!」


 ノルがそう言うとおじさんはゆっくりと立ち上がった。


「そうかい? それじゃあ頼もうかな」



 ♢♦︎♢



 3人はおじさんに付いて村の外れにある畑に来ていた。おじさんのオレンジ畑は階段のように3段重なったものだ。それぞれの段の淵は大きな石を積んで補強されていた。


 その畑に等間隔で植えられたオレンジの木は、深緑色の木の葉を風でさわさわと震わせている。日の光を受けて黄緑色に透けるオレンジの葉の間からは瑞々しいオレンジがずっしりと実り、枝をしならせていた。


 どこからか風に乗ってきた、草を焼いたような煤けた匂いがうっすらと香る。その香りと風景はどこか懐かしいような、心安らぐ効果があった。


「不思議な形の畑ね」


「これは狭い場所を有効に使ったご先祖様の知恵だね。それに日の光が均等に当たるし、水捌けも良いんだ」


 日の光に照らされ、黄金色に輝く草地をザクザクと歩きながらノルは頷く。


「なるほど、日の光をたっぷり浴びて育っているからこの村のオレンジは美味しいのね」


 ノルがそう言うとおじさんは嬉しそうに微笑んだ。その後ろでサミューは手近にあったオレンジを手に取る。


「それではさっそく収穫に取り掛かろう」


「ダメだよ。その子はまだダメだって」


 サミューのズボンをチラが引っ張る。


「ん? ダメなのか?」


 サミューが聞き返すとチラが指をさす。


「うん、この子と、この子、あとあの子はいいって!」


 サミューに肩車してもらい、オレンジを収穫するチラを見ておじさんは言った。


「驚いた、あの坊やは収穫に適したものが分かるのか」


 おじさんの言葉にノルは目を白黒させながら誤魔化す。


「え、ええ、あの子は自然が好きだからきっとよく観察していたのね」


 ノルはそう言うとサミューとチラの方へ駆けて行く。


 それから収穫作業は昼を過ぎたころに終了し、木陰で昼食を食べる事になった。サミューとおじさんが準備をする中、暇を持て余したノルとチラは畑の淵に腰掛け足をプラプラさせる。チラはニコニコしながら言った。


「ノルの笛が聴きたいな〜」


 チラの髪の端が光に透けて光りながら、ふわふわと揺れている。ノルもつられて笑顔になると横笛の演奏を始めた。


 優しい音色が軽快に響き渡り段々畑を包み込む。それと同時に、風が吹いてオレンジの葉もそよそよと揺れる。風とのセッションはノルの笛の音をより味わい深いものに変えていった。


 笛の音は少しづつ、少しずつ皆を元気にしてゆくが、それは演奏しているノルも同じだ。気がつけば皆目を閉じて風に髪を遊ばせ、ノルの演奏を聴いている。そして演奏が終わると皆、安らいだ表情を浮かべていた。おじさんがスッと立ち上がる。


「お嬢ちゃん、心に沁みるいい演奏をありがとう。オレンジの木も喜んでいるような気がしたよ。おかげで腰の痛みも和らいだような気分さ」


「そう言ってもらえて嬉しいわ」


 おじさんは3人にオレンジを手渡す。


「忘れないうちに渡しておくね、これが今日の報酬だよ。現物支給で申し訳ないが、うちの自慢のオレンジさ」


 それから4人はオレンジの木の下で、楽しく昼食を食べたのだった。

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